恋人の定義
長いと思っていた夏休みの2ヶ月は、3連花火大会によって想定外の忙しさで終わりを迎えようとしていた。夏期講習も梨琉との勉強会も帰省もない9月下旬だけが手持ち無沙汰で、その時期に私は暇つぶしがてら長代先輩のいる講義室へ向かう。この人ならいつも居るという安心感があった。
「どうだった? n=3の花火大会は」
今日は水着なんか来ていなくて、全てがいつも通り。異世界をモニタリングし、PCの前でホットコーヒーを飲む彼女は、私が来て腰を下ろすなり実験結果を問うた。
「楽しかったです。みんなそれぞれ個性があって」
「そういう話じゃないわよ」
「あれ、目的ってなんでしたっけ?」
「経験値の話。違う人間でも、種として同じ人間だから、同じ行動をすれば得られる経験が同じなんじゃないかって話」
「あっ、そうでしたね。うーん」
思い返してみる。梨琉とは、私にとって初めての2人で見る花火で、間違いなく未知の世界を知れたはずだ。でもそれで経験を得られたかと言われれば……ちょっと難しい。先輩と2人で行った時は……。これも、『未知→梨琉との花火』と同等の経験を『梨琉→長代先輩』で得られているかと言えば、何もないように思う。ただ、先輩と2人で遊んだときのことを振り返って、1つだけ該当しそうなことはあった。
「射的で3発撃ちましたけど、あれはまさに『しっかり準備する』『経験ゆえの発見がある』を満たす状況で、1発1発ごとに同じ経験を得られていたと思います。それこそマルト君が狩っている悪魔みたいに」
画面を見る。少年は今レベリングを終えて不穏な雰囲気漂う洞窟内をパーティで探索している。どうして不穏な雰囲気が漂っているのか分かるかというと、毒霧みたいに紫色の空気が実際に洞窟内を支配していたからだ。後から知ったことだけどこれは異世界で『魔障』と呼ばれているらしい。
「人間と行く花火では何もなかったかしら」
「そうですね。……何を基準に経験とするかも決めかねますし」
「そこは難しいと思っていたから、あなたの行動データは回収してあるのよ。滞在時間とか、移動距離とか、食事の種類とか、相方との接近距離とか」
「!?」
いつの間にそんなものを。というかどうやって。
「例の2人にやってもらったの。仕事欲しそうだったから」
「やってもらうって……相当綿密に行動監視しないといけないですよね?」
「ええ。だからあなたは3回ともストーキングされているわ」
あっさりと放ったその言葉は私の心に小さなわだかまりを作った。
「……で、ストーキングで得たそのデータは何か語るんです?」
「生データじゃ全然だめ。研究室にある解析ソフトにかけて、グラフで傾向が見えそうなら、うまい具合に適応する範囲を調節したり、数値通り割り算して比で出したり、統計方法を変えるなりして、理論化できそうなパラメータを作り出すわ」
ここまでするモチベーションが一層不思議である。シラフでは聞いてもヒントすら与えてくれないだろうから聞く気は湧かない。
––––『幸せにできるかもしれないから』。先輩が祭りで発していた言葉をふと思い出した。
「あの、色々とありがとうございました」
「何が?」
PCとにらめっこしていた長代先輩が画面から目を離す。
「先輩が実験を設定してくれたおかげで、楽しい夏休みになりました。目的地で行われる行事は全部同じでも、行く人で全然味わい方が違うなって思えたし。先輩と2人で行ったのもとても楽しかったです。ゲームが苦手なのお茶目だったし」
花火を見ながら自然科学のうんちくを語る長代先輩、風流を無視して締めの飲み会に全力投球する時雨さん、誘えなかった私をリードして、花火を眺めながら寄り添った梨琉。エピソードに付随する感情が全部違うベクトルで、でもそれは間違いなく『幸せ』で、きっと私が自ら計画するだけでは周りの人の個性に目を配りながら思い出を作るなんて所業できなかったと思う。先輩は実験だと言っているけど、私にとっては結果的に人間交流を後押ししてもらうきっかけだった。
「私にどういうモチベーションで指示しているのか知らないですけど、私、実験のお手伝いするのすっごく楽しいです。……これからも、よろしくお願いします」
無意識に頬を緩めていた。自然な笑顔をちょっと前まで意識していたのが嘘みたいに。みんなが、私に向けてくれるその笑みを、私も長代先輩に向けてみたくて。
「私、幸せですよ」
先輩が幸せにしたい対象が誰だか分かんないけど、もし不特定多数を指しているならば、私はその集団にカウントされても構わない。
「そう。良かったじゃない」
もっと皮肉めいた返しを期待していたのに、暖簾に腕押しと言わんばかりに先輩の反応はあっさりだった。私と目を合わせようともしない。
でも、よく見ると口角がすこーしだけ上がっている。これは、もし『感情解析ソフト』なるAIにかければ、『喜んでいる』とカウントされそうなやつ。
「もしかして先輩照れてますー?」
「……はぁ?」
「これ以上喋ったら喜んでるのバレちゃうから隠してますよね」
「別に……っ」
反論した拍子に、鼻が軽く痙攣した。表面張力で保ったコップ内の水みたいに、溢れんばかりの感情が先輩の表情筋を弛緩させようとしていた。目を合わせて、お互いに『喜びを我慢している』ことが共通認識になる。
「仕方ないでしょう。どこの遺伝子にコードされてんのか、どこの神経が仕事してんのか知らないけど、良いこと言われたら人間喜んじゃうものなの……!」
「喜ぶのはいいんですけど我慢するのが先輩らしいなあって」
「……。お手洗い」
早歩きで先輩は部屋を出る。プルプルしていて、平生の優雅さに欠ける。照れ屋だなあと思う。もはやツンデレの域。この一面があるから、普段のストイックな面と接していても嫌いになれない。
1人になった部屋で大きなモニターを眺める。何もない方向に祈りを捧げるマルト。祈る両手を優しく包み込んで寄り添うパーティメンバーの1人である女の子。確か魔法少女だったような。この様子を見るだけでも、2人が信頼し合った関係だってことが理解できる。
楽しい時間の隙間には、空き巣みたいに寂しさが狙って侵入してくる。2人の冒険者が寄り添う姿にまた自分と梨琉を重ね合わせようとして、やっぱり合致しない。途端に気分が沈んで、私はそれ以上のモニター観察をやめた。




