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開会式

明日も22時に投稿予定です!


 戦術魔導部の控室は、磨かれた金属と乾いた薬品の匂いが薄く漂っていた。

 長机の上には、光素結晶を嵌め込んだ投射器と、幾何学の花のような陣板。杖頭の水晶は濁りなく、蛍のような光を胸の内に抱いている。


「――同期取れ。層は三段、幻幕は五重。遅延〇・一、上ずれば“花”が崩れる」


 戦術魔導部の部長は、長躯を折って投射器の角度を微調整した。

 部員たちは、指の関節まで研ぎ澄ませた音で返事をする。歪みを許さない職人の空気が満ちていた。


 静けさを裂くように、軽い靴音が近づく。黒い礼服の青年が二人、音を立てずに扉を閉めた。どちらも、第二王子リチャードの側近候補と目される者たちだ。片方は鳥のような冷たい目、もう片方は、笑っているのに笑っていない。


「準備は?」と、鳥の目が言う。


「滞りなく」部長は胸を張る。「火を使わない花火――“無炎花”。安全・華麗・効率の三拍子で観客の目を攫います」


「よろしい」笑っていない笑顔が、扇子を打ち合わせた。

「本日のトリは“魔導研究部”。第一王子が同席するらしい。……彼を台頭させる必要はない。君たちの出番で視線をさらい、舞台の温度を上げ切っておくといい。あとに出る者が“古い余興”に見えるくらいに」


 部長の唇に、抑えきれない愉悦が浮かぶ。「示しましょう。」


「頼もしい」


 二人は指先だけで挨拶をして出ていった。扉が閉まる。

 残った空気が一瞬ほど緩み、すぐに張り詰め直す。





 王立学園・大講堂、ここで開会式が始まる。

 天井の高い空間に、切子のような光が降りている。白い石柱の間を、色とりどりのドレスと礼服が行き交い、ざわめきは礼節と期待のほどよい混ざりで波立っていた。


 舞台中央にひらく一筋の道。そこを、堂々とした歩幅で進む男がいる。

 陛下の弟、ルドルフ公――この学園の学園長だ。銀糸を混ぜた制服のマントを肩に掛け、ゆっくりと視線を客席に巡らせる。


「若き諸君」


 低く、よく通る声だった。

 ざわめきが、潮の引くように収まる。


「本日は、諸君の“この一年”を見せてもらう日だ。華やかなものもあろう。地味に見えるものもあろう。だが、国はその両輪――『人を惹きつける光』と『暮らしを支える技』――で進む」



「忘れるな。舞台に立つのは名家の看板ではなく、諸君の手と、頭と、心である。諸君の才覚が、この国の未来を灯すと信じている」


 最後に一拍、間を置き、やわらかく口角を上げた。


「さあ、始めよう」


 大講堂に拍手が広がる。秩序と熱の、ちょうど中間の温度。

 エリアスは黒縁眼鏡を押し上げ、長い前髪の隙間から学園長を見つめた。


 胸にともる小さな灯が、風に消えずに残った。






 開会式後、客席がふっと色を変えた。

 薄い絹のショール、朝露のように透明な肌、淡い金色の髪。歩くだけで、周囲の空気が静まる。


 アリアの母、エリザベト・ブランデン。

 “現存する貴族夫人で最も美しい”という評判は、誇張ではなかった。


 付き従う男は、熊のような肩幅と胸板――だが、目元は切れ長に涼しく、笑えば少年の影が差す。

 アリアの長兄、コンラート・ブランデン。領内の騎士たちから“熊殿”と親しまれ、同時に憧れられているという男だ。


 二人は、今朝まで王都で予算会議に出ていた。合間を縫って、娘の晴れを一目見に来た――それを知る者たちの視線が、自然と吸い寄せられていく。


 やがて、アリアに手招きされるようにして、舞台袖に降りてきた。

 エリザベト夫人は、エリアスたちを見る。その碧眼が、ふいに止まった。


 ひどく短い沈黙。

 彼女は、まるで何かを辿るように、気配の濃い瞳でエリアスの顔を見つめた。


「……どこかで」


 かすかな呟き。瞬きが二度。

 そののち、困ったような微笑みが、ゆっくりとほどける。


「やはり――あの方に似ていらっしゃる」


 喉の奥が、勝手に熱を持つ。

 “あの方”。その呼び方が、答えを言うよりも雄弁だった。


「もしかして、お母様に……?」気づけば、声が出ていた。

 夫人は、頷く代わりに胸に手を当てた。


「失礼しました、今は舞台の前ですね」

 それ以上を語ることはせず、ただ、その瞳の底に光を宿す。

「――殿下のご発表、心より楽しみにしております」


 


 すぐに、夫人は娘へと振り返る。眉尻をきゅっと上げるのは、内輪の甘えを許さない母親の顔。


「アリア。派手にやりすぎないこと。 殿下にご迷惑をかけてはなりませんよ」


「心配ご無用です、お母さま」

 アリアは胸を張り、瓶底眼鏡をくいっと押し上げる。「計算は完璧です」


「……この台詞、子どもの頃から百回は聞いた気がするな」

 隣のコンラートが、熊の肩で小さくため息をつく。涼しい目にわずかな甘さ。


「だって、兄上。計算通りですから」


「壊すなよ」

「壊しません」


 この短いやり取りに、セリーヌがくすっと笑い、レポルトが肩を震わせる。

 エリアスの頬からも、いつの間にか強ばりが抜けていた。





 舞台の奥では、次の幕に向けて大道具が静かに動いている。

 エリアスたちは最後の確認を終えた。パネルの角をセリーヌが揃え、レポルトはポケットからキャンディを二つ、こっそり取り出す。


「はい、殿下。緊張には糖分」

「……ありがとう。あとでね」


 アリアは、木箱から細長いレンガを二枚取り出した。

 暁火板ぎょうかばん――魔石の屑と灰を組み、少量の魔力で余熱を長く保つ、小さな灯の板。

 花火の副産物の研究から派生した、“冬を越す”ための工夫だ。


「パネルは“花火”の図を前に、暁火板の図を後に」

 セリーヌが低く確認する。「視線を掴んでから、意味を置く」


「香りは、甘さ控えめにしたよ」レポルトがささやく。「お腹が空くと集中切れるからさ」


「賢明ですね」アリアが短く頷く。「落ち着いて“聞ける”香りにしましょう」





 舞台の外では、学園長が簡潔な注意事項を述べ終えていた。

 これから、各部の発表が始まる――ただ、その前に、もう一つだけ、挟まる影があった。


 客席の上段、王族席の一角。

 先ほどの側近候補の青年二人が、ひそやかに視線を交わした。


「学園長の言は、面倒だな。ただの綺麗事だ」

「言葉は風だ。だが、目は攫える。戦術魔導部の出来は充分。あとは“変人部”に古臭さを背負わせればいい」


 笑っていない笑顔が、薄く伸びた。










 舞台袖、出番を待つ狭い通路。

 コンラートが柱に片手をつき、低い声で妹に釘を刺した。


「アリア。派手にやるな、壊すな、燃やすな。……いいな」


「兄上、今日は“壊れないための設計”です」

 瓶底眼鏡の奥の瞳が、無邪気に光る。


「それを百回聞いた」

「百三回目です」


 エリザベト夫人は、俺の方へ視線を戻し、優雅に会釈した。

「殿下、娘を――ほどほどに見張っていてくださいな」


「……尽力します」


「ひどい」アリアが小声で抗議し、レポルトが笑いを漏らし、セリーヌが「ほどほどにね」と肩で囁く。

 笑いの波が、四人の輪の真ん中を温めた。ほんの一瞬、冬のことも、派閥のことも、遠のく。






 司会の明るい声が、天蓋の下に弾む。

「――以上をもちまして開会式を終了いたします。これより各部の発表を開始いたします!」


 まだ、どの部も舞台に出ていない。

 観客の期待は、今まさに、ふくらみ始めた膨らみを保っている。


 エリアスは、黒縁眼鏡をそっと押し上げた。

 長い前髪の向こうで、学園長の言葉が、小さく反芻される。


(光と技。――俺たちの出すのは、目くらましの光じゃない。明日へ続く灯だ)


 ふと、胸の奥の重りが口をついた。


「……改めて、私のやりたいことにつき合わせてしまっていて申し訳ない」


 言ってから、空気が少し沈むのを感じた。

 けれど、すぐに柔らかく戻る。三人が同時に、呆れたように微笑んだからだ。


「何を言ってるんですか」

 アリアが鼻で笑う。「今まで私の爆発にどれだけ付き合わせたと思ってるんです。やらかしている自覚は多少あります。義務感があるのは、むしろ私の方ですよ」


「そうそう!」レポルトが明るく指を伸ばす。「ぼくなんて“甘い匂い出そう!”って毎回わがまま言ってるのに、いつも一緒に面白がってくれる。だから今回は――エリアス様の夢も、ぼくたちの“やりたいこと”なんだよ」


 セリーヌはショールの端を整え、ゆったり微笑んだ。

「迷惑? 違うわ。これは選択。私たちが“いっしょにやりたい”から、ここにいるの」


 胸の奥の氷が、さらさらと溶けていく。

「……ありがとう」


 その時、アリアが掌で本の背をぽん、と叩く。

「では、参りましょう。『爆発は計算通り、火は明日へ』の時間です」


 エリアスたちは顔を見合わせ、小さく頷いた。

 幕が、音もなく持ち上がる――まだ誰も立っていない舞台に、最初の一歩を置くために。



 ――見せよう。

 美しいだけでは終わらない“火”を。

 冬の前に、誰かの手を温める灯を。

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