第163話 温かい家はもうここにはない
仕事内容を聞いた後、志鶴さんに連れてきて貰った場所は閑静な住宅街だった。
普通の車であれば迷子になっても仕方ないと思える程に入り組んでいるそこを、
上空からぶった切るように目的地へと進んでいく。
そうして到着したのは──ただの空き地だった。
正確には『管理地 私有地につき立入禁止』と書かれた看板が中央に置いてあるだけの土地。
中継地点か何かと聞いていたので、何らかのアイテムがあったり、
更なる案内役が待機していると考えていたのだが……これは予想の斜め下の景色だ。
「あ、あれっ〜? な、なんで〜?
ここに家があるって聞いてたのに、なんで看板が置いてあるだけなの〜……?」
やっぱり詳しい事情を聞かされていなかったのだろう。
志鶴さんは空き地を見て頭を抱えて顔を青くしてしまっている。
「ちょ、ちょっと……すいません! 待ってて下さい!
今、本社に問い合わせて確認しますので!」
「あっ、ちょっとまって!」
責任感のある彼女はまた失敗したのかと思っている様子で、
泣きそうになりながら電話を掛けようとした。
私はそれを止め、唯一そこにある看板を改めて見つめる。
……この看板、なんか違和感があるんだよなぁ。
そこにあるように目には見えているのに、まるで存在していないかのようにも見える。
「……真知子殿、あそこにある看板。何かおかしくないか?」
「……真人さんもそう見える?」
「あ、お二人もそう思っていたんですか?
わたしも本当になんとなくですけど、ほんの少し違和感があったんですよね」
「えっ? えっ? 皆さん? あの看板に何かあるんですか?
あたしには全く分からないんですが……?」
どうやら志鶴さん以外は違和感を覚えたらしい。
ソラちゃんはほんの少し、真人さんは私と同じ感じの強さの違和感……何か共通点でもあるのだろうか?
ステータスの強さ順?
それとも同じ住居に住む事になる人同士だから、
地球が何か気付けるような仕掛けを私達に施した?
それとも、もっと別の理由が──?
「……まさか……真知子殿。あの看板を〈成長玉〉を操作した時のように、改めて調べてみてくれないか?」
「えっ? わ、分かった」
真人さんにそう言われ、私は命素の流れを掴むように意識掛けて看板を注視してみる。
すると、そこに確かにあった筈の看板が徐々に消えていき、代わりに何かが見え始めた。
やがて看板が完全に消えた後、そこには全く別の物が立っていた。
「……えぇ?」
今、私の目にはかつて千色モヨが私の前に突然現れた時に見た、
あの〈ワープビーコン〉が土地の真ん中に立っている。
成程、確かにこのアイテムなら目的地までひとっとび出来るだろう。
つまり、このビーコンがソラちゃんの言っていた"中継地点"という事だ。
「真知子殿。何か分かったか?」
「……うん、分かったわ。志鶴さん。〈ワープビーコン〉の使い方って知ってる?」
「〈ワープビーコン〉ですか? は、はい。
一応、あたしを含めて警備隊の隊長全員は佐藤様をご案内役を務めるにあたり、
〈ワープビーコン〉の操作方法は学んでます、けど……?」
「知ってるのね。良かったわ」
「……マチコさん。それは、もしかしてあの看板は"看板"ではなく、
本当は〈ワープビーコン〉だったという事でしょうか?」
「え、えぇっ!?」
流石ソラちゃん。あのちょっとの会話で私の言いたい事を理解したみたいだ。
「うん。そういう事だから、それが見えた私ならあのビーコンを使えるかもしれないわ。
志鶴さん使い方を教えてくれる?」
「は、はい! 分かりました!」
それから私は志鶴さんから〈ワープビーコン〉の操作方法を聞いた。
〈ワープビーコン〉は転移元に置く分と転移先に置く分の二つのビーコンがセットになっているアイテムらしく、
転移元のビーコンにあるスイッチを押すと、転移先にあるビーコンの近くに転移出来る仕様らしい。
また、複数人であってもスイッチを押す人と手を繋ぐなりして、
肉体に直接触れてさえいれば一緒に転移する事が可能との事。
つまり、使用するにはビーコンに備え付けてあるスイッチを押すだけでいい。
難しい所は何も無い。このスイッチを押せば地球が用意した私達の拠点まで移動出来る──筈だ。
私の腕にソラちゃんが掴まり、真人さんが私の手を繋ぎつつ、
私は空いた手の指をビーコンのスイッチの前で待機させる。
「それじゃあ……押すわね?」
「はい、お願いします」
「頼んだ」
「い、いってらっしゃいませ! 皆さん!
またお呼び掛け致しますので、どうぞごゆっくり!」
志鶴さんは名残惜しいが、ここでお別れだ。
彼女は運営の組織に所属しているし、一緒に連れてくると問題がありそうだったので、
彼女には申し訳ないけど招待する事は出来そうにない。
「志鶴さん、頑張ってね。あぁでも、無理はしないでね?
貴方にもしもの事があったら、きっと私立ち直れなくなっちゃうから」
「っ、はい! あたし、無理をしないギリギリの範囲で頑張ります! 佐藤様もどうかお気をつけて!」
「う、うん。ありがとう。私も頑張るね」
「…………頑張って下さい」
「死なないように戦うのも、戦士の能力の一つだ。
恥じる事なく、生き延びて戦い抜く事も考えるといい」
「じゃあ、またね!」
「はい! また!」
そして、志鶴さんと別れを告げた私はビーコンのスイッチを押す。
すると目の前の景色がグニャりと歪み、身体が何処かへと引っ張られる感覚を覚えた。
目の前の景色が真っ黒い暗闇へと変わり、風のような力の流れが身体へと伝ってくる。
しかし、それも一瞬の事だった。
直ぐに景色はただの黒から色とりどりのものへと変化して、
そこが何処かという形を鮮明に描いていく。
そうして見えてきたものは、私達を酷く驚かせた。
森の中にポッカリと吹き抜けを作ったかのように、太陽が燦々と降り注ぐ草花の広場。
その中央に佇む簡素ながらも可愛らしいデザインの木造の一軒家。
まるでファンタジー世界のワンシーンをそのまま切り取ったかのような、
美しくも現実離れした景色は私の情感を溢れさせてくる。
「……ここが、私達の家なの……?」
「恐らくは……でも、ここって何処なんでしょうか? 日本では無さそうな場所ですが……」
「一応警戒はしながら、家に近付いてみよう。何か分かるかもしれん」
私達は辺りを注意深く観察しながら家へと近付いていく。
家を取り囲むように立ち並ぶ木々は本物のように見えるが、
あの看板と同じ要領で観察してみれば、それが本物ではない事が分かった。
木々に見えていたものはマーブル模様の壁のような何かへと変貌し、
この場所が如何に異様なのかと表していたのだった。
「この森……偽物だわ。あそこにある木は見せかけでしかないみたい」
「! そうですか……なら、ここが運営が関与出来ない場所だと期待しても良さそうですね」
確かにこんな怪しげな場所なら期待も持てるというものだが、確証はまだない。
警戒しながら私達は家の前まで近づき終わると、ふと家の前に立てられているポストの中に
一枚の手紙が差し込まれているのが目に入った。
「もしかして……」
私はその手紙を引き抜いて、自分の予想を確かめる為に封を開いてみる。
そして、中を読んでみると、そこには予想通りこの場所の説明が、
あの"青白い光"の語り口調で書かれていた。
『やぁ、みんな。初仕事はどうだった?
きっと思ったよりも楽そうで安心したんじゃないかな?
あぁいや、ここではその話は止めておこう。藪蛇にしたくないしね。
さて、それじゃあ早速ここの説明をさせて貰うよ。
ここはソラの要望通り彼らが一切関与出来ない空間になっていて、
僕の頭上や下とは切り離した場所に存在してるんだ。
つまり、僕の中にありながらも僕には存在しない場所って事だけど、
これで意味は伝わるかな? まぁ、ソラなら分かるよね?』
私には理解出来なかったのでソラちゃんにどういう意味か聞くと……ソラちゃんは慄いた顔をしながら説明してくれる。
「……説明が難しいですが、恐らくこの場所は地球さんにある陸海空の何処かに存在してる所ではなく、
地球さんが創造したであろう──俗にいう"亜空間"にある場所という話なんだと思います。
……超常現象の極地って感じですね……」
「……マジか……」
「星というのはそんなマネまで出来るのか……凄まじいな」
比べれば規模はとても小さいが、やってる事は別の新しい世界の創造に等しい。
私は改めて地球という存在の強大さを思い知った。
だが……一応はその恐ろしいまでの力を行使できるあの御方は私達の協力者になってくれている。
まぁ運営の協力者でもあるのだが……少なくとも"自分"に暮らしている生物を虐げようとは考えていないようだし、
必要以上に身構える必要もないだろう。
『それで家に入る時は普通に玄関か裏口にある扉から入ってくれれば良い。
他の人もこの家に招待したいならしても大丈夫だよ。
あぁでも、当然だけど運営の人達だけは入れないでね?
この場所がどういう所なのか知られて秘密じゃなくなっちゃうから。
後、中にある物の説明だけど──』
それからは家の中にある物の説明がズラリと書かれてあった。
家については勿論の事、中にあるであろう家具一つ一つの詳細が丁寧に記載されていた。
この説明書を作るだけでかなりの労力が必要だった筈だ。
私達に謝罪をしたいという気持ちが伝わってくるようで、
地球なりの誠意が感じ取れて、少し安心する事が出来た。
一通り手紙を読み終わり、この家の使い方がある程度理解出来たので、
私はアンティーク感のあるドアハンドルを握り、家の扉を開けて中に入る。
すると、そこには──何も無かった。