第143話 せめて豊かな暮らしを
そんな奇妙な空間で並ぶ建物の中でも、
どうやらこの病院はかなり大きい部類のようだった。
私がいる病室は3、4階くらいにあるようだが、
そこから見上げても病院の屋上は遥か高みにあり、何十階あるのか分からない。
地上は馬鹿みたいに大きい庭が広がっていて、
ここなら充実したリハビリ生活が送れそうだ。
そんな庭から目を離せば、道路らしい通路を境目にして、
等間隔で各施設が並んであるのが見えてくる。
右側にはマンション、スーパーマーケット、デパート。
そこから道路を挟んで左側にはゲームセンターやカフェ等の娯楽施設がある。
そして、真ん中の道路は白線や黄線がないただの黒い道が敷かれていて、
その道路はこの病院に繫がっているのが分かる。
どんな交通ルールなのか疑問だが、この場所なら何か怪我をしても、
直ぐに病院に行けるのは間違いないだろう。
まるで、生活する事だけに効率化された箱庭だ。
天井や側面を覆う岩肌の暗さと冷たい雰囲気や、
病院を建物群の中心に置くデリカシーのなさを考慮しなければ、
是非住みたいと思える場所だろう。
だが、そもそもなんなのだろうここは?
ここは明らかに洞窟の中だというのに、
日も浴びず様々な施設がゲームのような配置で押し込まれて並んでいる。
一体何が目的でこんな場所を……?
「……ふぅ、それで、国会議事堂をジャックしてましたが、
あなた達は国をどのようにして操ったんですか?
まさか、国が快くあなた達に協力した訳じゃないですよね?」
「いえ、私共は国……つまりは各国の行政機関や要人を実は操ってはおりません。
各国の機関にはイベント開催前に事前に話し合って各々の利益を提供した上で、
計画に必要な場所や組織を貸し出して頂いておりました。
当然ながら、国の利益となる条件での契約となっており、
最終的に私共がこの世界から帰還した際に、
各国から借用した権限はお返しする流れとなっております」
「……話し合って? 脅しての間違いでしょう?
あなた達にそんな殊勝な心があるとでも?」
「社長の計画を遂行するに辺り、
私共の能力を提示して信用を得なくてはならなかった為に、
ガチャアイテム等を使用して超常的な事象を発生させた事は、
確かに脅迫と捉えられるものだったでしょう。
それでも、社長はあくまで各国の同意の下、
私共と皆様を利用して計画を遂行してきたのです」
「…………」
「笠羽様。他にご質問はごさいますでしょうか?
私は信じて貰えるまで、貴方の問いに答え続けます。
どうぞ、ご質問を」
────視線を感じる。
窓から外を眺めている私の背中に、
ソラちゃんからの強い視線が向けられている。
だけどそれは、私が話を聞こうとしないから怒っているのではない筈だ。
ソラちゃんは私を心配してくれている。
この繰り返される審議応答だって、
ソラちゃんが私をこれ以上運営に関わらせないようにする為のものだ。
だから、この視線がそういったものである事くらい分かっている。
でも、私達はお互いに多分こう思っている筈だ。
自分の顔を見られたくない。
頼りない自分を、苦しんでいる自分を、相棒に見せて不安にさせたくない。
だから、私は強引に話に割り込んで、
気になった外を見るという言い訳を無理矢理言い、
お互いの目が、お互いの顔にいかないようにした。
自分と親友を、少しでも守れるように。
「……次の、質問です。あなた達はマチコさんが協力した場合、
何をさせるつもりなんですか?
そして、何故救世主はマチコさんでないといけなかったんですか?
甘音クチルでは駄目だった理由は?」
「笠羽様と真人様には佐藤様がお目覚めになる前にお話させて頂きましたが、
社長が〈枯葉〉や私共を失った以上、自身が管理していたクローンを総動員して、
〈花の候補者〉と〈枯葉〉の皆様を攫い、洗脳を施そうと乗り出す筈です。
なので、佐藤様にはそれを止める手助けをして頂けばと考えております」
ソラちゃんの強い視線の他に、別の視線を感じた。
多分、カスミが私を見たのだろう……
が、それも一瞬の事で直ぐに視線が離れた。
私はその視線に気付かないようにして、
窓から見える景色を堪能するように心掛ける。
ここは──思っていたよりも凄い場所だ。
驚きはしたが、私が不自然なくソラちゃんを見ないように出来る景色に適している。
車一つ通らない道路と、人ひとり見えずにただ電気だけがついているビルの窓が、
綺麗でもない夜空を人工的に描いている様子を、私は無心で見続けていく。
なるべく何も考えないようにして二人の話を聞いては、景色を眺め続けた。
「佐藤様を選出させて頂いた理由、
また甘音クチルを救世主と選定しなかった理由と致しましては、
佐藤様が甘音よりも救世主として相応しい能力と精神をお持ちだった為です。
甘音と佐藤様はどちらもステータス上昇幅と値が大きく、
この世界において最上位の能力をお持ちになっておりますが、
救世主として君臨して頂くに辺り、私共が重要視しているものは
戦闘能力よりも、人々を思いやれる"慈愛の精神"です。
甘音は戦いをひたすらに優先する人間であり、
救世主として君臨して頂くにあたっては相応しくない為、
勝手ながら佐藤様を選出させて頂いた運びとなります」
きっと、こうしてソラちゃんの視線を明確に感じられるのも、
私の身についた"知識"が要因になっているのだろう。
その"知識"を使えるようにしてくれたのはソラちゃんだ。
ソラちゃんが、私を育ててくれた。
だから、私の場合は不安な顔を見せないようにしたいなんて今更の話でしかない。
顔を見られてより一層辛い思いをするのは、私に頼られてきたソラちゃんの筈だ。
私に頼られて嬉しいと思ってくれるあの子には、
私の心配そうな顔は重荷になる。
苦戦を強いられているのであろう今なら、それは尚更だ。
本当なら、ソラちゃんを苦しめているあの女を、
今すぐにでも殴り倒してやりたい。
でも、それで全てが解決するのなら、
最初からソラちゃんがそうしてくれと私に頼んでるだろう。
だから、私はただ窓から見える敵の拠点を眺める事しか出来ない。
ただ唇を嚙み、手を置いていた窓枠を握り締めるしかなかった。
「……そうなると分かっているなら、
どうして〈枯葉〉の人達だけを助けて、
マチコさん──いえ、〈花の候補者〉の人達を助けなかったんですか?
それにクローンを使って戦闘出来るのであれば、
最初からわたし達を働かせる必要もない筈ですよね?」
「先程お答えしておりましたが、
〈枯葉〉の皆様にはアイテムの生産や補充の他に、
生産施設やガチャ空間の管理などもやって頂いておりました。
なので、私共はより多くの人間を救う為に
会社の運営を継続出来なくさせる事を優先し、
〈枯葉〉の皆様の洗脳を解く事を優先させたのです。
また、社長は〈花の候補者〉の皆様へ常に監視の目を向けており、
少しでも候補者に手を出せば気付かれる可能性が非常に高く、
隙をついて匿う事が出来ず、どうしてもお助けする事は叶いませんでした」
……聞こえてくるカスミの声は実に落ち着いていて、
今の狼狽えているソラちゃんの声とは正反対で……凄く、耳障りだ。
「そして、クローンは優秀な労働力ではありますが、
戦闘要員として役立てるのは非常に難しい物なのです。
クローンは人間のように命素を自身の身体から生産し、
蓄える機能を搭載出来ない上に、
アイテムも基本的な機能しか扱えません。
また、戦闘技能を備えさせるのは確かに可能ではありますが、
簡易的な動作をさせるプログラムしか組み込めない上、
この世界の皆様相手であれば有効な戦力となりますが、
異世界の住人達と戦うに辺って大した戦力とは成り得ません。
だからこそ、社長は〈枯葉〉と〈花の候補者〉の皆様を狙っているのです」
「…………っ」
ソラちゃんの嗚咽のような声が聞こえてくる。
私は窓の淵を握り締めて、助けたい気持ちを必死に堪えた。
これは、ソラちゃんの戦いなんだ。
私が割って入るのは本当にどうしようもなくなった時……
ソラちゃんが"助けて"という視線を私に向けた時だ。
まだ、ソラちゃんはそれを向けてない。
この視線は私を心配して、"助けたい"と願ってる目だ。
だから、ソラちゃんは負けてない。
助けてとは告げていない。
私はその視線をひたすらに待つしかない。
そうだ……私はまだ、待たなくてはいけないんだ。
──お願い。ソラちゃん、負けないで。
私の為なんかよりも、何よりも貴女のために。
こんな冷たい奴に……負けないで欲しい──
「……次の、次の……質問です。
貴方の社長は異世界を侵略しようと考えているみたいですが、
あなた達は社長を止めた後……どうするのですか?」
「当然ながら、社長を押送しつつ、
元の世界に帰還する予定となっております。
この世界に来るつもりは、元々私やヒガン達にはなく、
やむ負えず転移した形となりますので」
「そう……ですか……では、あなた達に協力しているという、
あの御方という人も……元いた世界に帰還するんですか?」
「──! い、いえ……。あの御方は、
私共と帰還するという約束は交わしてはおりません。
あの御方はあくまでガーパイス株式会社に
ご協力して頂いている支援者でしかございませんので、
私共が去った後はあの御方自身のご判断で行動なさる事でしょう」
「そうなんだ」
────? 雰囲気が、変わった?
場の様子が一変し、ソラちゃんの視線が私の背中から離れたので、
私は振り返ってソラちゃんを見る。
すると、そこには狂気的とも言えるような笑みを浮かべながら、
ソラちゃんがカスミを見下している光景が拡がっていた。