第一章 日常の底
他者を慈しむのが人間だとしたら、僕は初めからこの世の異物であっただろう
朝、母が泣きながらうずくまってた。父は仕事に出ていて、姉たちは母を心配している。
ぼくはそれに視線もくれず、支度を始めた。泣いてうずくまって何か変わるのか、理解が出来ない。
壊れているのだから、どうせ直しても直らないのだから、壊しきってしまえば処理もできるというのに、そうしないのはきっとそうしちゃいけないのだろう。
「いってきます」
ああ、後ろから罵倒の声が聞こえる。君たちは泣き叫びながら助けを求め、思い通りにならないと罵倒する。
助けたところで、直したところで、また壊れることなんか、予想の範囲内だろ。
なら手間をかける理由はない。
それでもぼくに罵倒の声をかけるのは何故だろう。改善の意思がないのは君たちなのに。
「おはよー」
「おはよ」返すべきかの判断に一秒もいらない。返す方が自然だからだ。
「今日の一限数学の小テストらしいぜ、クソだるくね。」
「ああ、前回の授業の時に言ってたね。」
だるいと言いながらため息を吐くクラスメイトも理解が出来ない。不満の表出行動なんてしても意味なんかないのに。
「でも白鷺はいいよな、頭いいもん。俺なんて年中赤点だよ」
「そんなことないよ、僕いつも平均点だよ」__反射。
「とか言っちゃってー、前回も点数良かったの知ってるからな!一限始まる前に出そうなとこ教えてくれー!」
「いいよ、僕も自信ないけど」__反射。
「まじ!助かる!俺次赤点取ったら塾増やされるとこだったんだよ」
「まあ、数学とか社会に出た後使わないだろうし、身構えなくていいんじゃない?」
「だよなー。絶対使わない!もっと彼女の作り方とか教えて欲しいもんだわ〜」
ああ、うるさい。母の鳴き声も、この声も、増えてきた足音も、五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿いうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさ____あ、。違う、揃ってる。音が、揃ってる。
全員の足音が、呼吸が、規則的に、同じ音で響いてるんだ。
誰もそんなことを言わないから誰も気付いてないんだろう。
それが偶然なのか、必然なのか判断する必要性はないけれど。
まるで見えないナニカにつれられているような、ぼくにはそのナニカが少しだけ見える気がした。
違う、見えるんじゃない、認識、認識の話だ。まるで透明な糸みたいなものがみんなの中から伸びて、どこかに向かってピンと張っている。歩幅も、呼吸も、その糸に引っ張られて決まっている。
ぼくにだけその糸がない。
だからなんだろか。母の鳴き声も、罵倒の声も、ため息も、何もかもが、糸のないぼくだけが解らないのは、きっと、__あ、れ「おい、何してんの。遅れるぞー」
「あ、ごめんごめん、今行くよ」
「ったく、テストが嫌だからって立ちどまんなよなー」
「あはは、塾、増やされないようにね」
「うわ、ひっでえの!教えてくれるんだろ!」
一人、糸が、空気が違うような、いや、糸なんかぼくの認識の話なんだから気のせいだろう。どうでもいい。




