第161話 彼女たちもまた一人の花
「……そういえばさ、ソラちゃん。
隊員の人達って身体が赤くなったりはしてなかったよね?
ソラちゃんはなんでそうなっちゃったの?」
ふと現場の状況を思い出し、私が志鶴さんに聞こえないように小声でそう聞くと、
ソラちゃんは少しバツの悪そうに答えてくれる。
「あー……カスミから聞いた話だと、隊員の方々には〈命素深水〉を"希釈"して
効力を身体に影響の出ない程度に抑えて作用させられる、
日焼け止めのようなアイテムを使っていたんだそうです。
だから、隊員の皆さんは無事だったみたいんですが、
私は……その、原液で使用してしまったのでこうなっちゃって〜……えへ」
「……っ」
最後には茶化すように話していたが、私はその姿が酷く労しく見えてしまう。
ソラちゃんらしくない、無謀で危険な行為。
この子はそんなに思い詰めていたのかと、私は真人さんのお願いも忘れて、感情が溢れ出しそうになる。
しかし、ふと前の方から啜り泣く声が聞こえてきたのでそちらを見てみれば、
志鶴さんがポロポロと涙を流しているのが目に入った。
「……ぐすっ……っうぅ……」
「えっ、志鶴さん!? 大丈夫ですか!?」
もしかしてさっきの会話が聞こえてしまったのかとも思ったが、
外を飛んでいるこの車の走行音はかなりの騒々しさだ。
流石にあの声量では聞こえなかった筈なのだが……だとするとどうして?
「あっ! ご、ごめんなさい! 運転中に泣いちゃって!
すいません! 危ないのでちょっと止まりますね!」
そう言って志鶴さんは車を停止させてハンドルから手を離して、眼鏡を外して涙を手の甲で拭い出した。
もしかしたら運転しなくなった事で落下してしまうのではと一瞬だけ不安になったが、
車は落ちる事なく空中で静止している。
こうやって自由な場所で停車出来るのも、空飛ぶ車の利点なのかもしれない。
志鶴さんは涙を手で何度も拭いていて、
必死に止めようとはしていたが、一向に収まる様子は見られなかった。
私はそんな様子を見兼ねて自分が持っていたハンカチを彼女に手渡そうとすると、
どうしてか志鶴さんは更に泣きだしてしまった。
「えぇっ!? ほ、ほんとに大丈夫ですか? 志鶴さん!?」
「……これ、聞こえてた……? し、志鶴さん。
わたしの事は気に病まなくて大丈夫ですからね? わたしは好きでこうなっただけで……」
「うぅっ……ち、違う……んです。これは、悔し涙で……その、すいません。
ありがとうございます……お借りします」
志鶴さんは私からハンカチを受け取り涙を拭こうとした。
けれど、その前に手を止めてしまい、ハンカチを悲しそうに見つめながら、
またさめざめと泣き始めてしまった。
なんか前にも似たような感じになった気がする。
私って気を遣うの向いてなかったり……?
「…………本当にすいません。泣いてばっかりで……迷惑、かけて……」
「う、ううん。大丈夫だけど……その……」
「……すいません。意味分かんないですよね。
こいつなんでこんなに泣いてるんだろうって……ほんと、何してんだろ。
あたし……救世主様の前で……」
その通りで、私に志鶴さんが泣いている理由は分からず、
ただ彼女が泣き止むのを待つしか出来なかった。
しかしながら、志鶴さんはそれから数分後には泣き止んでくれた。
彼女は震える手で私のハンカチを使って涙を拭い、
「話さないと無駄に心配をかけてしまいますよね」と前置きをして、
泣いた理由をポツポツと話し始めてくれた。
「──あたし、この部隊に入る前は警察官だったんです。
人並みに正義感があって、警官になる訓練をしただけの、ただの一般人……それがあたしでした。
それが、変なガチャを出してる会社に国が乗っ取られてたとか、
でも、そこの人達が離反して救世主と一緒に国を取り戻したとか、
取り戻したのは良いものの、今度は世界中でクローンとかいう奴らによって
人攫い事件が起き始めたからそれを防ぐ為の組織に入れとか、
上司からそんな意味が分からない事を言われて……あたしは半ば強制的に、
植木鉢とかいう組織に入る事になったんです」
どうやら志鶴さんはカスミ達から粗方の事情を聞いた後、
警察から無理矢理異動させられて、植木鉢に所属したらしい。
洗脳は解かれたという話だった筈なので、乗っ取られていた国は元の体制を取り戻していると考えていたが、
よく思い返してみれば、彼女は自己紹介の時に『国家保安警備隊』とか名乗っていたし、
カスミ達は洗脳を解除した時に、改めて国と協力関係を結んでいたのだろう。
なんとも手の早い事……いや、元々そういう手引きだったのかもしれないけど。
「強引な形ではありましたけど、それでも侵略者から人を守る仕事って聞いて引き受けて、
短期間ながらにきつい訓練をこなして、各部隊の選抜試験を受けて、あたしは第二中隊の隊長になりました。
おかしいですよね? ただの警察官だった女が、あっという間に百人以上いる部隊の隊長ですよ?
でも、私がそんな立場になれたのは、勿論部隊を纏められる能力もありましたけど……。
偏に……ステータスが高かったからなんです」
無意識にだろう、そう話している志鶴さんは握っているハンカチを両手で握り締めていた。
高いATK値からきているであろう力によって、
私のハンカチがグシャリと形を変えてギリギリと締め付けられていく。
「だから……だから、あたし。結構自信があったんです。
戦場に立っても活躍して、みんなを助けられる自信があった。
なのに……結果は……大群のクローンと大量のアイテムの暴力に対して碌に立ち向かずに、
佐藤様が来るまでの間、隊員の皆に前線を維持して貰えるようにする事しか出来なかった。
あたしがやった事といえば、急いで〈回復薬〉を補充しては皆に与え続ける事くらい。
今だって車を運転して送迎する事しか出来てなくて……
佐藤様みたいに、カッコよく誰かを助けるなんて、夢のまた夢だった。
あたしはステータスを買われて隊長になったのに、
そんな使いっぱしりみたいな事しか出来ないなんて……
情けなさ過ぎて……どうしようもなく、泣けてきちゃったんです」
……それの、どこが役立てていないのだろう?
志鶴さんがなりたかったのは皆をカッコよく助けるヒーローのような存在だったのは分かる。
けれど、彼女がやった事だって間違いなく英雄の仕事だ。
隊員の全員を守る為に自身のステータスを活かして足を懸命に動かし、
誰も死なせないように衛生兵の役割を担った。
この空飛ぶ車の運転だって私達には出来ないし、お陰で楽をさせて貰っている。
これのどこが情けないというのだろうか?
私には志鶴さんは自分がやれる職務を全うし、誇らしい仕事をしたとしか思えなかった。
「……志鶴さん」
私に呼ばれた志鶴さんは私にゆっくりと振り返る。
さっきの考えを私が彼女に真っ直ぐに伝えても、
もしかしたら社交辞令で励ましてくれたと思われてしまうかもしれない。
なので、私は敢えてはしごを外してから語る事にした。
「使わないなら、そのハンカチ返してくれる?」
「…………えっ? あ、あぁっ? あ、あたしってば、なんて事を!!
すすす、すいません!! 弁償します? すいません!!」
志鶴さんは頭をブンブン振り回して私に謝ってくれる。
勿論、ハンカチをしわくちゃにされた事は彼女の葛藤と比べれば別にどうでもいい。
重要なのは話を聞いて貰う土台を作る事だったのだから。
「えぇ~? そのハンカチ一点物なんだけど弁償出来るの~? もう今は売ってないと思うんだけどねぇ~?」
「えっ? そ、そうなのっ? ど、どうしよう!
ほんとにすいません! あぁ、どうやってお詫びしたら……!?」
当然、このハンカチにそんな価値はない。
目をぐるぐると回し、私の意地悪に頭を抱える志鶴さんを見てると胸が苦しくなってくる。
でも、後もう少しだけ、この三文芝居は必要だ。
そう思っていたら両隣の仲間達がククク……と笑い出して嫌らしい笑みを浮かべ出した。
「フッ、どうする笠羽殿? この女、こんな事を言っているが?」
「ククク……仕方ないですねぇ……? マチコさぁん!
この際、別の事でお返しして貰いましょうよぉ! とびっきりの良い事でねぇ!?」
「……! フフフ、そうねぇ~?
こうなったらとことん頑張って貰った方が良いわよねぇ~? 良いわよそれで~?」
「ええっ!? ああ、あ、ありがとうございますっ!?
で、でも。その……な、何をすれば良いんでしょうか……?」
恐る恐る志鶴さんは悪ノリしている私達にそう尋ねてくる。
そこで私はニヤリと口の橋を歪ませ、志鶴さんの肩をポンと叩く。
状況が飲み込めず混乱している様子の彼女は私の臭い芝居を真に受けたようで、
短く悲鳴を上げて身体を強張らせた。
そして、私は彼女の耳元に口を近付けて、先程とは打って変わった優しい口調で告げる。
「また、私達を助けてくれる?」
「ひいっ、わ、分かりました! たすけ…………へっ?」
身構えていた志鶴さんは予想だにしていなかった頼みを聞いたと言わんばかりに目を見開かせた。
驚くばかりの志鶴さんを私は今度は真っ直ぐに見据えて、漸く自分の考えを話し始める。
「志鶴さん。私達は貴方がそうやって奔走して隊員の皆を助けてくれていたから間に合ったの。
だから、私達も皆を助けられて良かったと思えたし、貴方の部隊の人達も助かって良かったと思った筈よ。
現にほら、思い出してみて? 戦いが終わった後に貴方の隊員が、貴方に恨み言を一つでも言った事ある?」
「…………あ」
志鶴さんはハッとなって表情を和らげてくれた。
そう。彼女が率いていた部隊の皆は助けられた事に感謝こそすれ、誰も憎まれ口なんて叩いてはいなかった。
私達が隊員に配っている間、彼女から〈回復薬〉を貰った人達は全員、彼女に笑顔でお礼を言っていた。
きっと、あの人達は隊長として前線を死守する事を諦めず、自分たちの傷を癒やしてくれる志鶴さんを、ヒーローの様に見ていたのだろう。
「貴方はここにいる皆の英雄なの。皆を必死になって助けてくれた、かけがえのない人。
それが貴方なのよ。だから、そんな風に言わないで? 私達の英雄を胸を張って誇らせてよ」
私にそう言われた志鶴さんは再び一滴の涙を流し、笑顔になって「はい」と答えてくれた。
その涙の印象は出会った頃のソラちゃんが私の言葉を聞いて流した涙に似ていて、
もう大丈夫だろうと思わせてくれるものだった。
良かった……立ち直ってくれたみたい。
「…………相変わらず、マチコさんは天然ジゴレットですね」
「ん? ジゴレットとはなんだ?」
「人たらしって意味ですよ」
「人、たらし……あぁ、誰かを誑かす人間という意味か。
そうなると、俺もたらしこまれた側なのだろうか?」
「そうですね。いわば、リザードマンたらしですね」
「ふむ。そう聞くとアイテムの名前みたいだな」
志鶴さんに近付いた為に離れていた後部座席の方から、
そんな会話が志鶴さんに聞こえない程度に抑えられた声量で流れてきた。
……いや、その会話は私にこそ聞かれちゃマズイのでは……?