先輩と浴衣と屋台と
梨琉と花火を見に行った日、8月25日から、1週間が経った。
再試は無事に乗り切った。ミクやカナとトラブルになることは全くなくて、ただカナの視線は時折感じたように思う。テスト自体は梨琉と2人で頑張ったから苦戦しなかった。
再試終わり、長代先輩にどういう状況で花火を見たのかと聞かれたので、単発バイト終わりでスーツを着ていたということ、会場にはたどり着けなくて遠くの河川敷から見たということを伝えた。
「だからってー、ここまで再現させなくてもいいじゃないですか」
実験条件は極力統一したいという理由で、2回目の実験、すなわち先輩との花火大会もスーツで行かされることになった。
花火大会に行くと分かっていて自らスーツを着るのは滑稽なので、無理やり塾の予定を入れてスーツで行く納得の理由を作り出す。
「駄目よ。浴衣に着替えちゃったせいで、前回と違う経験になってしまうかもしれないでしょ」
先輩はそう言うけど、そんなことを言い始めたら会場の位置が違うし、開始時刻も、周囲の人の数だって全然違う。そもそも前回は河川敷で見たと伝えたのに、先輩はウキウキで花火大会に伴う夏祭りへ私を参加させた。隣で、「何を食べようかしら」なんて嬉しそうに周りを見ている。この人は遊びたいだけなんだろうなあ、と思いつつ。
「先週のは梨琉もスーツでしたよ。2人ともスーツ。それも統一したほうが良かったんじゃないですか?」
「せっかくなら浴衣着たいでしょう」
「やっぱりこの人遊びたいだけだ……!」
私の指摘は一切気にしないで、「どう?」と体を回転させて全身を見せる。言ってほしそうだから、「綺麗ですよ」と伝える。別に嘘じゃないし。
「甘城さんとは、本当に花火見たの?」
「見ましたよ」
「どうだった?」
「得られた経験とかですか?」
「いや、感想」
「んっ……」
不思議な夜だった。あの夜にずっと居たいと思えるような。周りに誰もいなくて、隣あった梨琉と2人花火を眺めていた。思い出せるのは、それだけ。
自分の感情は全部こびりついているんだけど、客観的なエピソードとしてのあの日の記憶は、爆発した後の花火みたいに細かく分断されていて、綺麗に復元できない。
「思い出すのにそんな時間かかることある? 本当に行ったの?」
「いきましたよ! ほんとですよ?」
「まあ特別不快な思いとかしていない限りは気にしないわ。……あっ、射的!」
一瞬子供みたいな声を出して、高そうな浴衣を身にまとった先輩はお店の方へ駆けていく。「理上さん理上さん。あたしこれ得意なの」と早口で言った。難易度と1回あたりの料金考えると景品は割りに合わないよなあ、なんて珍しく私の方が理性で勝っているうちに、先輩は2人分の料金を払っていた。
根は悪くないんだろうけど圧のある喋り方をするおじさんに銃を貰って、構え方が分からないから先輩の方を見る。和の装いと洋の武器がマッチしていい意味で熟練の暗殺者みたいだ。先輩の見様見真似で、私も構えてみる。
先にやってみなさい、というので軽くトリガーに手をかける。チャンスは3回まで。初めに感覚を掴んで、残り2回で倒せそうな景品を狙いに行く。
1度目は狙っていない景品にまぐれで当たった。後ろの方から歓声らしき声が聴こえる。みなに見られていると思うと恥ずかしい。緊張感の中で、2発目を、キャラメルの箱に向けて撃つ。中心から少しずれた位置に当たって、お菓子の箱が傾く。弾道は思ったより右にズレるな、と学習して、今度は気持ち左を狙い撃つ。ラストの弾は左を意識しすぎたみたいで、箱の左を通過していった。
「あ〜! 惜しい!」
長代先輩が声をあげる。私より周りの方がよほど悔しそうであった。利益を得るはずのおじさんすら「行けたなあ」と悔しがっている。
「あなたの遺志は、私が確かに受け継いだわ」
「まだ死んでません」
「仇を……取ってあげる」
私よりか何倍もスタイルの良い女性が洗練された姿勢で銃を構えるので、周りの高揚感はさらに加速する。
細くて白い指が、ゆっくりとトリガーを引く。
銃声が晩夏の空に響いた。
1発目。
「……」
2発目。
「……!?」
3発目。
周囲から、どよめきが起こる。
店主のおじさんは、先輩が撃った弾道をありえないといった表情で見つめていた。
「……ふぅ」
「先輩……」
「この店は、ぼったくりね」
恐ろしいことに、長代先輩は全ての弾を外した。究極に下手であった。
◆
「これでもねえ、真面目なのよあたしは」
イカ焼きを膝の上において、レモンサワー片手に先輩は呟いた。ある程度遊び終えた私たちは、適当な位置に腰を下ろしながら食事をしている。
「真面目って……何についてですか?」
「異世界に関する実験のこと。理上さんにたくさん手伝ってもらっているでしょう?」
花火が打ち上がり初めて、周囲の人々がたくさんの声をあげる。喧騒なんて一切気にしない様子で、先輩は遠い目をしながら観衆を見つめていた。
「1つ1つの謎を紐解いていけば、いつか誰かを幸せにすることができるかもしれないから」
『誰かを幸せに』なんて彼女の口から出てきたのがあまりにも意外で驚いた。けれど、私がのぞいた横顔は3ヶ月の経験から察するに真剣な表情をしていて、夢を見ている訳でも面白いと思ってふざけているわけでもなさそうである。
「どういうことですか? それ」
「どういうことかしらね」
先輩はサワーを飲み干そうとして、何かに気づいたみたいに口をつけるのを辞めた。私の方を見て、優しい顔をする。
「甘城さんとは、こんな風に花火を見たの?」
「え?」
「河川敷で座って見たのでしょう?」
「ああ、まあ」
今日は屋台が近くにあって、9月なのに懐かしげな夏の残り香がして、花火は前より近いし、隣には浴衣美人がいる。梨琉と見たときよりもよほど舞台の整った『花火大会』である。でも、前味わえたみたいな心の溶けそうな高鳴りはどこにもなくて、一方で雰囲気を全力で謳歌できるような安心感にひたすら包まれていた。
「あたしが隣にいるのと、甘城さんが隣にいるのとでは、やっぱり違う?」
突然の質問に心臓が止まりそうになった。どうせ先輩のことだから興味本位だろうと自分に言い聞かせて、呼吸を整える。
「甘城さんとは、どこまで行ったの?」
「なっ……!?」
慌てて、食べていた焼きそばを落としそうになる。反論しようとした矢先に、先輩は私の顔をスマホで撮影した。
「い、いきなりなんなんですか色々と」
「可愛い後輩が友達と仲良くなっているなら、気になるでしょう。甘城さんだって別に他人じゃないし」
「そう……ですけど」
この人は賢いから、もしかしたら私の気持ちを見通していて茶化しているのかな、と考えると、無理に喋らない方が得策に思える。先輩は口角を上げて私の写真を見てから、実物の私へ顔を近づけて凝視する。香水のせいか、首元から良い香りがした。
「うーん、ありえるかもね」
「な、なにがですか」
梨琉のことが好きだって、先輩にバレるのは恥ずかしい。面白がって変な実験を押し付けてくるかもしれないし、それは別としても今後イジられるって考えたら常に私は不利な側に立たされる。
「いや、ちょっと思ったのだけどね」
打ち上がった、綺麗な青色の花火を指していう。
「花火が、どうしてカラフルに光っているのか知ってる?」
「たしか、炎色反応だったと思いますけど」
炎色反応––––高校生のかなり序盤に化学で習う。金属を高温で熱したとき、金属の原子1つ1つは熱エネルギーを受け取る。原子は、そのエネルギーを受け取って高いエネルギーを持った状態になる。高いエネルギーを持った状態の原子が元の安定した状態に戻るとき、その差分として原子は光を発する。原子によって差分がことなるから光の波長も異なる。ゆえに私たちが観察する色も異なる。金属の性質に関する反応の1つだ。
「炎色反応では、エネルギーの差分を波として発するでしょ? それが高かったり、低かったりして波長が変わる。それをあたしたちは色で判断するしかない。これが人間にも応用できないかと思って」
私は「はあ」と答えるので限界だった。この人はやっぱり変わっていて、花火大会の真っ最中でも思いつきで仮説を検証しはじめる。
「他人から受けた刺激に対して心地悪ければ放出するエネルギーが変わるはずで、でもその心情は本人にしか分からない。代わりに第三者は表情を観察することができる。あたしと居るときと『甘城さん』の話題をしたときの2パターンであなたの表情を比較して、心情相当のエネルギーの高低を判断できないか考えてみたの。つまり、『色』で金属が発するエネルギーを区別するのと同様に、『表情』であなたの心の動きを観察できないかって」
せっかくの花火大会でもったいないことに時間を使う人だ。だからこそ一緒にいて楽しいのだが。
「何かわかりました?」
「うーん、あなたが甘城さんの話をするとき目を逸らすってことくらいしか。そもそも心情のエネルギーが高いことが高揚の証なのかも定義しかねるわ。青は波長が短いから赤よりもエネルギーが高いのだけど、人間は気分が悪いときに『青ざめ』て、興奮したときに『顔を赤らめる』。逆になっているのもなかなか興味深いけど、いったん顔が緑になることはないから『色』で評価するのはやめて『表情』を……」
「あああもういいです!」
花火みましょうよ! と言って先輩の話を遮る。聞いたのはあなたじゃない、とツッコまれたけど正論だったので反論はやめた。この人は多少突っかかってもコミュニケーションが取りやすい。そもそも私を拘束することから始まった出会いだし。
「今からは難しいこと考えるの禁止! 純粋に花火を楽しみましょうね」
私からそう切り出して、それからはゆっくりご飯を食べながら可愛い形の花火について感想を述べたり、一方的に顔を撮られているのは悔しいので2人の並んだ図を思い出代わりとして私のスマホ内カメラで記念撮影した。
梨琉とも、形になる思い出が作れればよかったのに。




