ステータス脱離
7月。
梅雨が明けて学業の意欲でも湧いてくるかと思っていたが、そんなことは全くなかった。むしろ前期末のテストやレポートの提出期限が近づいてきて、なおさらやる気を削がれた。
「おつかれさまでーす」
テスト勉強の憂いを紛らわせたくて私は例の講義室のドアを開く。
長代先輩は、かつて私たちを食堂前で襲った男2人組(先輩曰く金で雇っているらしい)と会話していた。
「あら、理上さん」
彼女が先にこちらへ気づく。
「えっと……どうも」
2人の存在に私が怖気づいたことを察したのか、男の1人が分かりやすく笑顔を作って私に何度も頭を下げた。
「おつかれさまです! 理上姉貴! 先日はどうもたくさんご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした!」
その勢いのまま男2人は土下座する。食堂前の件は演技だと分かっているので、頭を上げるようお願いする。
「ボスのお願いとはいえ理上姉貴のお友達をひどく怖がらせてしまったみたいで……、本当に申し訳ないっす……」
「あ、あねき……? ぼす……?」
この黒髪変人は金で雇った2人になんて呼ばせ方を、そして私のことをなんて呼ばせているのだろう。
「これからはもう迷惑かけないんで、許してください! すんませんでした!」
「でした!」
2人は頭を下げる。状況を飲み込めない私は何を言うべきか見当たらなかった。
「2人とも、もういいわ。理上さんは男性が苦手なの」
「そうなんすね! すんません!」
今日は人生で1番謝られた日と言って過言ではない。あと別に私は男性恐怖症ではない。
「仕事見つけたらまた連絡するから、今日は帰ってもらえる? 理上さん来たし」
「「承知しました!」」
2人は私にヘコヘコしながら講義室を出ていった。一生懸命勉強して入ったこの大学は変な人が多くて気が滅入る。
「本当にお金で雇っているだけなんですか? あの2人は」
2人が消えてから私は長代先輩に問う。
「ええ」
「それであんな舎弟みたいになります? 先輩もしかしてそっちの道だったりしませんよね……」
「何を言っているの。あたしほど恵まれた人が道を踏み外す訳ないでしょう。あの2人が変わっているだけよ」
そしたらただ類が友を呼んでいるだけかあ、と私は妙に納得して、その間に長代先輩はコーヒーを入れながらモニターをつける。
「そんなことより……よ」
彼女はとたんに悪そうな顔でこちらを見る。その顔でくだらないことに巻き込まれるのだろうと直感が予測する。別に、それ自体は嫌じゃないけど。
「また何か閃いたんですか」
「あたしは常にアイデアで溢れているけど」
「その割には暇そうですね」
「『無』の時間が創造を後推しするのよ。……それより」
長代先輩は、顎でモニターを指す。例の少年が居て、街の民家らしきところで別の冒険者に土下座させていた。
「なんですかこれ」
「見ての通り、冒険者が彼––––マルト––––に許しを乞うているの」
「説明を聞いても理解できません。この転生者は悪役なんですか?」
「違うわよ。経緯を説明するとね」
どうやら土下座している冒険者はマルトの元パーティメンバーらしい。転生後、とあるパーティに拾われたマルトはそこでギルドの仕事を続けていた。ただ、転生直後で彼が能力を上手く扱いきれなかったために、パーティでは無能扱いされ、最終的に追放された。
「彼にそんな過去が」
「で、久しぶりに元メンバーに再開したマルトは、彼らに強さを認められて帰ってくるよう促されるけれど、自分の現仲間と仕事を優先して断るの。元パーティは能力不足でギルドの仕事が上手くいかず、彼を取り戻すことにも失敗する」
「剣と魔法の世界にもそんな復讐劇があるんですね」
「そりゃ、みな人間だもの」
詩的なことをいって彼女はコーヒーを啜った。彼らが渦中にある復讐劇には多少の興味を覚えたが、このモニターからは音が出ないのでそれ以上見ていても何も分からなかった。たぶん長代先輩みたいにずっと見ていないと物語を追うのは難しい。というより、この人はいつからこんなことをしているのだろう。
「先輩はいつからこのモニターを見ているですか?」
「……ん、どうして」
「いえ、ふと気になったので」
「1年……、くらいかしら?」
「ずっとこの子ばかり見ているんですか? 転生直後のことを知っているとしたら、言い方変ですけど、初期からこの子のこと知ってますよね」
「まあ、他の冒険者を見ることもできるけれど、彼が一番見応えあるから。彼を初めから知っているのは、まあ、運命みたいなものじゃない?」
今度はロマンチックなことを言った。
「パッと見て、転生者だ! って分かるもんなんですか」
「顔を見れば」
「顔って……」
私はあまり納得行かなかったが、長代先輩は適当に喋りはじめたら止まらないのでそれ以上の追求はやめておいた。彼女はカップを置いてこちらを見る。
「あなたも異世界に興味が湧きはじめたの?」
「いえ。どちらかというと異世界に興味がある先輩に興味が」
「あたしのこと好きなの?」
「勘弁してください」
別に好きになられてもいいけど、と微笑んでから彼女はパソコンを立ち上げる。パソコンの画面を見ながら長代先輩は話し始めた。
「で、今日はこの『追放』がどうして起こるのかを考えたのだけど」
「はあ」
「異世界では『追放』が一時期社会問題レベルにまで取り上げられたの。優秀な冒険者が、何かしら理由をつけて追放されていく。都度、追放した側のパーティは不利益を被るし、追放された能力ある冒険者側はいつか巻き返す。結果がわかっているのに、追放問題は収まらない。おかしいと思わない?」
今回長代先輩が提唱した疑問はあっさり理解できた。同じ組織に、優秀な人がいてほしいと思うのは自然な心理のはずで、それは組織の成長などといった綺麗事を除いても、例えばその人の頼って楽したいとか、色々得する事情が存在するから。なのに異世界の冒険者は彼らを追放する。たしかにおかしい。
「きっとこれは極性ね」
画面を見たままで長代先輩は言った。
極性––––高校のときに習ったからやんわりと理解できる。原子はその種類によって中心に有する陽子の数が異なる。すなわちそれは電子を引きつける強さの違いを意味する。異なる種類の原子が結合すれば、電子はより陽子の多い原子の元へ集まるから、同じ分子上でも電子の豊富なところとそうでないところが生じることになる。同じクラスの人間なのに可愛い子とそうでない子で周りに集まる人の数が変わるようなものだ。
そして私の最後の例えと同じようなことを先輩は話し始めた。
「優秀な人が組織に所属すれば、極性分子上の電子みたいに、人間に関するあらゆる因子がその人の元へ集結するわけ。富だったり、名誉だったりが組織の中で偏って、優秀な人ばかりに流れてしまう状態ね」
先輩の見せたスライドにはモニター内の転生者と、その他冒険者を示しているであろうイラストがあって、転生者の方へ矢印が向いていた。転生者の辺りには『富・名誉など豊富』と書いてある。まるで有機化合物内の酸素原子みたいに。
「極性が生じた組織やパーティを分子に例えるなら、このパーティ待っている末路は1つだけ。……電子を引き寄せやすいハロゲンが脱離しやすいように、優秀な冒険者はこの『分子』から脱離する」
分子上では原子同士の綱引きみたいなことが起こっている。綱引きにおいて、片方が常軌を逸した怪力であるならば、綱引きは成立せず綱が引きちぎれてしまう。根本は違うが似たようなことが分子でも起こりうる。そしてさらにそれと似たことが人間関係でも起こる、と長代先輩は言っている。
「『富や名誉』––––以降これらをステータスと呼ばせてもらうけど、パーティの間には転生者みたいな『ステータス豊富』の部分と追放する側のモブみたいな『ステータス過疎』の部分がある。『ステータス過疎』な連中は、ほどよく恵まれた人を求めているの。だから、彼らは優秀すぎない程度の代わりを見つけたときに、その人と結合することを望んで、『ステータス豊富』すぎる転生者を脱離––––追放しようとする。これが追放のメカニズムだわ」
化学の分かるあなたに言うと、優秀な冒険者がハロゲンで、モブは炭素、程よい代わりっていうのはヒドロキシイオンとかしら、と長代先輩は最後に言った。
つまり以下のような状態だ。正と負がくっつくみたいに、モブもある程度優秀な人間をパーティに求めている。ただ、転生者はあまりにも優秀すぎるから、ステータスの偏りがひどくって、分子上の原子同様に脱離してしまう。結果的に異世界では追放が頻発する。それが彼女の主張。
「どう思う? あたしの仮説」
「面白いとは思いますけど……」
「けど?」
「それが正しいことを立証するには」
「もう。2ヶ月の付き合いだからわかっているでしょう」
いやらしい、それでいてどこか私を興奮させる目つきを彼女は向ける。そして全くもって予想通りに、「実験するわよ」と彼女は微笑んだ。




