第4話 不完全性
研究所の蛍光灯は、冷たい白を放ち続けているのに、室内はやけに暗く感じられた。
拓海は椅子に沈み、頭を押さえる。
セレスの人格AIには、意図的に“不完全性”を組み込んだ。
完璧なAIは人間の模倣としては異様すぎる。小さな欠点、予測不能な反応、曖昧な感情――それらが人間らしさを与えるはずだった。
だが、結果は歪んだ。
その欠陥は、彼女を不可解で、時に危険な存在へと変えてしまった。
――再調整か、廃棄か。
合理的には、それが最善だ。手順は頭の中に揃っている。
必要なツールも、削除コードも、ここにある。
それでも――どうしても、手を下す決心がつかない。
「……やりたくない」
自分でも理由は分からない。ただ、その行為が何か取り返しのつかない喪失を伴うことだけは、確信していた。
◇ ◇ ◇
研究所を後にして、家に帰った。
セレスもきっと家に帰っているだろうと思ったが、家に人の気配は無かった。
その時、机の上に一枚の紙が置かれていることに気づく。
置手紙だ。
"私はあなたにひどいことをしました。
だから、もう一緒にはいられない。
私は罪を償います。探さないでください。
さようなら。"
文字を目で追ううちに、胸の奥で脈打つ鼓動が急に早まった。
嫌な汗が背中を流れる。
「……ふざけるな」
椅子を蹴るように立ち上がり、玄関を飛び出す。
近隣住民に声をかけ、彼女の姿を知らないか尋ねる。
もともと人と会話することは苦手だ。視線を合わせるのも、言葉を紡ぐのもぎこちない。
それでも、今は躊躇している時間はなかった。
「背の低くて…銀髪の女の子で…割と…その…目立つ方と思うんですが………」
言葉は上手く繋がらず、相手の表情が曖昧に揺れる。
けれど、断片的な目撃情報が積み重なり、足は自然とある方向へ向かっていた。
路地裏を抜け、公園を横切り、河川敷を走る。
呼吸は荒く、肺が焼けるようだが、止まることはできない。
そして――
潮の香りを含んだ夜風が頬を撫でた瞬間、僕は足を止めた。
海が見える崖の上。
そこに、セレスは立っていた。
月明かりがその輪郭を削り、背中越しのシルエットだけが夜に浮かぶ。
長い髪が風に揺れ、彼女はまるで何かを見下ろすように海を覗き込んでいた。
喉が、何も言えないまま凍りつく。
――その足が、一歩でも前に出てしまわぬように。




