長月の時雨さん
「え〜さーちゃん今日に授業入れたの〜!?」
9月も中旬に差し掛かろうとしている。気温以外は「夏」が薄れてきた時期に、私は3回目の実験をする。
誰かと計3回も花火を見に行くなんて、思い返してみれば随分と充実した夏休みだ。実家のベランダから遠くに見える花火を見たことはいくつもあったけど、実際に祭りや大会に参加したのは人生でも数えるほどしかない。
そんな経験も今年だけで3回目を迎えようとしている。共に向かう時雨さんは、私がバイト後に向かうと伝えると浴衣姿で校舎まで来て、講師室でさっきの台詞を吐きながら不服そうな顔をした。
「ごめんなさい。代講を依頼されちゃって」
「どこの誰だ〜? 1年生のさーちゃんに仕事押し付けているのは」
「私もお金欲しかったんででwin-winですよ」
「でも今日は私とお出かけする日だったじゃん〜」
「ごめんなさい時雨さん。約束の時間に間に合うために、もう授業は終わりましたから」
「時間の問題じゃなくて! その服装!」
スーツ姿の私を指して時雨さんは言う。
「今からお出かけするのにスーツ!? この教室着替えるところあるのに、今日はスーツで直接来ちゃったの〜?!」
「気合入れた服装で教室来るの恥ずかしいじゃないですか」
「むぅ〜」
もちろん、本当は実験条件を統一するために、長代先輩の言うことに従ってスーツで向かう理由を作り出しただけだ。時雨さんは優しいから許してくれるだろうと思って、私は甘えている。どうしてそこまでして長代先輩の命令を遵守しているのかと聞かれれば……自分にも分からない。
口を尖らせている時雨さんの顔が次第に緩んでいく。ルージュの艶が上品に照らされている。
「ふふ。しかし私も伊達に大学生やってないぞ。この可能性を考えて、予備を持ってきたのだ」
「よ、予備……?」
「そう! だから今すぐ更衣室へ!」
他の講師の目は気にせず、時雨さんは私を更衣室に無理やり連れて行く。小さなバッグと別で、手に下げた紙袋は大きく膨らんでいて、ここにたくさんの衣類が詰め込まれているんだろうってことは容易に想像できた。
◆
「外がいくら暑くても今は秋だから、月灯りに映えるイメージでね」
私の腰に帯留めを付けながら時雨さんは言う。それくらいは自分で、と言っても手を離さない。鏡に映った浴衣は佳麗で、記念に自分の写真を取りたくなる。
「こういった和装とかに詳しいんですか?」
自分で着た場合の見た目をイメージしてみる。きっと細かい部分であらゆるところが崩れるだろう。もちろん着ていかなければならない状況になればネットで調べて全力は尽くすけど、時雨さんほど綺麗に着こなす、ましてや他人にまで着させてあげることはできないように思う。
「ううん。そんなに。……成人式の時に色々教えてもらったくらいかなあ?」
自然な口調で彼女はそう答える。としたらセンスでこなしているのか。「さーちゃんを可愛くしてやりたいって感情第一だよ〜」とまさにセンスありきの言葉を時雨さんが発する。
「すごく上手いんで、びっくりしました」
「そう〜? もっと褒めて」
「残りは出かけてからに置いときます」
「いけずー」
こんな感じ、と時雨さんは私から一歩距離を置く。こんなに丁寧に仕上げてくれるならもっとメイクに力を入れればよかった。写真は加工するけど、鏡に映る生の私も、時雨さんみたく上品であれば良かったなあと思いつつ、私は何枚か自画像を撮る。誰かに見せる目的とかもなく。
「この前妹がいるって言ったでしょ」
時雨さんと鏡越しに目が合う。
「妹の成人式に着物を着るから、業者さんじゃなくて私が着付けしてあげられたらなあって思うの。だから浴衣で和装慣れしたいっていう感情はあるなあ」
「妹さん、おいくつなんですか?」
「いま中2!」
「結構離れてますね……8歳差?」
「うん! めっちゃ可愛いよ〜」
「年離れていると会話とか大変じゃないですか?」
「全然そんなことないのだよそれが〜。ただただ可愛いなあって感覚。一緒に服見に行ったり流行りのアイドルとか喋ってたらあっという間に時間過ぎちゃう〜」
「あー、たしかに。女の子は、中学生でも大人ですもんね」
「さーちゃん、まさにそのとおり! でもお母さんとお父さんには反抗期でちょっと厳しいところあって……。それでも私は喧嘩しないかな? 赤ちゃんだなあと思っているうちに気づいたら反抗期来てて、会話が合う頃には向こうも私にべったりとかじゃなくなるから、ちょっと寂しかったり……」
気の早い時雨さんは数年後のことを考えて既に憂いた。
「幼くなる分、違う経験を一緒にできるのはいいんじゃないですか。それこそお酒とか」
「まさしく! 妹とお酒飲める日には、私の人生の目標が果たされたといっても過言ではない……っ!」
「大げさですね……」
「本音で言ってるのだよ私は〜。だからさーちゃんも早くお酒たくさん飲めるようになって私と一日中飲み明かそうよ。さーちゃんは名誉優木家三女でしょ?」
「そんなこと言った覚えありません。しかも妹さんより年下扱いって」
この人は本当にお姉ちゃんだなあと改めて感じる。学年が3つも離れた人と今から数時間は共に過ごすのに、変な気遣いや緊張感は微塵も感じない。
私は引っ張られることに耐性があっても引っ張るのは苦手だから、時雨さんの会話力から学んで梨琉との会話に活かせばよいなあ、なんて考えた。
◆
いくら私にとって貴重な経験といえど、1ヶ月以内に3回も花火大会にいくと雰囲気に慣れてくるもので、あえて目新しさを感じたことといえば綺麗な浴衣で歩くのがウキウキしたってこと。何かにつけて時雨さんは気持ちよくなってくれる言葉をかけてくれるし、花火背景に映える写真も頻繁に撮ってくれて、『遊び』に対する満足感はダントツだった。あと屋台のゲームもめちゃくちゃ上手かった。
色んな思い出を作るうちにメインの催しは終わって、花火も祭りも終わった会場を時雨さんと並んでゆっくり歩く。人並みはもうだいぶバラけた。
初秋の夜でも浴衣で肌寒さを感じることはなくて、これなら空調の強い図書館の方がよほど寒い。この国は5月からずっと暑いなあと思う。浴衣と肌着の間空気を入れて胸元を冷やしていた時雨さんが、思いついたように口を開いた。
「そうだ。記念撮影しよ〜!」
「ここで、ですか?」
「うん、だってほら」
彼女は空の一箇所を指差す。静かになった空に、満月だけが残されている。炎色反応に基づいた文化的な光とは違った美しさがある。ちなみに炎色反応のことを花火の途中で話したら時雨さんは「よくわかんない」と言いながら大声で笑った。
「せっかく綺麗な格好してるんだから、夏の思い出〜」
「いいですね。撮りましょ」
誰かにお願いしよう! と時雨さんは駅へ向かう人の中から声をかけられそうな人を探す。帰る途中のカップルを見つけて、彼らは快く撮影を承諾してくれる。
「ほらほら、撮るよさーちゃん」
「ポーズ難しい……」
「それじゃあハイ、チーズで撮りますねー」
カメラを持つ男性のそばで、パートナーであろう女性が優しい目をして彼を見つめる。その2人のうちどちらかに自分を重ねてみようとして、上手くハマらない。
将来的に、私はいつか誰かとああいう関係性になるのだろうか。
「もう! またさーちゃん考え事してるでしょ! 疲れたの〜?」
気づけば写真撮影は終わっていた。見せられた写真の中の自分は無意識に良い笑顔でピースを作っていて安心した。
「お腹空いたのかもしれないです」
悩み事の内容が恥ずかしくて、私は即座に思い浮かんだ言い訳をした。
「うーんそれは確かに」
月の下で白く輝く時雨さんは、空を見て難しそうな顔をする。
「花火みて、秋の綺麗な月をみて、それでさーちゃんと楽しくお話して……。うん、そうだね。やっぱり足りない」
「……何の話ですか?」
「こんだけエモいものたくさん積み重ねたのに」
「のに?」
「アルコールが足りていない。さーちゃんもそう思わない?」
「……」
「そうと決まれば、今から飲みに行こ! まだ8時過ぎだから2時間飲んでも10時には解散できる! 健全だ!」
「あーはは……」
時雨さんは半ば強引に私を引いて、片手で店を探しながら近くの駅へと歩みを進む。スイッチが入った時雨さんを止めるのは至難の技だ。腕がずっと彼女の胸に当たっている。
周囲をたくさんのカップルが歩く中で、私たちが一番密着して歩いていた。いや、そう歩く羽目になった。




