復讐の形
翌日。
一般教養の授業を連続で乗り越えて、長代先輩のいる講義室に向かう。とある目的があったから。
扉を開けると、先輩以外の人影がある。梨琉でも舎弟の人らでも知らない人でもない。
カナだ。
先輩とカナは同時にこちらを見る。どうやら、私が思っていた目的はあらかた達成されているみたいだった。
「ここに忘れ物しちゃってたから」
私を見たカナはそう言い放った。その声は特に攻撃性を帯びているわけでもなく、かといって雰囲気を楽しむ柔らかさもなく、内容を伝えるためだけに洗練されたような抑揚のない声。
「カナのスマホ?」
「うん」
「良かったね。見つかって」
彼女は、何を思いながら私と話しているのだろう。私の頭ん中では、梨琉の部屋で起きた出来事の映像がループしている。できればカナにもそうであってほしい。願わくば、そのことについて罪の意識を感じていてほしい。
「ミクも忘れ物してたみたい」
「そうなんだ」
私は知らないフリをする。先輩がミクの鞄から抜いていたいくつかの化粧品のことだろう。
「コスメ忘れるとかありえないでしょ。そもそもなんで出すかなあ」
「ごめんね。あたしとの会話が盛り上がっちゃって、そこで出したままだったみたい」
先輩が割り込む。
その言葉にカナは軽く頭を下げるだけで、彼女は全く別の話題に切り込んだ。
「どうしてミクとのメッセージに既読つけたんですか」
カナは軽く先輩を睨む。それから、私の方を見て続ける。
「……ミク、めっちゃ怒ってる。この人が勝手に既読つけたから、あいつも私がスマホ回収したと勘違いして色々送ってきてるし。ノーメイクでもテストくらい受けたら良いじゃんか一人で。そもそも私も覚えてなくて受けられなかった。それで再試確定してほんとに最悪」
私をどういう間柄だと認識してその言葉を発したか。味方がいないから聞いてほしくて本能で愚痴を零したかもしれない。私は雑にうんうんと頷いて、ミクは認証ができなかったからPC版もインストールできなかっただの、昨日はこの部屋が空いてなかったから回収できなかっただの、私が既読無視してる段階で気づかないミクもおかしいだの、不満げに文句を並べる。
「私と梨琉もテスト受けられなかったよ。梨琉が起きられなかったから」
言い放った私の言葉にカナは特に反応を示さない。ただこれ以上の文句を彼女は辞めた。梨琉の体調について深堀りしてこないことには腹が立った。まだこの子の中では梨琉が疎ましき存在なんだろなって思う。
「既読をつけてしまったのは、拾ったときに電話の通知が来てしまったから思わず、ね」
また先輩とカナが目を合わせる。
「パスワードないと開けないですよね」
「そうね」
「じゃあ、意図的に私のスマホ見てるじゃないですか」
「ごめんなさい。ここでミクちゃんと連絡を取れたらと思って」
「で、何も返さなかったのですか?」
「怒ってたから。あたしが雑に返事して2人の関係を乱しても困るでしょう」
「……っ。既読無視の方が困ります。話してる本人が私じゃなくてあんただって分かればミクだって納得するし」
「あら、ごめんなさい。その発想はなかったわ」
露骨にカナがイライラしているのが分かる。側で見ている私の胃が痛くなってくる。
「過去の……」
深く息を吸って落ち着かせてから、ミクは言った。
「過去のトーク、見てませんよね? あと、他の人とのやり取りとか」
「どうして気になるの?」
「……個人情報だからです」
「別にやり取りくらいで得られる情報なんて知れてるでしょう。それとも何かやましいことが?」
「見たんですか? それに答えてください」
「さあ」
「誤魔化さないでッ!!」
濁りの混じったカナの叫び声が講義室の空気を切り裂く。
「見たか? って聞いてるんです。人のものを勝手に見たのかって」
「……そうね。ミクちゃんとのやり取りはすべて見た。それにあなたの写真フォルダも見た」
「写真も……?」
「ええ。ほら、あなたとあたし、好きなタレントの趣味が合いそうだったから。良いものがあったら参考にさせてもらおうと考えて思わず」
カナの顔が青ざめていく。先輩の理由がハッタリだってことはカナも分かってるだろうけど、論理は通ってるから何も返さない。
「安心して。ここで見たことを世間に公開するつもりは一切ないから。あなたが未成年飲酒パーティーしていたことも、犯罪まがいの行為で甘城さんを苦しめたことも。……一応、そこにいる彼女は知っているけど」
先輩の綺麗な顔がこちらを向いて、遅れてから憎悪の込もったカナの瞳が私を捉えた。
「だからと言って、今度は理上さんをターゲットにするのもやめてね? あなたの気持ちを知っておいてほしいから、甘城さんがどうしてあんなことをされたのか理上さんに教えてあげただけ。だって、甘城さんは『人の男に手を出す魔性の女』なんでしょ? 理上さんにも知っておいてもらわないと」
カナは目を赤くさせている。
「楽しい……ですか」
「何が?」
感情がぐちゃぐちゃになっているだろうカナにも、先輩は全く動じない。
「全部、分かって言ってるくせに。2人で、そうやって私刑みたいに私を追及して、楽しいですか」
「そうね。あまり楽しくないけれど……」
真剣な表情で、先輩は声のトーンを下げて言う。
「この私刑は、甘城さんの受けたものよりは、よっぽどマシでしょう」
目を大きく見開いたカナは何か言いかけて、結局何も言わずに、そのまま早足で部屋を出ていった。
私とは一切目を合わせなかった。
「……やりすぎたかしら」
彼女が出ていった後、雑に閉じられた扉を見ながら先輩が呟く。
「分かんないですけど……、まあ、私、ああいう空気は苦手かもしれません」
「良い環境で育ったのね」と笑った後、先輩は嬉々としてモニターの電源を付けた。
「異世界の話……。あたしは追放されるまでのことしか仮説を建てていないけれど、この前見せたみたいに追放された後、優秀な冒険者は大体復讐したでしょ?」
復讐はこの前見せられた、別の冒険者に土下座させるシーンのことだろう。マルトは追放された後成り上がって彼らを見返したといった。
そんな彼はいま画面の中で健気に仲間の魔物を狩っている。この周りにいる女の子らは……、なんだったっけ、奴隷のエルフだとか囚われの魔法少女だったとか、先輩が色々言ってたなあと思い出す。追放された後、相性よく結合できる相手を見つけて安定した少年。
「けれど、復讐で相手を限界まで追い詰めるのは、異世界が『死』と直結した剣と魔法の世界だから。法と秩序の世界で生きるあたしたちが、彼らのように振る舞うには限界がある」
先輩はたぶん、自分がミクとカナに対してどういう制裁を下そうとしたのかについて話している。
「人ひとりを殺した凶悪な犯罪者でも死刑にはならない。命を奪ったのだから当人も奪われるべきだという論理は通用しない。裁く側が裁かれる側と同様に野蛮だったら法の世界は成り立たないもの。だから理性をもった私たちは更生の余地を与えなきゃいけない。それが異世界とは違う。彼女らにも罪の意識を感じてもらって、更生の機会を待つ。それが理性に基づいた復讐の仕方」
気持ちよさそうに彼女は言葉を紡ぐ。きっと彼女なりの信念があるのだろうと思う。まあ、いくらカナが悪いとはいえ、私もさっきの追い詰める空気自体は苦手だったから、先輩がそういう人で良かったとは思う。「あの馬鹿男2人組にお金を出せばいくらでも痛い目に合わせられたのだけど」と彼女は笑う。恐ろしい人である。
「これは自然科学のお話。甘城さんが離脱した後の2人は、特定の分子が脱離したあとの化合物みたいに、不安定になってしばらく生きづらいことでしょう。その間にお互いを見つめ直してもらって、一昨日の振る舞いが恥であったと自認してくれれば、それこそ理性的な復讐の完了ね」
ここまでされた2人がまた私や梨琉に接してくれることなどあるのだろうか。むしろ先輩から受けた分をまた仕返しされないか、私にはその不安の方が強い。
「2人があなたに強く当たってこないかとか考えてる?」
「そう……ですね。いくら先輩が釘を刺してるとはいえ、やっぱりターゲットにされそうで」
「大丈夫よ。あの子たち、基本的には腐っているように見えるけど……過去のトークで、あなたに関する露骨な悪口は一切なかったもの。例の飲み会が開催されるまでは、甘城さんのことを大事な友人だと思っていたみたいだし。––––安定している分子も、溶媒に試薬を入れるだけで反応性が大きく変化してしまう。男女関係のしがらみという刺激が、彼女らにとっての甘城さんを妬みの対象に変えてしまっただけ。だから根本では、あなた達を嫌っていないと、あたしは信じてるけど」
「あなたが来る前に、甘城さんの体調について心配してたのよあの子」と先輩は言った。長代先輩はミクとカナについてポジティブキャンペーンをしたいのかネガティブキャンペーンをしたいのか分からない。ただ事実を羅列しているだけかもしれないけど。どちらにせよ、嫌っていないのに男女関係だけで攻撃的になってくる2人の気持ちは、私にはまだ理解できない。
「そしたら、少しだけ2人のことを信用してみます」
「そうこなくちゃ。それでこそあたしの誇らしい後輩」
黒髪が揺らして、近くにあった椅子に私の変わった先輩は腰掛ける。
「で、誇らしい後輩の、実験進捗はどう?」
長代先輩は優しい微笑みを見せる。直近実験––––『甘城梨琉を受け入れてやること』の進捗のことだと思う。
「私なりに、昨日先輩が帰った後梨琉と話しました」
「そう」
今の先輩はお母さんみたいな、優しい声をしている。
「私は……上手く話せたと思いますけど、その、梨琉も色々抱えてそうだから、本当に信じてくれているか分かんないです」
「そりゃあ、本当の気持ちはチートスキルみたいに覗けなきゃ分かんないでしょう。『甘城さんがどう思っているか』、あなたなりの答えはどうなの」
––––『紗葵ちゃんのこと、信じて、いいかな』。玄関で呟いた梨琉の言葉が頭の中でリピートされる。
「多分……信じてくれていると思います」
「だったら、それで良いんじゃない」
それだけが返ってきた。実験の成否や仮説の立証について先輩は何も述べなかった。
「なんか、先輩に私と梨琉のこと色々見てもらって、ありがとうございます」
「気にしないで。悪口の相談されたときから気になっていただけだから」
「それだけでここまでやってくれるのは、先輩がいい人だからだと思います」
珍しく彼女は一瞬言葉を詰まらせた。
「……理上さんと甘城さんを知り合わせたのも、あたしの実験がきっかけでしょうから。食堂前の件で借りもあるし。ある程度のあなたたちについての責任はあたしにあるから、それを担うのが義理ってものよ」
「長代先輩、意外と真面目ですよね」
「意外と、じゃなくて頭からつま先まで真面目なのよ」
先輩らしい返しに困っていたところで、外が騒がしくなってくるのに気づいた。空きコマが終わって、次の授業が始まろうとしている。
「それじゃ、私つぎの授業があるので」
「いってらっしゃい。……ていうか、そもそもどうして来たんだっけ?」
「ミクとカナの持ち物、先輩が返さないなら私が貰っておこうと思ったんですけど」
「なるほど。結果的に、グッドタイミングだったわね」
「ちょっと修羅場で疲れましたけど。……あ、そうだ」
講義室を出ようとして、言っていなかったことを思い出す。この人まだ気にしてそうだから。
「この前の自撮り。可愛かったですよ。先輩はB4ですけど、B1に混ざってもじゅうーっぶん違和感ないと思います。美人です。……それだけ」
「言われなくても。あたしが美人なことくらい知っている」
私の予想通り、先輩は言葉上では強気な返しだった。講義室を出てからちょっとだけ中を覗く。
頬を緩ませた彼女は何度も手鏡を見て、激しめにガッツポーズをしてみせた。




