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廊下の鋼、部屋の火種

明日は22時投稿予定です!


 冬休みを目前に控えた終業式の日。

 王立学園の長い廊下は、浮き立った声と冬の光で満ちていた。


「休暇は王都のタウンハウスで過ごすわ」「我が家は北方の領地へ戻るの」

 そんな会話のただ中――空気を裂くような、靴音。


 クラウス・フォン・ヴァレンシュタイン。


 整えられた短い金髪。肩で風を切る長身。歩幅は均一、無駄がない。

 歩くだけで人がすっと道を開ける、武門の嫡男の重み。

 鋼のように冷たい瞳に光が落ちると、周囲の生徒は反射的に背筋を伸ばす。


 その視線が、ふいに止まった。

 廊下の端、紙袋を抱えてこちらへ向かってくる、小柄な少年に。


「……クラウス兄さん!」

 ふわりと跳ねる金髪。レオポルト・フォン・ヴァレンシュタインの瞳が、一瞬で子どものそれに戻る。

 小さな靴音が近づき、兄の胸元へ吸い寄せられるように――


「……また甘い物か」


 冷ややかな一言が、冬の廊下をさらに冷やした。

 レポルトの足が止まり、紙袋がきゅっと握りしめられる。


「相変わらずだな。剣も盾も持たぬ者に、ヴァレンシュタインの名は重すぎる」


 淡々とした調子。だが、その声はわずかに震えた。

 その震えを拾えたのは、音に敏いエリアスだけだった。


「……兄さん……」

 呼びかけは、届かない。

 クラウスは振り返らない。歩みを乱さず、角を曲がり、気配だけを置いて消えた。


 喝采のための足音ではない。

 叱責でも罵倒でもない――ただ、氷のように硬い線で弟を弾き返す足音だった。


 レポルトが、紙袋を胸に抱えた。

 口を開きかけ、閉じる。その横顔に、幼い頃から貼りついた笑顔の癖が戻りかけて、戻り切らない。


 アリアが瓶底眼鏡の奥で目を細める。

 セリーヌは扇を半ばまで開いた手を、そっと閉じる。

 エリアスは、黒縁眼鏡のブリッジを押し上げた。


「行こう」

 エリアスが静かに言う。レポルトはこくり、と小さく頷いた。







「……ムフフフフ……」


 旧実験棟のいちばん端。魔導研究部の部室に入るなり、妙に機嫌の良い笑い声が落ちてきた。

 アリア・ブランデンが、机の上に広げた金属片と極小の符板を、猫が獲物を転がすみたいに指先で遊ばせている。


「部員を悪く言われるのは気分が悪い。気づかれないように廊下の床下に小型の起爆装置を――」


「ちょっと待て!!!」「やめろォ!!!」

 三人同時に飛びついた。エリアスが両手で工具箱を押さえ、セリーヌが扇で符板をぺしぺし叩き、レポルトが半泣きで金属片を回収する。


「せっかくの仕込みを……」

 アリアは頬をふくらませ、不満そうに瓶底眼鏡をくいっと上げた。「安全域内で鼻先だけ炭にして差し上げようと」


「鼻先も駄目!」(レポルト)

「それは“いたずら”の規模じゃないの」(セリーヌ)

「……今回は私も擁護できません」(エリアス)


 部室に沈黙が降りる。

 レポルトが机の角に腰を落とし、紙袋をそおっと置いた。皿に移すと、蜂蜜と香辛料で焼かれた小さな菓子がきらきら光る。


「兄さん、ああ見えて昔は優しかったんだ」

 ぽつりと落ちた声は、甘い匂いよりも控えめで、まっすぐだった。


 小雪の朝、魔力が暴走して倒れた自分を、真っ先に抱き上げて、熱の残る指先で髪を撫でてくれたこと。

 剣の素振りができず笑われた時、夜の庭で黙って相手をしてくれたこと。

 菓子屋に並ぶ季節の焼き菓子を「母上には内緒だぞ」と半分こしたこと。


「でも、いつの間にか……冷たくなっちゃった」

 ふわふわの金髪がしゅん、と垂れた。


「第二王子派に顔を出すようになってから、とか?」

 セリーヌが探るように訊く。

 レポルトは曖昧に肩をすくめた。「……わかんない。家のこと、僕に言ってくれないから」


 エリアスは、前髪の影で目を伏せた。

 “言ってくれない”という言葉の重さ。王族の食卓に置き忘れられる無関心の重さは、知っている。


「――まあまあ! そんな暗い顔しないで!」

 レポルトが立ち上がった。いつもの笑顔を、少し無理やり口角で押し上げる。「冬休みはさ、みんなでアリアのお屋敷に行くんでしょ!? 僕、調べたんだ。ブランデン領の黒蜂蜜タルト、冬限定の雪塩キャラメル、あと針葉樹の松ぼっくり砂糖漬け!」


「特産品に釣られてる……」

 セリーヌは呆れて扇をあおぐ。


「糖分は正義です」

 アリアは胸を張る。「黒蜂蜜の温菓子は、寒い日の正義です。実演もできます。爆発は、、しません」


「今“しません”に一拍おいたわよね?」

「気のせいです」


 笑いが、ひとつ。空気が少し軽くなる。






「そういえば殿下」

 セリーヌが、思い出したようにエリアスへ視線を向ける。「王族だけど、辺境まで行っても大丈夫なの?」


「ええ、父には許可をいただきました」

 エリアスは黒縁眼鏡の位置を整え、いつもより少しだけ低い声で続ける。「……父は私に関しては、あまり――無関心なので」


「あら、そんな簡単に!」

 セリーヌの眉が上がる。


「助かる時もある」

 エリアスは、笑ったつもりで口元を引いた。「でも、心細い時も、あります」


 言ってから、胸の奥がひやりとした。

 王子として、弱さをさらす言葉だった。


 沈黙の手前、アリアがいつもの平板で切る。

「許可があるなら、問題ありません。殿下は“実験助手兼講師”としても有用ですし」


「言い方!」(セリーヌ)

「自分なんかが役に立てるなら、嬉しいです」(エリアス)


 レポルトが、皿を押しやりながら身を乗り出す。

「ねえ殿下。“自分なんかが”って、言わないでよ。だって殿下は――」


 そこで言い淀んだ。何と言えばよいか、舌が迷子になった顔。

 代わりに、セリーヌが扇を静かに閉じ、真っ直ぐに言う。


「“なんか”じゃありません。あなたはもう、私たちの仲間よ」


 アリアも短くうなずく。「役割の有無に関係なく、居ることが価値です。居てください」


 エリアスの胸に、ふ、と温かいものが落ちた。


 



「旅程は、朝出立で五日行程。王都から運河沿いを北西へ向かいます」(セリーヌ)

「道中の補給は私が手配します。温かい甘味を携帯できる形で」(アリア)

「僕、お菓子係! 出発の朝までに黒砂糖クッキーとナッツのハチミツ漬け作ってくるね!」(レポルト)


「……用意だけは完璧」

 エリアスが苦笑すると、レポルトは舌を出した。




 アリアがさらりと紙を差し出す。「ブランデン領の冬の市の地図です。屋台の配置、回る順番、爆発しない範囲――」


「屋台と爆発を同列に並べないで」

 セリーヌが眉を寄せる。


「私がブランデン領の安全のために仕掛けた罠が複数ありますからね。安全計画は私が引き取ります。殿下がいる以上、警備の目も増えるでしょうし」アリアがとんでもないことを当たり前のように話す。


「ありがとう」

 エリアスが苦笑しながら頭を下げると、セリーヌも涼しく笑った。




 


「――そういえば、レポルト」

 エリアスが尋ねる。「どうして魔導研究部に?」


 レポルトは、少し照れたように笑って、答えは短かった。


「ここだと、甘い物が“必要”だって言ってくれるから」


 セリーヌが目を丸くする。「どういう理屈?」

 レポルトは肩をすくめた。

「僕は幼い頃から甘いものを摂り続けないとすぐに充電切れになるんだ、周りからはただの自制心のないやつだと思われてしまう。でも、アリアは否定せずに『糖分は糧になる』って言ってくれる。……それだけで、十分」


 セリーヌは笑顔でレポルトの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。




 



 アリア達は旅支度を厳選した。

 セリーヌは旅装束のポケットに細い算盤を滑り込ませ、買い出しの帳面を新しい革表紙に付け替えた。

「普段使う素材の原価、道中で見ておきましょう。」


 レポルトは王都の流行りのスイーツショップで道中のための菓子類を買いだめした。


 エリアスは書き付けをまとめる。

 旅程、危険箇所、代替路、緊急連絡――王子という名札を外しても、やるべきことは変わらない。

 




 



 窓の外、冬の星がきらめく。

 廊下の向こう、鋼の背中は振り返らない。

 それでも、道は同じ北西へ延びている。


 ――甘い物には、まだ名前のない理由がある。

 ――爆発には、抑え込むべき線と、解き放つべき線がある。

 ――居場所は、石壁の中だけではない。


 冬休みの旅が、はじまる。

 物語は、甘さと鋼のあいだで、もう少しだけ熱を上げる。

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