追放
「紗葵の先輩、ガチでノリいい」
新歓を終わらせて、今度は4人だけのテスト会になった。ドイツ語の授業後に決定した例の会だ。梨琉の家に集まって、ミクが早速さっきみたいなことを言った。少なくとも第一印象の段階では、長代先輩の極性理論は適用されず、彼女の変わった性格への面白さが勝るみたいだった。
「面白かったみたいなら良かった」
「あんな人が同じ薬学部の4年にいるとかヤバくない!? 紗葵はイツメンで羨ましいなあ」
「暇なら遊びに来てくれていいよ」
「だって! カナ! 今度行こっ! ……カナ?」
「ん? え、あ、うん、そだね」
カナはずっとカバンの中を漁っていた。少し気になったけど、私は勉強することを優先する。
「そしたら、勉強しよっか。……ここでやらないと明日の小テストやばいし」
「賛成!」とミクがテンション高めに手を挙げる。明日の小テストは、成績全体の5割を占める配点だった。本試験の負担を重くしすぎない救済措置という一方で、この時期でも気を引き締めてほしいという教員からのメッセージという面もある。5割だから、欠席した時点で落単が確定していた。
「みんな、もしテーブル小さかったら私の勉強机も使っていいからねっ」
梨琉の言葉に、私だけが「ありがとう〜」と返事する。そっからだんだん言葉数が減って、この前の望野さん主催勉強会みたいに、みなが机に向かい始める。
何の変哲もない、真面目な勉強会だと思っていた。––––まだその頃は。
外が暗くなってきたくらいで、少しずつ歯車が狂い始める。
「疲れたあ。ご飯食べる?」
テスト勉強の沈黙を初めに破ったのはミクである。私は時計を確認する。たしかに19時を越えていてちょうど良い時間だった。
「梨琉とカナが良いなら、私は賛成」
「私は別にいいよっ! どこかに買いに行って、この部屋で食べる?」
ペンを止めたカナは返事しない。ミクが「どーするー?」と尋ねた。
「や、ご飯は別にいいけど。……それよりさ、みんな私のスマホ知らない? ずっと見当たらないんだよね」
講義室では、長代先輩と一緒に眺めていた彼女のスマートフォン。勉強中ミクにしては触るのを我慢していると思っていたが、どうやらそもそも失くしていたらしい。
みなが「知らない」と答える。ミクが「講義室に忘れたんじゃないの?」言った。
「そうかなあ。……確実に確認したと思うんだけど」
突然、カナは鋭い目で梨琉を睨む。
「梨琉、パクってない?」
「えっ、私っ?」
「そう、あんた」
「私はとってないよっ。ミクちゃんが言うみたいに、落としたんだと思う」
「……っそ。人のモノ盗るの得意だから、梨琉かと思った」
いきなりカナが梨琉に牙を向いたので私は困惑した。歪んだ空気の中で、私は全てに覆いかぶさるように「とりあえず出よっか」と大きめの声で言った。
晩ごはんの買い出しは、自然と2:2での行動になる。私と梨琉が同じ。ミクとカナが少し前を歩いている。何の話しをしているのかは聞こえない。
「カナ、なんであんなこと言ったんだろ」
梨琉と並んで買うものを見ながら、私はそう呟く。話題に挙げるか悩んだけど、また同じ部屋で4人戻るのに、蓋をしたままではいけないと思った。
「私には……わかんないや」
彼女の返事はそれだけだった。見ると、食堂前の事件が起きたときみたいに、梨琉の目は光を失って、虚空を眺めている。私の視線を察して彼女は無理に笑った。
「ご飯食べたら、カナちゃんも落ち着くかも。そしたら、4人で何かして遊びたいねっ。せっかく集まれたんだし」
この状況でも、笑ってそう言える彼女の精神が私には理解できない。個別で予定を抑えておきながら不愉快な思いをさせようだなんて、明らかに向こう側に非があるのに。
「戻ったらさ、やっぱり2人に聞いてみよ。私たちのことをどう思っているのか。今のまま、モヤモヤしたまま4人で集まるのはさ、私嫌だから」
「私は別にモヤモヤしてないよ?」
梨琉は即答した。私は胸が張り裂けそうになった。
「一緒に居たら、お互い、嫌なところが出てくるのは仕方ないと思う。それでも、私たちはこうやって遊べてるんだから、それでいいと思うな。機嫌がなおったら、ミクちゃんもカナちゃんも笑ってくれると思うから」
「それはそう……だけど」
嘘ついてまで私たちの噂を流すことは、影で馬鹿にした物真似をすることは、突然責任を押し付けることは、果たして「仕方ない」レベルだろうか。私が人付き合いを知らないだけか。
「踏み入れなければ、何も知らないままでいられるんだよ? 自分の信じたいことを信じるままでいられる。私は、その方が幸せ」
いつもみたいな笑顔で、淡々と述べる梨琉がなんだか怖くって、私は何も言い返せなかった。
◆
雰囲気の歯車は、加速的に狂い始める。
「お酒買ってきた〜」
スーパーから戻ってきて、梨琉の部屋に戻るなりミクがそう言った。袋の中に大量のサワーが入っている。次いで、カナが「トランプも買った」と言う。どうやら遊びながら飲み食いしたいらしい。
「トランプとか久しぶり」
「でしょでしょ。紗葵もやろうよ」
「2人とも、あんまり飲みすぎてはっちゃけたらダメだよっ」
梨琉が笑いながら言った。2人のどちらも一切の反応を示さない。代わりに、トランプで何をするかについて話し始める。
「ババ抜きしよっ! 意外に盛り上がるからこれ」
「あー、この前やったわ〜。ドベになったら1杯?」
「カナ、まじ天才」
「えー、ゲーム飲み?」
私は、2人が不快にならないよう優しくツッコむ。ゲームで負けたら、その罰則としてお酒を飲まされる『ゲーム飲み』。ゲームといっても内容はくだらないものが大半で、競技性じゃなくて飲みのスピードを加速させることに目的がある。当然、褒められたような遊びでは全くないし、私は経験したことがない。何より、この部屋にいるのは私以外20歳になっていないはず。
「ちょっとだけならいいじゃん! 度数高いのは買ってないし」
「飲みやすいお酒の方が怖いよ」
「やろうよ紗葵〜」
勉強が終わった解放感からか、2人ともどことなく浮ついている。
遊ぶモードに切り替わったんだと思った。
それだけだったら、どれだけマシだったことか。
実際の2人は、『遊びモード』なんてヤワなものじゃなかった。
「私は、まだ18だから飲みたくないかな……。それにたぶんお酒飲めない身体だと思うから……」
梨琉がそう呟く。
2人全く反応しない。見ようともしないし、まるでいないみたいにゲームを進行させようとしている。
––––ああ、そういうことか。
何がきっかけか、私には全く理解し得ないけれど。
2人が、梨琉を無視し始めてる。
◆
––––中学の頃、高校の頃、クラス内で不当な扱いを受けていた子に対して、自分が何をしてやれたのかをふと考える。
当時の私は、何もしてやれなかったと思う。
そうやって雑に生きてきたツケがここになって回ってきた。恐ろしいのは、被害者が私じゃなくて梨琉だってこと。
トランプは、梨琉だけに配られない。仕方なしに、私の手札をいくつか渡す。カード枚数が不均等でルールもへったくれもないゲームが開始する。梨琉の隣に座ったカナは目も合わせずにカードだけを取って、彼女を会話に混ぜないままゲームが進行する。1戦目が終わった時、最後にババを持っていたのは私だったのに、梨琉の元へお酒が置かれる。
2人との関係をはっきりさせたいなんて決意した自分が馬鹿みたいに思えてくる。
今、目の前で本当の『追放』が行われている。この4人というパーティ、ないしは分子上でどういった極性が生じているのかはわからないけど、確実に梨琉は今ハブられている。長代先輩の言うような『脱離』が生じている。
2人の本気の追放を前にして、私は金縛りにあったみたいに、その空気に合わせることしかできなかった。無力な私の前で、梨琉は缶を持ったまま動かない。「早く飲んで」と低い声でカナが言った。隣でミクが嬉しそうな顔をしている。
心の中で「止めなきゃいけない」という義務と「止めてほしい」という願望が暴れている。その感情は私が馬鹿で愚かすぎるせいで言葉にならない。梨琉は1缶目を空にする。
2人の空気に同調することしかできない哀れな理上紗葵は、壊れたロボットみたいにミクとカナと楽しく笑い合って、定期的に梨琉に話しかけて、梨琉の言葉は私以外には届かない。2缶目が置かれる。3ゲーム目が始める。4缶目を飲まされた辺りから梨琉は喋らなくなった。食事や水を梨琉の元に送るのが、同調圧力に屈した理上紗葵にできる最後の抵抗だった。梨琉は水を飲もうとしない。初めから手を出したらどうなるか分かってたみたいに。
「梨琉……?」
そして、カードすらも持てなくなった彼女がその場に倒れ込んだ時、初めて私は私を取り戻した。
介抱の経験がない私は、ただひたすら梨琉の側にいるしかできなかった。ミクとカナは、満足したのか後悔しているのか分からない顔で「時間が来たから」と言って帰る。その異常に振る舞いを指摘する余裕が私には残されていなかった。私と梨琉だけが部屋に残される。まだ梨琉は起きない。夜が更けてきて、終電がなくなる。うめき声みたいなものをあげて、梨琉はその場で吐く。私は彼女を無理矢理起こして、水を飲ませる。梨琉はまたその場で意識を失う。ここが他人の家だってことも忘れて、あらゆるところから引っ張ってきた掃除用具で部屋は掃除した。
そっから何をして過ごしていたのか覚えていないけれど、外が明るくなってきて、張っていた糸が切れたみたいに、私は眠気の限界を迎えた。




