本音
『今度、梨琉とここに行こうと思っていて』
1度目の花火の詳細を長代先輩に伝える。実験については私が報告するだけじゃダメで、いつどこで誰と行くかまで教えてほしいとのことだった。思えば、私が梨琉と一緒にいるときの行動のたいていは長代先輩も把握している気がする。私と梨琉だけの世界っていうのは、今までないように思う。
先輩はOKとだけ雑に返事して、あと2回の予定も早く決めましょうと問うてきた。
そうして、長代先輩と2人で花火に行く日や、1度目の実験(花火大会に行くこと)での留意点の共有がされたり、地元では相変わらず暇な日々が続いて、帰省を終えてから時雨さんとも花火の約束なんかを取り付けるうち、その日はやってきた。
8月25日の、日曜日。
「紗葵ちゃん! おかえり〜」
試験監督の講習はオンラインだったので、帰省から戻ってきて初めて梨琉に会う。
「ただいま。久しぶりだね」
「ちょっと大きくなった?」
「2週間しか空いてないでしょー。……え、まさか太ったって意味」
「違う違うよ! シュッとしているから親戚のおじさんが言うのと同じ意味合いで身長のことだったけど、そう見えるのはスーツのせいかな?」」
そう言う梨琉もシックなスーツを着ていて、私が彼女に抱く幼気だという印象と見事なギャップを生んでいる。「入学式着た以来だから着こなし分かんないよ……」と苦笑いする梨琉に微笑み返す。スーツに合わせたメイクをしていて、大人っぽいその顔に見惚れてしまった。
大学の最寄り駅から電車で1時間揺られて、中心地から少し離れたオフィス街にて電車を降りる。日曜日だからか、さすがにスーツは私たちくらいしか見当たらない。目的地に着くまで、帰省の間にしたことについて話した。帰省の思い出なんて特にないはずなのに、会話はあっという間に1時間が過ぎた。
参加者同士でミーティングをした後、生徒たちがやってくる。梨琉と同じ部屋の担当にはなれなかったけど、なったとて会話できる訳はないので、私は仕事に集中する。仕事といっても、時間が過ぎるのを待っているのが大半だ。あまり得意ではない部類だなあなんてことをぼんやり考えて退屈と戦った。
模試は特にアクシデントもなく終了した。高校生がいなくなったビルのテナントで、アルバイト同士答案用紙の最終チェックをする。
「それじゃ〜解散で!」
1人の男の子が言う。全てが終わった時、時刻は19:30。思ったより長引いた。今から、花火の打ち上げ開始まで30分しかない。目的までかかる時間も、駅までの移動を除いて30分。遅れるのは確定である。
参加者の1人が「今からみんなでご飯行かないか」と提案した。色んな人が積極的に賛同の声をあげる。盛り上がる部屋の騒がしい中で、隣にいた梨琉が「私たちも行く?」と尋ねてきた。
「いや、私は……」
「予定ある?」
「そうじゃないんだけど」
花火を見たい、と提案するタイミングを完全に失う。梨琉は不思議そうに私の顔を覗き込んでから、少し大きめの声でいった。
「紗葵ちゃんが乗り気じゃないなら、私も帰ろっかなっ!」
梨琉は飲み会会場を探すメイングループに入り込んで、「ごめん、私たちは帰るねっ」と大きく頭を下げる。
「え〜、梨琉ちゃん来ないの?」
モデルみたいなスタイルの男がそう返した。同年代とは思えないほど、顔が整っていて色気もある。彼の言葉に、梨琉は「うん。予定あって」と即答した。
「1杯だけでも来れない?」
「厳しいかなあ。ごめんね」
お先に失礼しますっ、と逃げるように梨琉は私の手を引いて、部屋から出た。出る直前、男が私を露骨に睨んでいた。
◆
「私、あの人と同じ部屋の担当だったんだ〜」
駅に向かう途中で梨琉はそんなことを言う。夏真っ盛りでもさすがに周囲は暗くなりつつある。
「お昼ごはんも誘われちゃって……」
どうりで、お昼時に会えなかったわけだ。
「しかも連絡先交換しようってしつこいんだよ! どう思う!?」
梨琉は頬を膨らませる。どういう意図で私に聞いているのか分からなくて、「でもすごくカッコいい人だったよ」とだけ返す。
「スタイルと顔は素敵な人だけどね〜。あんまりグイグイ来る人は苦手……」
梨琉は積極的な人がダメなんだ、と無意識に脳内にメモ。なおさら花火に誘いづらくなる。
「結局連絡先は交換したの?」
「うんっ。一応」
「もしかしたらこれから仲良くなるかもしれないんだ」
「ええ〜、ないと思うなあ。会うの難しいし」
ミクとカナに「梨琉には彼氏がいる」と聞いたときよりも、もっと、強く打たれたような、心臓を掴まれているような、苦しみが私を襲う。体がだるくなって、なんだかモヤモヤする。帰省してから、自分がどこかおかしいようで怖くなる。あの男がもし梨琉と付き合うことになったら、と思うだけで気が狂いそうになった。
「そいえば、紗葵ちゃんはもう帰るの?」
「……えっと」
「実は梨琉と花火に行きたいんだけど」。これを伝えるだけなのに、言葉が声にならない。誘おうとすると、全身の筋肉が硬直して動かない。
「大人数でのご飯苦手?」
「そーでもないかな……」
「あー、わかった! 今からも勉強して再試完璧にするんだ!」
それにも、黙って首を振る。どこかで嘘をつけばいいものを、それすらできない私は哀れだ。
「もしかして私に言えないことだったかな……。しつこく聞いちゃってごめんねっ」
梨琉が申し訳なさそうな顔をして、私は焦りと自分への怒りに苛まれる。
何とか、今の空気を変えたいと言葉を探していたとき。
「……えっ、見て! 紗葵ちゃん! 花火だよ!」
遠くから爆発音が聞こえて、ビルの隙間から綺麗な黄色の花火が見えた。
◆
「急ご急ご! もう少し近くまで行けば綺麗かも!」
結局自らは切り出せないで、花火が始まったのを契機として、梨琉の「見に行ってみる?」に私が頷くことで花火を見る約束を取り付けた。いつまでも受け身なままの私。
「川の方にいけば河川敷だから、ビルが邪魔にならないでよく見えるかも」
「紗葵ちゃん! 天才!」
オフィス街の主要道路から外れて、近くを走る高速道路のすぐ側には河川敷がある。向こう側から見ればたくさんのビルが望めて、こちら側から見れば住宅街が映る。つまりそこまで行けばビルに阻まれずに花火が見られる。……間に合わなかった場合そこを候補にしていたのですぐに提案できた。
2人で、河川敷に向かってオフィス街を駆けていく。
「ハイヒール……走りづらいよっ……」
息を切らせた梨琉は、赤信号を待つ間に私へ手をのばす。図書館でコツンとぶつかった小さな指に、今は汗が滴っていて、それが私の指と絡まり合う。そうして手が繋がれる。信号の色は切り替わって、私たちは走り出す。
「ここの花火初めてみた……いつまでやってるのかな」
「たぶん、このペースで行けば座ってピークを見られると思う」
「そしたら、頑張って走ろっか!」
夜景から脱出するみたいに、大きなビルや地下鉄の入り口やブランドのショップが視界を過ぎていく。花火の爆発する音は少しづつ大きくなって、光とのズレが小さくなってくる。ビルの灯りが減ってきて、土の香りが漂い始める。
「登れるところあるかな?」
「あっちに階段が」
河川敷にかかる階段を偶然見つけてそこから登る。車を避けて車道を越えて、川の側で腰を下ろす。湿った土がスーツのスカートを濡らすけれど、立っているよりかは何倍も楽だ。
「着いた〜」
隣に梨琉が腰を下ろす。手はまだ繋がったまま。胸と手のひらが熱い。
「喉乾いちゃった……」
「どこかで飲み物買っておけばよかったね」
「私が急かしちゃったからだぁ、ごめん紗葵ちゃん」
「梨琉は別に悪くないよ。むしろ、一緒に花火が見れて嬉しい」
「えへへ〜」
図書館の裏に隠れた時と違って、今の梨琉は紅潮ぎみに微笑んでいる。花火がときおり、落ち着いたメイクで幼く笑う梨琉の顔を煌めきで照らす。
きっと花火のもっと近くでは浴衣を着たたくさんの人々が私たちと同じ景色を見ているのだろうと思う。河川敷には、スーツを着た私たち以外、誰もいない。
「綺麗だねっ」
「うん……」
私が梨琉の呟いた言葉に軽く挨拶すると、繋がれた手の位置に、梨琉の体が入り込む。密着するくらいに近くなって、ジャケットの奥の、ブラウスの内にある柔らかさを腕で感じる。
ずっとこのままだったら。
「ずーっと、こうしてられたらいいのにね」
私の思っていることを梨琉が言う。
その言葉で私の時間は本当に止まりそうになる。
横を向いて、至近距離の梨琉に問いかけた。おんなじ気持ちだけど、隣の梨琉が愛おしくってどうしても尋ねたくなった。
「……どうして?」
「だって、明後日には再試があるんだよ」
「頑張って勉強したから大丈夫だよ。梨琉は私より賢いし」
「テスト、はね」
そうか、ミクとカナのこと。
再試には、2人も来るんだ。そのことを図書館で会ったいつの日かに伝えた。たしかその日の梨琉は「そうなんだ」と軽くうなずいただけで、それ以降も特に2人の話題になることなんてなかったけれど、やっぱり梨琉は怖がってたんだなって思う。
「大丈夫だよ、梨琉」
初めて触れた彼女の髪は、湿気た空気なんか関係なしに私の指をすり抜けてゆく。
「再試はさ、早く解いて、早く帰ろ。テスト前は、私が近くに座ってるから」
「えへ、ありがとっ」
私も紗葵ちゃんの髪触ってみたい、と梨琉が言う。小さい指が耳や首に触れてくすぐったい。
「……私ね、紗葵ちゃんと出会えて、本当に良かったよ」
梨琉は私に安らぎを与える言葉を発するのが得意だ。
でも、今の私は落ち着くだけじゃなくて、どこか浮いているような、未知の発見をなし得たような幸福に支配されていて、頭はふわふわしてくる。
「この前、紗葵ちゃんのこと、信じていいかな? って聞いたよね。……信じてよかったなあって思う。だって今、こんなに幸せで、温かいんだもん。私、こんな友達ができたことなかったもん」
もたれていい? と、尋ねた梨琉に「いいよ」と囁いて、初めて会った時みたいに彼女が私の肩に頭を寄せる。
梨琉の脈を感じるので精一杯で、眩しすぎる空の色は何も認知できなかった。空気も、匂いも、温度も、私が触れているものは全部梨琉のもので、繋がった手を接点に混ざり合ってしまいたくなった。
「私も、梨琉のこと……」
ふわふわの頭で言葉を紡いで、続くのに相応しい私の想いが見つからない。
トロンとした目の梨琉が「なぁに?」と呟いて、私は「ううん」と首を振る。そのタイミングで、眩しすぎる花火がピークを迎える。
今だったら、自分に正直になることくらい許されてもいいかもしれない。
ずっと、わかんなかった。梨琉は誰にでも愛される人間で、誰にも愛情を振りまくことができて、私なんかとは違う、いわばカースト上位の人間。だけど、深追いしてみれば孤独の香りがして、身近な人物の恨みを買っていて、たまに色のない瞳で虚空を見つめる。
そんな梨琉が不思議で、だから先輩に言われるがままに『実験』として付き合うことで、彼女に迷惑をかけない範囲で、その謎を解こうと思っていた。理論化するには骨が折れるから、彼女とは積極的に交流しなきゃなんないし、未知ゆえに好奇心が仕事しているものだと思っていた。
実際は、そんな論理なんて滑稽なくらいに、単純な理由があったんだ。
私は、梨琉のことが好き。
その事実を認めてしまったとき、馬鹿みたいに心が軽くなって、その正直に身を委ねるように、私も華奢な梨琉に身を寄せた。とめどない花火は、カラフルで、とても綺麗。




