異世界研究会へようこそ
春。
一浪して本命の大学に入学した私は、4月中に数々のサークルでタダ飯をいただき、ゴールデンウィーク明けにバイト先を見つけ、いよいよ何かのサークルに入ろうとしていた。
「よかったらどうぞ」
サークルの勧誘もピークを過ぎた時期に、たまたま大学構内でチラシを配る人を見つけた。よく見れば長い黒髪でやけに綺麗な人である。大体可愛いと、どうしても本能に抗えない嫉妬心なるものが湧いてくるのだが、この人の細くて綺麗な瞳の前にはそんな感情すらも湧いてこなかった。
「あっ、ありがとうございます……」
彼女を見ていてぼうっとする間にチラシを受け取ってしまう。見れば『異世界研究会』とあった。
……。
私はもう一度彼女の顔、そして体全体を見る。ああ、これは与えられた容姿に加えて継続的な努力も欠かしていないタイプだ。間違いない。悔しいという感情はどこにもない。
いや、そうじゃなくて。
「いせかい、研究会……?」
「あら、興味あるの?」
異世界……? 死んだ人が転生する先であるとファンタジーに語られる剣と魔法の世界のことか?
色んな疑念が渦巻いた。異世界とやらの研究をこんな人が? とも思った。もちろん、人は見た目で判断すべきではない。自らが良い容姿を心がけることに越したことはないが、それと別として他人を判断する場合は容姿に左右されないようにすべきだ。20年生きてきた私はそう自分に言い聞かせる。
それでも違和感は拭えない。そうか。これはいわゆるコミックマーケットなんかにいる売り子みたいなもんで、おそらくサークルに入ってしまえばいわゆるステレオタイプなオタク達がたくさんいて彼らが創作物における『異世界』について議論を……。
「ぐはっ」
そうして思考を巡らせている間に、私は彼女の手刀(推定)を喰らって気を失った。
◆
「起きた? コーヒー飲む?」
目が覚めたとき、やっぱり彼女は美人だった。ただし私は両手足を縛られていた。ついでに口にガムテープを貼られていた。
「ごめんなさい。この状態だと喋れないわね」
彼女はあたしのガムテープを剥がす。雑だった。
「はあっ……。ここは……」
周囲を即座に把握した限り使われていない講義室だ。大学内のどこかだろう。授業で訪れたことはない。
「あたしの活動拠点ね。で、コーヒー飲む?」
そう言って彼女は手元の黒い液体をすする。大型連休が明けると一気に夏めくわが国で、5月中旬というのにまだホットコーヒーだった。
「なんなんですか、これ。縛られてるし……。口のガムテープも、私が花粉症だったら死んでましたよ!?」
私は不満を思いっきりぶつける。拘束されている我が身を認めたときは血の気が引いたが、相手が同性一人だと知って少し不安が和らいだ。それでも強がらないとまだ恐怖に苛まれてしまうけれども。
「一応鼻呼吸していることは確認したから、それで許してくれないかしら?」
彼女は不敵な笑みを浮かべる。それからまたコーヒーを飲んだ。いい匂いがする。私も飲みたくなってきた。ブラックは飲めないけど。
いや、そんなことよりだ。
「解放してください。なんの目的ですか」
過去の記憶を検索する限り、恨みを買った覚えはない。家系に因縁がまとわりついているわけでもない。となれば金か。悔しいが、金を請求されたら僅かな仕送りを解放の代償として支払う覚悟はできている。
彼女はゆっくりと口を開いた。
「これを期にあなた……成長できそうかしら?」
「は?」
彼女はあまりにも意味不明なことを言った。いくら美人でも、この年(それは私より上だという想像の元)で最低限のやり取りができないというのは辛い。
「突然意識を失って拘束されるというこれ以上ない恐怖・失敗経験……。これを経て、あなたが何か新しいものを得ないか、人として成長できないか、それを尋ねてるの」
人の問いに答えないくせ、自らの疑問は突き通すワガママな女だった。それとも、まさかとは思うが。
「それがあなたの目的ですか」
「……ええ」
妖艶な笑みを彼女はまた浮かべる。数時間前(これも推定。この部屋に時計がないので今は何時かわからない)に抱いた「構内に佇む美人」という第一印象は、ここにおける数回のやり取りで一瞬にして上書きされてしまった。
◆
講義室の前には大きなモニターがあった。彼女はそこに何か映画みたいなものを映し、1人の男の子––––私よりは幾分か年下、服のセンスが些か奇抜––––に注目しながら私に問いかけた。
「どうして、彼がここまでの能力を与えられたのか、不思議に思わない?」
黒髪の彼女はそう微笑む。たしかに少年は特異な能力が与えているようにみえた。
彼は、草原でなにやらお経のようなものを詠唱する。しばらくすると、派手なエフェクトとともに爆発が起きて、周囲の魔物を一層する。明らかにアニメかゲームの世界のような演出で、だけど男は間違いなく三次元で、そうなるとドラマか実写映画なのかな、なんてことをだらだら考えた。魔物から飛び散った血は生々しくて気分が悪くなる。
そこで、私は意識を失う前に見たチラシを思い出した。
《異世界研究会》
「これは、今リアルタイムで映し出されている異世界の映像。この男の子はあたしが観察対象にしてるからカメラを当ててるだけね。––––それで、どう? どうしてこんなに力を秘めているのか不思議じゃない?」
私の中に大量の疑問が同時生成される。深呼吸をして、1つ1つ潰していくことを心がける。
「えっと、まず質問に答えると……、そうですね、こういったファンタジーの世界ではこれくらいよくあることなんじゃないですか」
彼女はカップに口をつける。もう中身は空だった。
「そうね。悪い意見じゃないわ。……でも、彼が元々あたし達の同じ世界の住人だったとしたら? それでこの世界に転生して、周囲とはかけ離れた強大な力を与えられたとしたら?」
モニターの中にいる彼の周辺に、3人ほどの少女が集まる。彼は周囲と一言二言交わして、満足げな表情を見せた。
「ま、まあ、選ばれたんだな……としか」
「どうして選ばれたのかしらね」
何かの作品の考察か。それにしては不可解なことを聞くし、なによりモニターに映し出されている作品は固定カメラで面白みがない。音も流れないし。映像の世界には詳しくないけど、ここまで動かなければカメラマンや演出担当はもう少し叱られるか、作品公開後にクレームが来そうなもんだけど。
「あたしはその謎を解明したいの。だからサークルの名前は、『異世界研究会』。そして」
長い髪が揺れる。新製品のプレゼンよろしくモニター前へ歩いていって、恋する乙女みたいに後ろで手を組みながら私の方に笑顔で振り返る。
それから、美人で変人の彼女は言った。
「このモニターが映しているのはホンモノの『異世界』。––––あたし達が、技術の発展か死による転生を介してしか訪れることのできない、剣と魔法の世界」
誰もいなくなったカメラの映像、彼女の真剣な眼差し、同時に彼女から溢れる好奇心のオーラは、その異常な情報を事実として受け入れざるを得ないほどに説得力をおびて私に流れ込んできた。




