思い出と実験条件
『そっかあ……。それじゃあしばらく会えないね』
地元へ向かう新幹線の中で、梨琉からそんな返信が来た。一人暮らしモードから実家モードに切り替わるのは変な感覚で、運動会へ応援に来てくれたお母さんと、クラスの友達両方の前で適切な人間が演じれなかったときみたいに、ある程度人格の狭間にいるから、途端に普段の友人関係が恋しくなったりする。
今だって、もっと梨琉と遊んでおけばよかったなあ、とか、時雨さんやアルバイトの人と色んなお店を巡れば良かったなあとか、遅すぎる後悔をする。お盆を過ぎても大学の長い夏休みはまだまだ続くから、思い出はあとからでも作れるのだけど、じゃあ戻ってから積極的に動けるかといえばそれはまた別の話。
梨琉のメッセージには『ごめん』を示すスタンプを送っておいた。既読がついて、特に返信はない。何が『ごめん』なのだろう、と送ってから不安になる。別に梨琉にとっては、私と会うことなんて絶対的な幸せじゃないのに。
たまに、梨琉は私といて楽しいのかなあ、なんて考えてしまう。メンヘラっぽくて良くないと思う。でも梨琉は優しいから、惰性で私と付き合ってくれてるんじゃないかって思い込んでしまう。そんな考え、梨琉に対しても失礼だってわかってるけど。
たぶん、そのせいで私は彼女に踏み込めない。だから夏休みも『再試』を理由に会うのが限界で、遊ぶまで実現しない。帰省でいなくなることを伝えられなかったのは、伝えたら自分の存在が梨琉のとって必要であると私自身が思っているようで恥ずかしくなるから言えなかった。長代先輩や時雨さんにはすぐ伝えられたのに。
カースト上位と交流することなんてなかったから、梨琉との関係には慎重になってるんだろう。また踏み込みすぎて、中学や高校の頃みたいに嫌われるのは怖い。
物思いに耽ると強烈な眠気が来て、目を覚ました頃には実家の最寄り駅だった。お父さんが迎えに来てくれて、最近の生活なんかを聞かれる。アウトプットしてみると、本当に大した生活を送っていないことに気づいて辛い。
ゴールデンウィークぶりに帰ってきた実家の床に重い荷物を下ろして、「ただいま」と「ご飯になったら降りるね」とだけお母さんに挨拶したら自分の部屋に向かう。私は兄弟がいないから、かつて住んでいた部屋は大体そのまま。明日明後日に地元の友達と会う以外は予定なんかなくて、極めて退屈な1週間が始まる。
結局梨琉とのトークは私がスタンプを送ったきり終わっていた。
『今、時間ある?』
家族との食事を済ませてリビングで会話していると、長代先輩からの電話が来た。断る理由もないので、部屋に戻って電話をする。
『どうしました?』
『この前の経験値のこと』
『もしかして実験内容決まりました!?』
無意識のうち、食い気味に問いただしてしまう。なぜだかはわからない。
『あらかた、候補になりそうなものはいくつか選んだのだけど、決定までは至らなくて……。理上さん、あなた何か今回の実験で重視すべき要素とか思い当たらない?』
『あー、それなら』
ちょうどよい質問である。私はこの前時雨さんと話したときの内容を思い出す。人間でも、『塾における多種多様な生徒相手の授業』というケースであれば経験値がある程度均一だという話。
『私のバイト先の人が、人間でも毎回同じ経験得られるって話してて』
『へえ、興味深い話』
私は時雨さんの言っていたことを伝えた。特に、それが『慣れていていてもそれ相応の準備をするから』『熟練でもそれゆえの新たな発見が得られるから』という2つの要素に起因することを述べた。
『なるほど。かなり参考になったわ。だとしたら……そうね。この作戦がいいわ』
電話の向こうでカタカタとキーボードを叩く音。お盆の夜に、彼女はどこでパソコンを打っているのか。
『あたしも2つ、大事にしたいと思っている条件があってね』
声だけでも、先輩のほくそ笑むような、いい案を閃いたときの顔が思い浮かぶ。きっとそんな顔で話しているに違いない。
『1つは、人間関係に関して理上さんの大きな成長が望めそうなもの。2つ目は、初体験と経験済みでの差をわかりやすくするために、理上さんが経験してなさそうなもの。––––ちょうどこの2つを満たしつつ、理上さんが追加で教えてくれた条件にも合致しそうな実験条件が見つけたわ』
私は誰と、何をさせられるのだろう。色んな可能性が渦巻いて、鼓動が加速していく。
長代先輩は、予想を遥かに超えて、楽しくて、そして可愛げのあるがしかし難解な案を提示した。
『任意の異なる人間3人と花火大会に行って、理上さんが得る経験を比較しましょう』
ある程度風情のあるイベントだから準備はしっかりしていかなければならないし、あらゆる物事を共に経験するので2回目以降でも発見があるといえばその通りだ。そして長代先輩が推測しているように、私は友人や恋人と花火大会に行ったことはない。
前回の新歓で長代先輩が私の同期と会話したがっていただけだったみたいに、今回も先輩が花火を見たいだけの可能性はある。それでもこの『実験』を私が強く拒まなかったのは、……たぶん、実験しなければならないという状況を自身への口実として梨琉と遊びにいけるから。
先輩との会話を思い出す。
––––。
『3人ってどういうことですか!? 私に3回、誰かと2人っきりで花火大会に行けと?』
『ええ、そういうこと。別に男の子でもいいわよ』
『……いや、大変ですよ。結構仲良くないと誘えないし』
『エネルギー放出期間で友達たくさんできなかったの? ミクちゃんとカナちゃんだけ?』
『それは……』
あの週以降も交流があるメンバーを思い浮かべる。まあ、酒井とソシャゲ君と望野さんくらいだけど。––––前2人で異性で誘いづらいので、そうなったら望野さんが1番近づきやすいか。
『もちろんあたしも誘ってくれていいわよ。で、甘城さんもいるでしょう。そしたら、あと1枠埋めるだけで、n=3の実験成立ね』
ふと、先輩講師の顔が思い浮かぶ。時雨さんは誘いやすいし、一緒に過ごすのが苦ではない。となれば、3枠埋めるのは難しくないはずなんだけど。
『ちょっと考えてみます』
サラッと言った、『甘城さん』は、誘うのに結構緊張するんだよなあ、と、先輩には相談できないまま私は頭を抱える。
––––。
「友達から電話きてて」
長代先輩との通話を終わらせたあと、リビングに戻って両親にそう伝える。お母さんは少し嬉しそうな顔をして、お父さんは一瞬怪訝な顔を見せた。花火大会や実験条件の詳細について会話していたせいで長電話になったので、恐らく2人は私の電話相手が懇意にしている異性なんだと勝手に推測している。両親の期待むなしく、残念ながら電話の相手は異世界について語るだけの年上女性だ。
両親のそんな期待を感じて、ふと自分もいつか家庭を持つ日が来るのだろう、なんて義務感に近いものを覚えた。
◆
『梨琉さ、この前バイト探してるって言ってたじゃん』
帰省4日目。私は考え抜いた先にようやく止まっていた梨琉とのメッセージを再起動させる。彼女の返事は早い。
『言った! でもまだドラックストアだけ。。。笑』
『私今度単発登録しようと思ってて、梨琉もどうかな? っていう』
続けてURLを送る。夏休みの高校生が受ける、大手塾開催模試の試験監督。教室で1日中じっと立っていられれば報酬がもらえる。数ある単発でも狙い目だった。
『すごい! まだ間に合うの?』
『うん。最後の講習日にギリ間に合いそう』
お金が欲しいっていうのは一般的な欲求だし、良い仕事を見つけられたら共有するのは自然だろう。だから私の善意に基づいたこの行動は、あくまでも私の梨琉に対する接近欲ではなくて、梨琉に経済的余裕を持たせてあげたいという優しさから生じている。
この単発バイトを選んだのは、これが特別楽だからとか、試験監督をやってみたかったとか、そんな理由には全く基づいていない。
『日にちだけ、大丈夫そう?』
『今見たけど、行けそうだよ!』
梨琉が了承したのを確認して、私は登録のための個人情報を入力する。次いで、カレンダーの予定を記入する。2日後は、有機化学の再試があった。
『ごめん! 2日後再試だけどそれも大丈夫かな?』
『うん。普段の勉強を頑張るから』
ファイト! と見たことあるようなないようなキャラクターが応援しているスタンプを梨琉が送る。
単発バイトの内容が試験監督である必要は一切ない。だけど、どうしてもこの日付でなければならなかった。
模試は、8月末のオフィス街にあるビルの一部部屋を借りて開催される。可哀想な高校生は、朝から夕方まで5教科7科目を受けさせられて、私たちも19:00前まで回収した答案の確認作業などをする。
そして、ちょうどその日の夜。
「電車で、30分くらいかあ」
近くの川で花火大会の行われる予定があった。誘えない私は、単発バイトを触媒、つまり花火大会に誘う口実として、そのまま梨琉と花火を見に行く作戦にすることで1度目の実験を遂行しようと決意した。




