告白
「酒井くんに……告白されちゃった」
授業開始前の休み時間に梨琉が突然そんなことを言った。季節の変わり目で、パラパラと雨が降る。寒いくせに長袖を着ると湿気でジメジメして困る。嫌な季節だった。
「梨琉、モテモテじゃん」
平常を装って声のトーンに波が出ないよう私は目を合わせずに言った。酒井––––カナが片想いしている、ミナトくんのこと––––が梨琉のことを好きなのを私は知っている。本人との会話や、カナのスマホに入っていた飲み会の動画で。
「そんな目で見られていると思わなかったからびっくりしちゃった。……どうしよう」
飲み会の様子を思い返す限り、割と好意は露骨だった。気づかないふりをしているのか、本当に鈍感なのか、こういう点がミクやカナを刺激したのかなあなんて考えて、自分の中に梨琉への棘が芽生えているのに怖くなる。
「まずはランチでも行ってみたら? 合うかわからない相手と1日遊ぶのは大変だろうし」
「そうだよねっ!」
梨琉は時折悩みながらスマホにメッセージを書いていく。
そうするうちに教授が入ってきて授業が始まる。
他学部も受講する、一般教養の授業。梨琉からの提案で、私たちは同じ授業をとった。知り合い同士だと自然と近くなる。ただ後期からは、薬学部だけが集まる学部科目でも、梨琉は私の隣に座るようになった。それがきっかけで学部のコミュニティは歪んだとかはない。
メッセージを打ち終えた様子で、パソコンを開いて教授の話を聞き始める隣の梨琉。授業中だから、なんて送ったのかなんてのは聞けない。しばらくすると梨琉のスマホが震えて、見えてしまった通知は酒井からの返信だった。事の顛末が気になりすぎた私は、授業に一切集中できていなかった。
夏休みが明けると本当に色んな人が変わっていて、学部の授業でも明らかに髪を染めている人が増えた。ついでに可愛い女の子も増えた。4月は受験生の延長で、同じ試験を乗り越えてこれから勉学を共にする仲間、みたいな関係性だったのが、10月にもなると自分なりの過ごし方や大学との関わり方がはっきりしてきて、初回の成績評価だけメモして一切授業に来なくなる人だったり、春は色んな人と広く浅く関わっていたのに後期から途端に人間関係を狭くする人がいる。
梨琉と受けた一般教養を終えて、4限の専門科目を受けているときにふとそんな周囲の変化を考えた。続いて、自分の何が変わっただろうかと考えた。わからない、というかない。でも梨琉に対する感情は自覚できるようになったと思う。そういえば酒井への返信はもうしたのかな。聞けていない。休み時間に聞くことができたはずなのに。
距離を保つことに安心できる私の癖は全く直っていない。
◆
90分の授業を終えて、帰る支度をする。今日は水曜日だから、2人ともバイトがなくって、あとは帰るだけ。帰り道は梨琉と2人だけで過ごせる貴重な時間だった。
「理上さん……っ。あの」
講堂を出たところで声をかけられる。望野さんだった。
梨琉と目を合わせて、望野さんの方を再度見る。彼女は1点を除いて前期から何も変わってなくて、今日も前期みたいにずっとモジモジしていた。数秒、3人の中に沈黙が訪れて、空気を読んだ梨琉が「下で待ってるね」と先に外へ出た。
「どうしたの、望野さん」
「えっと、あの、ごめんなさい。……お話したいことがあって」
多くの学生が学業への意欲を失って講義へ来なくなる中、望野さんは前期と同じメンバーで後期も最前列に座り授業を真剣に受けていた。疑問点があれば質問をかかさないし、過去問の解答もアプリ上の学部グループで共有してくれる。それも前期から変わっていない。
「いいよ。気にしないで。ここで立ったままでいい?」
「ええ、すぐ終わりますから。……大切な甘城さんも待たせてますでしょうし」
最後は吐き捨てるように呟いて、望野さんはキリッとした目でこちらを見る。ラメが光る目元がくっきりしている。濃いめのチークは、大人しい印象の望野さんに愛らしさを付与する。
前期から変わっていない望野さんは、唯一見た目だけが大きく変わった。随分と美人になった。望野さんの噂を男どもがちらほらするようになったのも何となく耳に入ってくる。前期までの芋っぽい方が静かな中身と合っていて私は話しやすかったのだけど、可愛くなりたいという願望は誰しも持っているだろうだから別に非難する気はない。
「今月中、都合が合えばなんですけど、どこかに遊びに行きませんか?」
目を合わせた望野さんはゆっくりと言う。前期はレンズ越しだったその瞳。今はコンタクトで潤っている。
「わ、私と?」
「はい。2人っきりで」
「いい、けど……。突然どうして?」
「理上さんと、もっと仲良くなりたくてっ。タイミング、変かも知れませんが……」
仲良くなりたいと言われるのは素直に嬉しい。「多分、空いてる」と雑な返事をして、予定が空いているのは分かりきってるんだけど即座に約束をする勇気がないから猶予をもらう。「じゃ、じゃあそれだけですから」と逃げるように望野さんは帰っていった。雨はまだ止まない。
◆
「最近、サークルは楽しい?」
望野さんとの話を終えて、外で待っていた梨琉と合流する。梨琉は望野さんとの会話の内容を問いたださないで、何もなかったかのように別の話題を切り出した。
「うん。楽しいよ。相変わらず長代先輩に振り回されてるけど」
「桐華さん、魅力的な人だもんね。また会ってみたいなあ」
「いつでも来てくれていいのに」
「そうは言っても、何してるかまだ分かってないから難しいよ〜」
長代先輩は、梨琉だけが部屋に来たらなんの話をするのだろうか。異世界の件は、梨琉に隠しておかないと私を介した実験ができないので話せないはずだ。
「この前なんの話したっけ」
「んーっと、部屋に来てくれたときはね」
梨琉がミクとカナから不当な扱いを受けて、先輩が助けに来てくれた日のこと。
「でも、他愛もない話だったかなあ。桐華さん料理がとても上手で、コツとか教えてもらったよ。あと……そうだ」
指を立てて、「不思議な話だけどね」と梨琉は言う。
「『もしこの世界よりも幸せを享受できる世界があるとしたら、あなたはそっちを選ぶ?』みたいなことを聞かれた」
「なにそれ……」
梨琉を介して検証したい仮説でもあったのか。どこまでも探究心あふれる人である。
「私もわかんないよっ。でもすっごく真剣な顔だから何か答えなくちゃと思って」
「なんて答えたの?」
「『私はまだこの世界を信じてみたいです』。……って言ったと思う。真面目すぎて恥ずかしいね、えへへ。でも桐華さんは満足してくれて、それ以上は何も聞かれなかったよ」
「そう……なんだ。やっぱり変わってる人でしょ、先輩」
「そのときは確かにちょっと思っちゃったかも……」
思わず私は笑ってしまった。本当に彼女の行動動機は読めない。
長代先輩が梨琉の部屋に来て今の質問をしたのは7月のことだけど、そっから10月の今日まで、その質問に関連するような実験は私に提示されていない。『幸せ』というワードだけ引っかかるけど、特別な意味をなしているようには感じない。
「助けてもらったから、そのお礼はしたいんだ。テストだとか夏休みとかいってるうちにもう3ヶ月経っちゃった。お礼言うだけじゃなくて、桐華さんに何か差し入れできればと思うけど、桐華さんの好きなものって何か、紗葵ちゃん知ってる?」
「コーヒーかな」
私は即答した。彼女の姿を思い浮かべたとき、常に片手にそれを持っているから。
「てことは専門店で豆を買うのかな? むずかしそ〜」
目を><の形にして梨琉は悶える。時間が経ってもお礼に何か買おうという発想に至るのは純粋な梨琉らしい。
「紗葵ちゃんは桐華さんに何かプレゼントしたことある? 誕生日とか」
「いや……ない」
機会がなかったからおかしいことではないと思うけど、何か罪悪感が沸いて嫌だった。私はまず先輩の誕生日を知らないし。向こうだって私の誕生日知らないだろうけど。
「そっか〜」
「2人で、何か買う?」
先輩はああ見えて愛されたがりだ。贈り物をすれば十中の十で喜んでくれると思う。照れ隠しする先輩を想像して私はニヤけてしまう。それに2人で買いに行けば、梨琉がプレゼント選びをする労力の負担を和らげることもできる。
「わ〜! すっごくいいと思うそれ!」
目を輝かせて梨琉は言う。私の高揚が数倍になって梨琉の溌剌として返ってきた。
「それじゃそれじゃ! 今からどこに何買いに行くか決めよ!」
「めっちゃアリ。どこかで喋ろっか」
「さんせーっ!」
かつて勉強会が開かれた、梨琉が1人でクッキーを食べていた、薬学部構内にあるフリースペースへ向かって、そこにある机と椅子に腰を下ろす。近くに自動販売機があって、特別甘いものがほしいわけでもなかったけど私はいちごミルクを買ってから作戦会議を始めた。
「買うなら南下りたいね!」
梨琉の言う南、とは、繁華街のある地域を指す。百貨店もショッピングモールも小さな専門店も全部ある。案の定付近をコーヒーで検索すると、喫茶店以外で豆を販売している店が3つ引っかかった。
「周辺に3つもあるけど……どこに行けばいいんだろ」
「桐華さんの好きなものが分からないから難しいねっ」
「先輩の得意分野だと趣味趣向を掴んでいないといけないもんなあ」
「あえて桐華さんが普段買わなさそうなものにする?」
梨琉の提案は、なかなかの名案だと思った。
「それいい! プレゼントだし、意外なもの貰った方が嬉しいよね」
「んじゃ〜コーヒーじゃなくて紅茶とか?」
「もっと離れていこ」
「雑貨店に売ってる、変なTシャツとか!」
いわゆる『おもしろTシャツ』みたいなのを長代先輩が着ている様子を思い浮かべて、割と絵になってしまったのが色々悔しい。しかしそれはスタイルが良いからっていうのもあるけど、それ以前にあの人が変わってるゆえに可笑しなTシャツを好き好んで部屋着にしている様子が自然だったからでもある。
「先輩はそういうシャツ好きそう」
「そ、そうなのかな? ……紗葵ちゃんは何か案ある?」
「考えてるんだけど、プレゼントとかあんまり経験なくて、実際に店で色々見てみないとアイデア降ってこないかも……」
「そしたらそしたらさ!」
梨琉の声がフリースペースに響く。
「1日かけて色んなお店を見て、桐華さんに合うプレゼントを探しに行こうよ!」
それはつまり、梨琉と2人で1日中外出することを意味する。
「それ、めっちゃいい。楽しそうだし」
「でしょ!? 私こんな風にプレゼント考えるの大好きなんだ。絶対楽しいよっ!」
という訳で、意外なきっかけで梨琉とお出かけする予定ができた。




