勉強会
先輩に渡された服は肌寒い。オフショルダーにショートパンツで、自分だったら絶対に買わないようなセレクト。露出がきつすぎて歩くのが憚られた。3限は大講堂で学部の全員が必修の専門科目が開かれている。大講堂へ向かう前にトイレの鏡で顔を確認する。先輩の施したメイクは美人というよりはロリっぽい。「あんた異性ウケを狙うんだからこっちのがいいわよ」と、自分はそんなメイクしてないくせに先輩がそう言っていたのを思い出した。てかあの人は異性の何を知ってるんだ。
ということで、普段冴えなくて授業もサボりがちだった私が、先輩の手によって気合の入った容姿へと変身させられて、その状態で大講堂に入る。よりよい容姿を意識して日々を生きることも先輩にとってはエネルギーの放出––––『社会貢献』の一環らしい。
空いていそうな席を探す。梨琉の周りにはいつもの仲良しグループがたむろしていた。
「紗葵、おつかれ〜。……えええ紗葵!?」
「なに、今日超カワイイじゃん!?」
ミクが大きな声で挨拶したので集団がみな私を見る。なんだか今更大学デビューしたことを揶揄されるようで、大量の視線によって倒れてしまいそうだった。梨琉は、ただの1モブを眺めるかのごとく一瞥しただけですぐ前を向き直した。
「理上、2人と絡みあったんだな!」
授業開始までボーッとしているつもりであったが、席に着くなりミクやカナといつも一緒にいる男子3人が私の元へやってきた。
会話したことのない類の人種なので私はたいそう困った。せめてミクやカナが仲介してくれれば会話しやすかったのだが、2人はこちらを一切気にせず楽しそうに会話していた。時折こっちを見ていたかも知れない。
「まあワークショップのときに仲良くしてくれたっていうか」
「理上と喋ってみたかったんだよな〜。友達追加してもいい? 今度宅飲みとかしようよ」
喋ってみたかったなど、まあここまで思ってもないことをペラペラと話せるものだなと感心する。
それから授業開始まで、イケてる(という表現が私の限界)男3人に囲まれてお互いの近況を話したりした。気づいたことは、やはり彼らのような人種のトーク力は卓越していて認めざるを得ないということ、それと視線の殆どが鎖骨周辺ないしは大腿部へ向けられていたということだ。
授業後。
「おいおい、理上、例の件解決した?」
私の近くの席には先日の酒呑みこと酒井が座って授業を受けていて、帰ろうとした矢先に話しかけられた。
「進展っていうのは?」
「甘城のこととか」
「あー……」
私は食堂での会話を思いだす。とりあえずモノマネや彼氏イジりはつまらないと指摘した、ということだけは伝えた。
「そっかー、それで良くなったらいいんだけどな」
酒井は随分と神妙な顔つきをした。
「優しいね、酒井は」
「そうだろー。いいヤツだからな俺は」
「梨琉に直接アドバイスしてあげてもいいのに」
「それはなんかしづれーじゃんか」
「なんで? 梨琉喜ぶと思うよ?」
「ほんと……にか?」
酒井は少し嬉しそうな顔をする。なんとなく彼の抱く心情が垣間見えたというか、やっぱり梨琉って色んな人から好かれるんだなと再認識した。
それから、大講堂を出て、駐輪場。
「あ、あ、理上さん! ……まだ居たんですね」
月曜日に「勉強会をしよう」と言ってきた最前列の子––––望野さん––––が私に声をかけた。
今日の私は過去一で色んな人と会話しているかもしれない。
「ん、どしたの」
「えっと、あの、その、明日の夕方、勉強会開きませんか?」
彼女は月曜よりもやけにしどろもどろしていた。
唐突な予定でこそあったものの、私は勉強会の開催に強く賛同する。今週はエネルギー放出期間なので、そういった精力的な活動は今週中である方が、実験上都合よくて助かるから。
「そしたら、また、連絡しますね」
「よろしくね」と答えた私に「突然ですみません」と彼女は謝罪する。問題ないよ、と返したら彼女はぎこちなく笑った。
「その、私、大学入ってからメイクとかファッションとかよく分からないんで、そういうの詳しそうな理上さんに色々聞きたいです。……代わりに有機化学なら色々教えられますので!」
今日のは全部先輩の力だし、私は大してその道のプロじゃないのだけれど、褒められてたのは嬉しいので「ありがとう」と微笑んで返す。私の方の笑顔が自然であってほしい。
「それと……」
彼女はまだモジモジしている。
「あ、あの、家、どの方角ですか? ……と、途中まで一緒に帰りませんか」
「私と? 別にいいけど……」
真面目に頑張ってみるだけで、こうも学部内に知り合いが増えるものかと私は感動した。そんな私と望野さんの隣を、梨琉が黙って通り過ぎた。
◆
「つかれた……」
お風呂上がり、疲れ切った私はそのままベッドに寝転がる。家の鏡に映る私はノーメイクでも結構可愛いはずなのだが、今日はさすがに大学内の方が可愛かったなあ、なんてことを思いながら寝転んだ。
本当はここで授業の復習とかをするのがエネルギーの放出に相応しい真っ当な学生生活なのだけど、3日連続で頑張るとさすがに身体へ影響が出てくる。後2日、フルで頑張れるか多少の心配があった。
『どうだった? 今日の授業は』
寝転がっていると、先輩から連絡が来る。
『先輩のおかげで、色んな人と会話できましたよ』
『例えば?』
『梨琉の周りにいる男の子3人に囲まれて会話しました』
『あら。楽しかった?』
『いえ、そんなに』
『何か気になったことは?』
『そうですね。ふだん目元と胸部に感じる視線が、今日はもっとバラけているように見えました』
『そう。記録しておくわね』
実験で気になったことは伝えるように言われているので素直に伝えたが、反応は薄かった。
『明日明後日も身だしなみには気合を入れていきましょう』
『わかりました』
『ところで……、この3日間でエネルギーを伝えられている感覚はある?
具体的には、何か学部内の人間関係に変化とかあったかしら?』
◆
木曜日。
今日も先輩にメイクしてもらってから大学に向かう。この日は薬学部の授業が1つもなくって、文系や他学部と同じ一般教養の授業を受ける。知り合いがいないゆえに誰とも会話することなく、午後の時間が過ぎてゆく。先週まで出席をサボりがちだった私からしてみればよくある1日だったのだが、今週は張り切って生活していたので会話がないと寂しいな、なんて思った。
私が昨日送った『明日みんなで勉強会します!』の1文から始まる学部グループ内のメッセージには、突発にも関わらず思ったより多くの反応があった。なんだか学部内に自分の居場所を見つけたみたいで承認欲求が満たされる。梨琉からの反応はない。おそらく来れないのだろう。直接誘う勇気を私は持ち合わせていない。
梨琉を直接誘えないまま、勉強会は訪れる。
テストの域を超えた学術的な話が交わされていたらどうしようかという私の不安とは裏腹に、みなで期末テストの過去問解答を作成したり、答えのない教科書の問題の答えを作ろうというだけの平和な回であった。『テスト勉強』を共通趣味とした人間の交流会というのが勉強会の内実である。
顔ぶれは、望野さん達に加え、その子と仲の良いグループの人らが数人。彼女らを中心として、私が喋ったことのない人らがちらほら。私を含む皆が、薬学部構内の机と椅子だけ置かれたフリースペースに集まって勉強したり喋ったりする。機戸も、彼の友達を連れて参加していた。
「理上さんの顔を見ていると思い出したのですが……」
相変わらずの半笑いで、ペンを止めた機戸が顔をあげて言う。
「甘城さんって、結構変わっている人なのでしょうか?」
騒がしいフリースペース内で、機戸の言葉が重く響く。私もペンを止めて、彼と目を合わせる。
「どうしてそう思ったの?」
「いえ、実は一昨日ですね……」
彼の話は、私が抱く一抹の不安を肥大化されるようなエピソードだった。
––––ドイツ語の授業を終えた後、このフリースペースで甘城さんが1人で手作りクッキーを食べていたんですよ。それだけなら普通なんですが、びっくりするくらいたくさんあって、しかも形もバリエーション豊富で。……ああ、マジマジと見ていた訳では無いんですよ? ただ異質な光景だったんで、ちょっと注目してしまって。誰かにあげればいいのに、と失礼ながら思いましたし、そもそも趣味として1人で食べているにしては、たいそう暗かったので。「1人で大量の手作りクッキーを寂しく食べる趣味」とか、持ってるんですかね。––––そういった内容をソシャゲ君は次第に早口になりながら話した。
あの日梨琉がパフェ会を断ったときに放った台詞を思い出す。
『私、大事な予定あるんだった! ごめんねっ!』。
たしかに、そのときは大きめのトートバッグを持っていたような。とすれば、誰かに渡す予定があって、それが上手くいかなかったとか。
『梨琉、彼氏いるの?』
『んー、まあ、予想だけど』
今度はミクが言っていたことを思い出す。やっぱり、梨琉ほど可愛ければ、彼氏がいるのなんて普通なんだろうか。おそらく私がその方面への能力を欠如しているだけで、大学内にカップルなんてたくさんいるし、梨琉は愛嬌もあるから、彼氏がいてもなんにもおかしくない。……クッキーを渡そうとした日にフラれたとか。だから最近はテンションが低くて、周りに馴染めていないように見えてるとか。彼氏とうまくいっていないから私の陰口を言ってるだけで、本当はそんなの本音じゃなくて、しかも今の梨琉は彼氏がいなくて……。
「あのー、理上さん?」
「……はいっ?!」
「なに難しい顔してるんです?」
機戸の言葉によって私は物思いスパイラルから引き上げられる。「で、結局甘城さんってそういう趣味あるんですかね」と彼は再度問いかけた。
「それは……わかんない」
「そうですか。まあ、友人でも知らないことはありますよね」
機戸がそう言い切ったので、そうかもね、と私は雑に返事する。再度机に向かおうとしたら、隣に勉強会の主催者、望野さんがやってきた。火曜日から3日連続で望野さんと会話している。だからなにって話だけど。
「あ、あの……、理上さん、隣いいですか」
いいよ、と私は椅子を引く。
「楽しいですか、勉強会」
「うん。企画してくれてありがとね」
「……よかったです」
望野さんは喜んでいるはずなのに俯いた。静かな子だなあと思いつつ、キョドる私は梨琉からこう見えてるかもしれない、と考えたら複雑な気持ちになった。
「理上さんって、甘城さんとどういう関係なんですか」
その質問の意図を理解しそこねて、私と望野さんの会話が一瞬凍りつく。機戸の方をちらりと見たら、心底興味ないと言った風にこちらを見ず勉強していた。
「どういうって、友達」
「それだけですか?」
「うん」
「……ふふ、そうなんですね」
望野さんが、私の方に椅子を寄せる。「昨日言いそこねたんですが……」とささやいた。
「一昨日、甘城さん、1人でクッキー食べてて」
「あっ、その話なら」
さっきまでしていましたよ、と機戸が割り込む。「でも他人の話を長くは続けたくないのでやめました」と彼は早口で補足した。
「……誰のために作ったものか、まで知っていますか?」
私は磁石みたいに彼女の言葉に引き寄せられる。「その感じは、知らなさそうですね。……不思議な話」と望野さんは真顔で言った。
「誰なの?」
分からないから聞くだけだ。有機化学や生物化学のテストにまつわる質問をするときと同じ感情、モチベーションで私は尋ねている。だってそこに答えがあるんだったら知っておく以外に選択肢はないはず。
答えを急ぐ私の期待に応えるように、望野さんはやさしく言葉を紡いだ。
「……理上さん、あなたですよ。本当に、どうして知らないんでしょう」




