魔導研究部の発表(前編)〜無煙の光、燃える嘲笑〜
明日も22時投稿予定です!
開会式から一組目の発表まで少し時間があったため、魔導研究部はまるでお祭りのような王立学園を少し歩き回ることにした。
陽はまだやわらかく、昼を過ぎると風だけが先に冬の顔を覗かせた。校門わきの掲揚台で旗が細く鳴り、王立学園の並木は緑の葉先だけがわずかに黄を帯びている。年に一度のクラブ発表会――大講堂の前には屋台が連なり、砂糖菓子の匂いと温かいスープの湯気が混ざって漂っていた。
けれど、今年は目に見えて“減っている”ものがある。屋台へ供給する炭売りの荷車が少ない。山の煤が沁みた樽の口には麻布がかけられ、商人は肩をすくめて風から身を守っていた。
「今年は山の口(坑口)が早く凍りましてね。窯が湿って、火を入れても寝つきが悪い」
「乾かし棚が北風で影になるんだと。芯が生木のままじゃ煙ばっかりで」
「運河の冷えが早いんでさ。朝霧が深い。筏の足が鈍るから、荷が遅れる」
エリアスは立ち止まらず、通りすがりの小さな嘆きを耳に拾っていく。生まれつき「耳」は利く。舞台のざわめきの底で、帳場の算盤の音、キイ、と車軸のきしみ、――王都のど真ん中で、冬はもう音になって立ち上がっていた。
大講堂に入ると、世界が一枚、艶やかに塗り替わる。宝石のピンで髪を留める令嬢、金糸の刺繍を肩に光らせる令息。前列には商会の有力者や各家の家宰、壇上奥の貴賓席には学園長――国王陛下の弟君が端然と腰掛けている。
「風が、変わってますね」
エリアスの隣でアリアがぽつり。瓶底眼鏡の奥で、風の刃の角度を測るように瞳が動く。セリーヌは手帳を閉じてショールを肩に掛け直し、レポルトは紙袋を抱えたまま落ち着きなく足踏みしている(中身は甘いパンだ。開けるな、今は)。
魔導研究部の出番は最後――トリだ。最も目につく順番である代わりに、逃げ場はない。華やかな演目の連打のあとを、さらえるのか、しんとさせるのか。どちらであれ、審判は一度きりだ。
幕が上がり、最初は礼法舞踏部。古式のドレスが波のように裾を広げ、白い扇が弧を描く。先生が「花は花でよい」と頷き、前列の侯爵夫人が満足げに微笑んだ。続く庭園造景部は、季節外れの花を温室から運び込み、光の術で朝露を真珠のように散らす。
空気がぴんと張る。
次は騎士系最大勢力――王立戦技演武部。指揮は第二王子リチャード。陽光を掬ったような金髪が、剣帯の金具と一緒に一瞬ひかりを跳ね返す。笛が鳴り、太鼓が三つ。盾の列が静かに上がり、槍の穂先が一斉にターン。模擬包囲からの突破、陣形転換――最後にリチャードが馬上抜刀の構えで締めると、天井が振動するほどの歓声が沸いた。
「救世の獅子だ……!」
「若いのに、あの落ち着き」
賞賛とともに、別の音も混じる。
「近隣は緊張が続く。ああいう子を担がない手はない」
「家の三男を、あの隊に……」
人は光に群がる。政治も商いも同じだ。エリアスは長い前髪の隙間から弟の笑顔を見る。眩しい。誰もが笑顔を返す笑顔。
――エリアスにはできない類のことを、彼はやすやすとやる。胸の奥を冬の風がかすめ、その跡に、薄く火が灯った。(勝ち負けじゃない。今日は、届く火を見せるためにここにいる――俺たちは)
演武部の舞台は幕が下りるまで喝采に満ち、廊下の向こうでは「優勝間違いなし」が飛び交った。けれど、あの拍手は“戦のための拍手”でもある。光は人を集める。だが、集まった人に、冬を越させるのは誰だ。
楽団部は楽器に符術を載せ、音と光を連動させて音符を宙で踊らせる。美しい。ため息があちこちからこぼれる。
続いて中庭実演枠。戦術魔導部だ。舞台袖で彼らが銀の指輪を確認し合う。等間隔に埋め込まれた小魔石――携行用の魔力バッテリー。衣装は淡灰の軍装もどき。前列の二人が口角を上げる。客席の一角で見慣れた顔が腕を組んだ。リチャードの側近候補たち。エリアスと目が合うと、わざとらしく視線を外す。“直接の指示は出していない”距離感で動く、いつものやり口だ。
司会が読み上げる。「戦術魔導部による“無煙で安全な照明演出”」合図と同時に術式が走り、空気が硬く張る。音が消え、暗転。次の瞬間、天井高く光の花が咲いた。火ではない。熱もない。光学系の魔法で編まれた花弁が幾重にも重なり、無音の滝となって流れ、地に落ちる前にふっと消える。
「すばらしい……!」
「煙も火の粉もない。安全だ!」
観客はすぐにそれを「安全」と受け取った。前列の商会長が喉の奥で感心する。「炭を焚かずに済むのか? ……いや、儀礼だけなら十分だな」隣の家宰が頷く。「舞踏会で流行る。奥方が喜ぶ」
戦術魔導部の隊長がこちらをちらり。完璧な“勝ち誇った顔”をしている。照明が戻ると、側近候補たちは満足げに拍手をした。(どうだ、燃やさずとも花は咲く――そう言っている)
安全な美しさ。人は安心に拍手する。だが、火を知らずに冬は越せない。胸の中で一本の線が固まる。
「次、わたしたちです」
アリアが立ち上がる。瓶底眼鏡の奥で、子どものような期待の火が跳ねた。セリーヌはコストと導線のパネルを抱え、最後の留め具を確かめる。レポルトは紙袋をごそごそ……「しまいなさい」「はいっ」。えらい。
「……行こう」
私は眼鏡を押し上げ、深く息を吸う。癖になった長い前髪が頬に触れる。冷たい。けれど胸の奥は、もう冷えていない。
舞台転換。さっきまで光の花が咲いた場所に、砂を敷いた安全圏を広げる。消火瓶、符札の予備、薬包紙。動線を確認し、段取りを頭の中でなぞる。今日の花火は、事前許可の最小規模。爆ぜるのは計算の範囲。飛散なし、安全域内。――それでも、音は鳴る。音は恐怖を呼ぶ。
「大丈夫。計算どおり」
アリアが笑う。「爆発はだいたい計算どおりです」
「“だいたい”を強調なさらないで」セリーヌが小声で刺す。
「ボク、手拍子いれてもいい?」レポルトが目を輝かせる。
「――だめ」三人でハモった。
舞台監督が親指を立てる。司会が言う。「トリを飾るのは魔導研究部! 例の“爆発”でおなじみ――」会場がくすりと笑う。「――本日は安全枠内での演示です」
幕が上がる。喉の奥に熱が集まる。私は一歩前へ出る。黒縁の下で視線を上げる。幾百という顔。光の花に喝采を送った手が、いまは膝の上で組まれている。
「初めに、小規模の燃焼デモンストレーションを――」
アリアが点火。ぱち、と小さな花がひとつ咲き、すぐに二つ目。音は軽く、煙は最小。砂の上で火は丸く呼吸し、静まる。次に同配合で、少量の魔力を後から注ぐ。燃え残りの灰の中で、赤橙がふつり、と戻る。私の胸も、ふつり、と温まる。(これが、私たちの“息”だ)
反応は――薄い。無煙の花の直後だ。人の目は比べてしまう。比べれば、こちらは地味で、危うく見える。
「……あれがトリ?」
「危ないだけじゃない?」
「時代遅れ。燃やすなんて」
笑いと囁きが、粉雪のように静かに降りはじめる。最前列で若い伯爵令息がわざとらしく咳払い。「貧民街でおやりなさいよ。舞踏会で煙は御免だ」隣の令嬢が口元を扇で隠し、笑う。「まあ。安全に美しく、できないのね」
人々から浴びる音に喉がからりと乾く。その中で周りの反応と違う景色が見える。視界の端、貴賓席の叔父上――学園長が小さく頷く。その右隣。上等のヴェールを品よくかぶった女性が、そっと頬に指を当てる。アリアの母。現存貴族で一番美しいと囁かれる人。視線が合った瞬間、優しい笑みをくれる。その横で腕を組む熊のようなアリアの兄は、不敵に、けれどどこか楽しそうに笑っていた。胸の内側に別の風が吹き、冷たさを押しやる。
袖の陰から、戦術魔導部の隊長がこちらを一瞥。目尻の笑み。リチャードの側近候補たちは満足げに頷き合う。――目立たせない。恥をかかせる。それで十分、という顔。
砂の上の赤橙が、「まだここにいる」と言うみたいにかすかに明滅した。貧民街の焚き火の輪が脳裏に浮かぶ。肩を寄せ合って笑っていた子どもたち。レポルトの声が戻る。(僕、この国の子供達が――みんな甘いお菓子を食べて笑顔になれる様にしたいな〜)
セリーヌの現実の定義。(“甘さ”は糖分だけじゃない。暖かい寝床、風を防ぐ壁、ひとかけらの余裕)
そしてアリア。(燃やすことには意味がある。灰に、息が残る)
嘲笑が一段高くなる。剣呑ではない、軽薄。だが軽薄ほど人の心をさらうものはない。胸の奥に薄い刃が立ち、痛む。――その痛みは、目を覚まさせる。
私は、眼鏡を押し上げた。前髪の陰で目を上げる。喉に集めた熱を、言葉に変える準備をする。震えが、少しだけ消える。
「――ご覧いただくのは、ただの花火ではありません」
息を吸う。次の言葉の形が舌の上に乗る。先程見た炭問屋の帳場付きの顔が心に浮かぶ。彼は冬の値幅で胃を痛めている。菓子を売る若い母親は赤子を抱き、寒さで頬を赤くしていた。ここにいる最上段の生徒たちは笑っている――
舞台の空気が、ぴん、と引き締まった。嘲笑が、一瞬だけ薄くなる。私は、声を出す準備を整えた。胸の奥の小さな火――誰かの冬を越すための火を、言葉に移す準備を。
――ここからが、ぼくらの番だ。
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