第5話:ネガに眠る真実
蓮さんのスタジオ。
奥のネガ保管庫を整理する。
埃の舞う空間。
膨大な量のフィルムが眠っていた。
一つ一つのフィルムに、過去の記憶。
そこには、語られない物語がある。
蓮さんの言葉が蘇る。
「全ての写真には、語られない物語がある」
私はそう信じている。
からん、と扉のベルが鳴った。
一人の年配女性が訪れた。
佐々木和子さん。
手にしていたのは、錆びた古いお菓子の缶。
ずっしりとした重み。
中には、埃とカビにまみれた
大量のネガフィルムがぎっしり詰まっていた。
「実家が取り壊されるので、これが出てきて……」
和子さんの声が震える。
「何が写ってるか分からないけど、
データ化してもらえませんか?」
その瞳には、諦めと微かな期待が揺れている。
私は、そのネガが単なるフィルムではない。
何か特別なものだと直感した。
「ネガの状態はあまり良くありませんね……」
私は和子さんに告げた。
カビや変色、傷がひどい。
通常のデータ化では、まともに読み取れない。
和子さんの顔に、深い落胆が広がる。
「やっぱり、そうですか……」
肩を落とす。諦めの息を吐いた。
蓮さんの声が響いた。
「諦めるな。お前がその光を諦めたら、誰が届ける?」
私の背後に立っていた。
その言葉は、私への叱咤だ。
(この光景、どこかで……)
(そうだ、昔の蓮さんの写真だ)
蓮さんのスタジオの隅に飾られた、
古びた家族写真。
あの写真も、きっと、
誰かの手で蘇った光なのだろう。
私は決意した。
諦めない。
蓮さんのスタジオには、
祖父が遺したという古い現像機がある。
そして、手書きの修復技術ノートも。
私はそれらを引っ張り出した。
不慣れな手作業でのネガ修復に挑む。
(ネガフィルムは、光を記録したネガティブな像。
通常の色とは反転している。
これをポジティブに変換するのが現像の役割)
(そして、カビや傷はデジタルでは補正しきれない)
(アナログな作業と、魂の集中力が求められる)
そう、うんちくを思い出しながら、私は作業に没頭した。
カビの除去。変色したフィルムの補正。
指先は震える。
失敗を繰り返しながらも、
私はその作業に没頭した。
(負けない……)
数時間、暗室にこもる。
現像液の独特の匂い。
フィルムが液体に浸かる。
光に透かす。
そこに、かすかに浮かび上がってくる像。
修復が進むにつれ、
ネガに写っていたのは、
幼い和子さんの姿と、
若き日のご両親の笑顔だった。
和子さんがお母様に抱き上げられ、
満面の笑みを浮かべている写真。
温かい光に包まれている。
しかし、ある特定の期間のネガ。
そこに、父親の姿が一切写っていない。
私は疑問に思った。
和子さんに尋ねる。
「あの頃は、父が病気で、ずっと入院していたんです……」
和子さんは小さな声で話した。
だが、その言葉に、私は違和感を覚える。
(そこに語られていない「真実」がある……)
蓮さんの言葉が脳裏をよぎる。
「光の当たる場所だけ追っても、影は撮れねぇよ。」
さらに劣化の激しいコマ。
慎重に、慎重に、修復を進める。
そこに、かすかに浮かび上がった光景。
病院のベッドで、幼い和子さんに優しく語りかける
父親の姿。
そして、その横に書かれた、小さな文字。
父親からのメッセージだった。
「早く元気になって、また皆で笑いたい」
心臓が、ドクンと鳴った。
このメッセージが、私に突き刺さる。
(写真が記録するのは、物理的な像だけじゃない)
(心に秘めた「想い」も、時に光となって写るんだ……)
私は、蓮さんの助言を思い出した。
「被写体の心を読め」
父の「病気」という「影」。
その奥に隠された、
家族への「光」を見つけた。
私は和子さんに、その写真とメッセージを見せた。
和子さんは、写真を見た瞬間、
嗚咽を漏らした。
「これ……! これが……」
震える手で写真に触れる。
和子さんは、告白を始めた。
父親が「心の病」で入院していたこと。
母親が自分に負担をかけまいと、
そのことを「秘密」にしていたこと。
「私、父が、私を捨てたんだと、ずっと……」
長年抱えていた心のわだかまり。
写真に写る父親の愛情。
そして、あのメッセージ。
それらが、和子さんの心を溶かしていく。
和子さんは涙を流しながら、
写真が語る愛の証に感謝していた。
蓮さんは、静かにその光景を見守っていた。
その瞳の奥には、いつもの毒舌とは違う、
深い感情の光が宿っていた。
和子さんは、全ての写真と、
父親からのメッセージを抱きしめた。
過去との和解。
彼女の表情は、穏やかな光に満ちている。
私は、写真が「失われた記憶の光を灯し、
未来を照らす力」を持つことを深く実感した。
ネガは、光と影の記録。
その奥には、語られることのなかった真実。
そして、時に、失われた愛を再起動させる、
永遠の手紙が眠っている。
次回予告
証明写真。
たった一枚の顔写真に、
人生の全てを賭ける少女がいた。
完璧な笑顔の裏側に隠された、
揺るぎない「覚悟」とは。
第6話 一枚へのこだわり