血に塗れた第一王子、辺境令嬢に拾われる
この後21時に2話目投稿します。
夜の森を、足を引きずって進んだ。
血と湿った土のにおいが肺にへばりつく。喉の奥は金属の味しかしない。
振り返らない。……いや、振り返る余裕も、勇気も、もう残っていなかった。
(やっぱり、俺には無理だったんだろうな)
王位継承の争い。
そもそも自分が王位を継げるなんて思ったことすらない。
それでも、せめて“誰かの役に立てる王子”でいたくて、覚悟だけは胸に入れていたつもりだ。
結果は惨めだ。策略に嵌められ、腹は裂かれ、いまは命をすり減らしながら逃げている。
どうやら命があるだけで邪魔らしい。
胸の内側が焼ける。脈打つ痛みが視界を赤く染める。
黒髪に汗が貼りつき、眼鏡は曇って役に立たない。
それでも剣は手放さない。手放した瞬間、本当に“終わる”気がしたから。
(光るのはいつだって弟だ。俺は、影でいい。……けど)
——ここで死ぬのは、嫌だ。
足がもつれ、膝をつく。
顔を上げると、鬱蒼とした闇。木々の密度が、そこだけ異様に濃い。
王都から遠く離れた辺境に広がる、誰も近寄らない禁域——「魔の森」。
冒険者を飲み込み、魔物が跋扈する。
“死にたがり”しか入らない場所。
こんなところで朽ち果てるなんて、本当に俺らしい。
自嘲の息が漏れた。
それでも、剣だけは柄を握りしめた。最後まで足掻いた痕跡くらい、残しておきたい。
——その時だ。
闇の奥で、灯火がひとつ揺れた。
深いフードをかぶった、小柄な影がこちらを見下ろしている。
「……こんなところまで来て。ほんと、愚かな王子様」
冷たくて、よく通る声。
どこかで聞いたことがある——気がした。
思い出す前に、意識が、闇に沈む。
――厄介な人間を拾ってしまった。
夏季休暇で辺境に戻ったアリアは、研究室に籠りきりの生活を熊みたいに屈強な兄たちに咎められ、
「たまには外に出ろ。森で魔石でも拾って来い」
と、半ば強制的に追い出された。
本当は、机にかじりついて符式の配列をいじっている方が性に合っている。
けれど、たまの採取は嫌いじゃない。今日も“手頃な魔石”が拾えたら良し——その程度の気持ちで、森に入った。
血のにおいに気づいたのは、帰り道だ。
風向きが変わり、鼻先をかすめた鉄の匂い。
足を止めて灯火を掲げると、そこに“王家の装い”が崩れ落ちていた。
第一王子——エリアス。
粗い息、腹部の致命傷。
このままでは数刻も持たない。魔物の餌になる未来が、容易に描けた。
「よりによって“魔の森”で息絶えるなんて。……王族というものは、つくづく愚かですね」
小さくため息をついて、フードを深くかぶり直す。
見過ごすことはできる。放っておけば、森が“片付けて”くれる。
——けれど、胸糞が悪い。
この辺境は、中立を貫いて守ってきた土地だ。
第二王子派一色になれば、理不尽な命令が真っ先に降ってくるのはこういう場所である。
王妃の一人息子であるこの少年が、ここで死ねば、誰かが都合よく“物語”を作るだろう。
その歪みは、必ず辺境に届く。
「……仕方ありません。今日の採取は中止です」
腕をひと振り。
空気がわずかに歪み、刻んでおいた転移陣が青白く浮かぶ。
王子を引きずり込みながら、頭の中で算盤を弾いた。
助けるのは“情”ではない。
辺境の安寧のため。中立のため。——それだけのこと。
それでも、転移の光に包まれる直前、アリアは思わず小声で呟いた。
「……王子様。運は、いい方ですよ」
この拾い物が、王国の冬を変える始まりになるだなんて——
ここに立つ少女も、森で倒れていた少年も、まだ知る由もない。
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