死せる英雄との再会
蛇足的なものはあったものの、壮絶な決闘で幕を閉じたクペル平原会戦。
その決闘に敗れ死亡したボナールの遺体は即日ミュランジ城付近まで転移魔法で移送された。
「……なんだと」
ミュランジ城の見張り塔より、遠くから救援を求める狼煙が上がっているという連絡を受けた城主クロヴィス・リブルヌは五十人の兵を出して確認に行かせたのだが、そこからもたらされた情報は彼を驚愕させるには十分なものだった。
「それは間違いないのか?」
伝令から上がってきたボナール軍敗戦の報を伝える副官のエルヴェ・レスパールはそう尋ねたリブルヌに対してさらなる情報を伝える。
その衝撃は先ほどの比ではない。
「……我々がおこなっているのは狩りではなく戦いなのだから負けることもあるだろう。それがたとえ『フランベーニュの英雄』が指揮する最強の軍であっても。……だが……」
「……魔族軍は四十万人の我が軍将兵をわずか一撃でこの世と無縁な者にしただと……」
「渓谷内の戦いの状況から敵は相当強敵とは思ったが……」
「予想以上……いや」
「あり得ぬことだ。だが、それが本当なら……」
「クペル平原で魔族の将がおこなったことは戦いではなく単なる虐殺ではないか」
途切れ途切れになった言葉。
それがリブルヌに与えた衝撃の大きさを物語っているといえる。
だが、悲報はそこでは終わらない。
ボナールの死。
「……彼らが護送してきたのは本当にボナール殿だったのか?」
そう。
この時点でもリブルヌはその情報の真偽を疑っていた。
いや。
信じたくなかった。
そちらの方が彼の気持ちを表すには正しい表現だったと言えるだろう。
しかし、レスパールは冷たくそれを拒絶するように事実を上官に伝える。
「魔法によって氷漬けにされていましたが、間違いなくボナール将軍であることが確認されたと」
「……それで、ボナール殿の最期はどのようなものだったのか?」
四十万人を一瞬で葬る魔法。
そのほぼすべてが灰になった状態ということであれば、指揮官であるボナールも当然同じようになっているべき。
なぜ、遺体を持ち帰ることができたのか?
当然到達する疑問ではある。
本来であれば、その矛盾を突くところであるのだが、ボナール本人の遺体と確認された以上、それらはすべて後回しにすべきものとなったということである。
そして、その理由はすぐ判明する。
「全軍崩壊後、ボナール将軍は敵将との一騎打ちを申し込み……」
「そこで敵将に討たれとのこと」
「……そうか」
……もちろん魔族の将は手練れ揃い。
……一流の剣士であるボナール殿でもさすがに分が悪い。
……それはボナール殿だってわかっている。
……自分なりの責任の取り方ということか。
……相手は魔族。それだけ大勝しているのであれば、そのような申し出など蹴り飛ばすところなのだろうが、相手が有名な「フランベーニュの英雄」となれば話は別。良い獲物と感じその申し出を受けたのであろう。
……その結果がこれというわけか。たとえ奴らの気まぐれなのだろうが、とにかくボナール殿の遺体を氷漬けにしてくれたのは助かった。
……しかも、決闘直後にこちらまで送り返すとは……。
「……リブルヌ様」
自分自身との会話に没頭していたリブルヌだったが、自分の名を呼ぶレスパールの声に気づく。
「……なんだ?」
少しだけ不機嫌な香りを漂わせたリブルヌからの返答に動じることもなく、レスパールが報告したのは、ボナールを倒した相手に関する情報だった。
「……相手は人間だった?人間種ではなく」
「その情報をもたらした伝令兵の話では、その魔族軍にはその他にも人間が含まれていたと……」
「……貴族たちが酒宴の余興で楽しむために剣闘奴隷なる者を囲っているが、その男もそれと同様ということなのだろうか?だが、ボナール殿を倒すほどの剣技を持つということは人狼か」
……まあ、とにかくそれについてはもう少し話を聞く必要があるな。
……それよりも、まずは……。
……ボナール殿と会いたい。
「ボナール殿のご遺体をここへ。それから、労いたいので同行した者たちも」
それから、少しだけ時間が進んだ同じ部屋。
「……ボナール殿」
別人であってくれという最後の望みを打ち砕かれたリブルヌから嗚咽の声が漏れる。
声をかけることすら憚られるその雰囲気に部下たちはそれを見守るしかなかった。
おそらくはそれほど時間は経っていないのだろうが、その場にいる者にとってとても長い時間が過ぎたところで、リブルヌが顔を上げる。
「……ありがとう。ボナール殿のご遺体は魔術師に任せる」
氷の中のボナールを見つめたままのリブルヌからのその声に、レスパールは一瞬の間ののち、確認の言葉を口にする。
「王都へ送るということですか?」
「いや。それはすべての情報を確認してからだ」
「……確実な情報なしに将軍の遺体だけを送りつけたら、王都がどうなるか想像がつく。そうならないようにするのが私の務めだからな」
自らの言葉が足りなかったことを反省し、混乱している頭の中でこれから口にする言葉とおこなうべきことをまとめ上げるとリブルヌはもう一度口を開く。
「魔族がこうして氷漬けにしてきたのは遺体の腐敗を防ぐため。その厚意を無駄にせぬようにと伝えろ」
「それから、ボナール殿の近くにいたという伝令兵の少年はもう少し話を聞きたいので残ってもらうが、他の者は別室で休憩してくれ。レスパール。彼らと彼らを出迎えた者たち全員に休憩できる部屋を用意してやってくれ」
本来であれば、他の者に命じる程度のことをわざわざ最側近のレスパールにおこなわせた理由。
もちろんそれは情報漏洩を防ぐための隔離措置を言外に指示したもの。
それを察したレスパールは一度リブルヌに目をやり、それから大きく頷く。
ボナールの遺体を見送ったあとにふり返ったリブルヌは冷たい笑顔で少年を眺める。
「さて……アル・フォアだったか。詳細を聞かせてもらおうか」
残された形となったボナール軍唯一の生き残りは、自らが見聞きしたことのうち、まずはあの出来事について言葉にした。
そして、それによってリブルヌはその一部終始を知ることになった。
「少々疑いを持っていたのだが、そういうことだったのか……」
さすがにここまで事細かに聞かされては信じざるを得ない。
……これは色々と考えさせられる話だな。
すべてを聞き終えたリブルヌは心の中でそう呟くと、その話を自分なりに再構築し始める。
……我が軍を散々な目に遭わせたうえ渓谷から追い出したのもおそらくこの男なのだろうが……。
……アルディーシャ・グワラニーというこの魔族の将はいったい何者なのだ。
リブルヌとしては、そう思わざるを得ない。
……少年の話を聞くかぎりボナール殿はほぼ完璧に自らの計画を進めていた。
……それにもかかわらず、敵に傷ひとつ付けられぬまま四十万人が全滅とは。
……もちろん奴が「悪魔の光」なるものを手にしていたためではあるし、ボナール殿がその存在を知らなかったためというのが敗因ではある。
……だが、それは私を含めてフランベーニュ軍全員がそうであるし、もっと言えば、人間全員がそうであったともいえるのだが、それは当然である。
……そう考えると、ボナール殿は最初から勝ち目がなかったということになるのだが……。
……では、なぜ事前に撤退勧告など出したのだ?
……そんなつまらないことをせず一撃を食らわして終わりだろう。
……さっぱりわからん。
「では、その先を……」
リブルヌに促されるように少年が口にしたのは、ボナールとタルファの決闘についてだった。
……なるほど。
少年から決闘を申し込む前におこなったボナールとロバウのやりとりを聞いたところでリブルヌはボナールが決闘を申し込んだ意図を把握した。
……自らの判断の遅れで多くの兵を失った責任を取るという意味が皆無というわけではないだろう。
……だが、あの絶望的な状況でも何かしらのものを手に入れられるものはないかというボナール殿の思案の結果が決闘申し込みということか。
……もちろん愚かな貴族どもなら、そんな勝つかどうかもわからぬ勝負に重要拠点であるクペル城の所有権を賭けるのはけしからんと言うかもしれないが、実際の戦況では黙っていても城は落ちる。しかも、その場合、城に残っていた者全員の命も消える。どうせ落ちるならそれを使ってもうひと勝負するというは悪くない選択だろう。勝てばよし。たとえ負けても、それを理由に残された者は堂々と退去できる。それに……。
……すべての兵を失ったこの時点での降伏はボナール殿の心情的にあり得ない。
……そうであるのなら、可能性にあるものに賭けてみようとするのは理解もできる。
……しかも、ボナール殿はフランベーニュ有数の剣士。十分とは言えないが、可能性がないわけでもない。
……だから、クペル城と渓谷入口の中間地点に境界を設けて相互にそれを超えないというその時点で手に入る最高の条件も確保できるかもしれないと踏んだわけだ。
……しかも、この誓約書は……。
リブルヌは少年が持ち帰ったボナールとグワラニーが交わした誓約書を眺め直す。
……どう見ても、こちらにとって都合の良いものばかりが並んでいる。
……だが、結局すべてが流れたわけか。
……それにしても、ボナール殿を簡単に斬り伏せたというその男は本当に人間だったのか?
リブルヌが疑いを持つのは当然である。
少年自身はその腕の程がわからなかったのだが、何か不正をおこなったのではないかと憤慨した少年を宥めたロバウの言葉によれば、「相手があまりにも強すぎただけだ」というほどボナールとの差が大きかったというのだから。
「アル・フォア。おまえの言葉を信用しないわけではないのだが、もう一度確認したい。ボナール殿と戦った男は本当に魔族ではなく人間だったのか?」
「実を言えば、信じられないのだ。ボナール殿を剣で倒せるのは、純魔族の将軍でも相当高位の者しかいないと思ったものだから、人間でありながらボナール殿を簡単に倒せる者など本当にいるのかと」
自らの心の内も付け加えて尋ねたリブルヌの問い。
それに対して、伝令兵の少年はこれ以上ないくらいに明確にそれを否定した。
「間違いなく人間です」
少年の言葉はさらに続く。
「その男が名乗った名前はアーネスト・タルファ。そして、自身の言葉によれば、男は元ノルディア軍の将軍でクアムートの戦いの後に魔族軍に加わったとのこと。そして、そこにはそのタルファだけではなくタルファの妻だという人間の女もおりました」
「つまり、その女を人質にされたタルファがボナール殿と戦っていたのか」
「いいえ。どうもそれが違うようで……」
剣闘奴隷でなければ何らかの枷がありやむを得ず戦っていると踏んだリブルヌの予想を否定したフォアが語ったのは、タルファとアリシアの処遇に関するものだった。
「……そのタルファという男は魔族軍の中で将軍の地位が与えられ、その妻らしき女も驚くほど高位に遇されているだと?」
それこそ信じられないと言わんばかりのリブルヌの言葉に少年は大きく頷く。
「ええ。特に女の方は兵士たちだけではなく将軍やグワラニーという総司令官よりも上位ではないかと思えるくらいの地位であるように見えました」
「信じられない」
「まったくです。ですが、事実です」
実はアーネスト・タルファと妻のアリシアが存命していることが戦場の反対側に伝わったのはこれが初めてだった。
そして、ここからフランベーニュとノルディアによる小さな諍いが起こるのだが、その詳細については別の場所で語ることにして話を進めよう。
ミュランジ城でおこなわれていたリブルヌの少年に対する聞き取りは徐々に佳境に入る。
「それで、城に残ったロバウ殿は今後どうすると言っていたのかな」
「ボナール様が約束したことを正当な理由もなく反故にするというのは、決闘直後に剣を抜いた愚か者たちと同類となる。自分はそのような恥さらしの仲間になどなる気はないとおっしゃっていました」
「つまり、クペル城を魔族軍に渡すつもりということか?」
「城内にいる者の安全は確保されるという条件を取り付けていますのでそのようにするつもりのようです」
「……なるほど」
もちろんその言葉の意味するところは理解した。
だが、それでもリブルヌには理解できない部分があった。
……そもそも魔族をそこまで信用してよいものなのか?
これはグワラニーの部隊と接触していない人間の極めて自然な反応であり、止むを得ないところである。
そして、リブルヌの思考が進む先にあるのはクペル城内での惨劇。
……まあ、ロバウ殿も最終的にはそのなるものと思い、多くのことを口伝できる伝令兵の少年を送り出したのだろう。情報を後方に送ることができる唯一の機会を利用して。本来自らが持ち帰るべき魔族とボナール殿の誓約書を少年に渡したのも同じ理由だろうな。
たしかにロバウは保険の意味を込めて少年に多くのことを託したのは事実。
だが、それが主成分かといえば違うのだが、その誤解が解けるのは、ロバウがミュランジに帰還し、ふたりが顔を合わせたときまで待たねばならない。
「さて、次は……」
「……あの……それよりもまずお伝えしたいことがあるのですが……」
少年は言いづらそうにリブルヌの口から出かかった言葉を遮った。
それが十分無礼であることはその少年アル・フォアも承知している。
だが、フォアとしては言い忘れてはいけないある大事なことを後回しにするのは精神的な重荷だったのである。
一呼吸後、フォアは言葉を続ける。
「ロバウ様よりリブルヌ様に必ず伝えるようにという言葉がありますので、まずそちらを聞いていただきたく……」
リブルヌとしては自らが決めた順番に問い質したかったところだが、少年の表情からその思いを察し、小さく頷くと、促すように言葉を添える。
「聞こう」
緊張気味にその言葉を待っていた少年の口が開く。
「力関係により誓約書をつくる過程においてミュランジ城を魔族に明け渡すよう約束してしまったことは申しわけない。ただし、ミュランジ城は自分たちの権限の範囲外だから、確実な約束はできないと言ってあり、魔族側もミュランジ城の城主であるリブルヌ殿に改めて城の引き渡しを要求するということで納得した。そういうことで魔族軍は必ずミュランジ城に向かう。早急な方針確定とそれに対する準備をするようにとのことです」
「それから、この魔族軍は桁違いに強い。というよりも、絶対に勝てない。彼らがやってきたら、戦わずに後退することを勧める。いや。どんなことがあっても絶対に逃げるべき。これが奴らと実際に戦った感想だ」
「そして、奴らと他の魔族軍と見分ける方法。それは奴らが掲げる旗は七色に塗り分けられた横縞である。これがロバウ様からの伝言です」
「旗?」
「私も見ましたが、とても軍旗には見えない派手な旗でした」
「……なるほど」
さらにいくつかの問いを重ねた後、リブルヌは少年を下がらせた。
当然その部屋に残るのはリブルヌ本人と途中から入室してきたもうひとりの男だけとなる。
リブルヌは明るくない笑みを浮かべながら、相手の男に言葉をかける。
「あの少年からもたらされた情報についてのおまえの感想を聞かせてもらいたいところだが、まずやってもらいたいことがある」
「斥候ですね。規模は?」
副官である男から即座にやってきた言葉に苦笑いしながらリブルヌは大きく頷く。
リブルヌは心の中で「さすが」と呟くが、リブルヌ自身よく気が利く男であるため、彼の副官は最低でもこれくらいはできないと務まらないというのが本当のところだろう。
現に、レスパールがこの地位に就くまでに二桁に及ぶ数の副官が事実上のクビを宣言されているのだから。
一呼吸後、リブルヌが有能な副官からやってきた問いの答えとなるものを口にする。
「モレイアン川上流部および、この城の北方二十から三十アクトに横広がりに索敵網をつくれ。それから、残念だが、接敵した瞬間その部隊は魔族に狩られるだろうから、その部隊の後方にもうひとつ索敵網を置き、その様子を確認できるようにしておいてくれ」
「それから、クペル城方面にも斥候を出す必要があるだろう。ただし、魔族は徹底した魔術師狩りをおこなっているようだから、ある程度からは徒歩で進むように徹底させろ。当然……」
「防御魔法の傘は厳禁ということですね」
「そういうことだ。時間はかかるが一日くらいは徒歩で進むくらいのつもりでないとこの相手には簡単に気づかれそうだ」
「それと……」
「準備でき次第我が軍の敗戦とボナール将軍の死を公表しろ。もちろん詳細までは触れなくてもいいが」
レスパールにとってこれは少々奇異な命令に思えた。
先ほどの証人たちを事実上の幽閉にした行為とはあきらかに矛盾するからだ。
「……よろしいのですか?」
当然問いの言葉となるわけだが、リブルヌは頷く。
「ああ。あれだけ派手に入場させたのだ。いくら口止めしていても情報は必ず洩れる。それなら、こちらから出してしまったほうがおかしな話にならずに済む。まあ、城の外に出ない努力は続けるが」
「続いて、老人。女、子供の王都への避難の準備を……」
「そして、最後にボナール殿の王都移送と、手に入れた情報を王都に急報を」
そう言ったところで、リブルヌは副官の表情が微妙なものであることに気づく。
「何か漏れはあるか?」
「特にありませんが、王都に伝える情報はどこまで?」
「さすがに王都にはすべてを伝えねばなるまい。それをどう使い、どう判断するかは知らないが」
「承知しました」
それから、少しだけ時間が過ぎた同じ部屋。
「さて、やるべき仕事が終わったところで、そろそろ感想を聞かせてもらおうか」
リブルヌはその言葉を副官に対して口にすると、その言葉の受け取り手となるその男エルヴェ・レスパールは小さく頷く。
「まあ、感想というより、リブルヌ様に伺いたいことと言ったほうが正しいのですが……」
そう前置きしたれレスパールはその主旨となる部分を口にした。
「この城に駐屯していた部隊は、その大部分を指揮官たちとともにボナール将軍に同行させました。つまり、今は消えてしまっているということです。そして、その結果現在この城に残っているのは一万人をかける程まで減っています」
「先ほどの少年の話ではクペル城攻略に現れた魔族は約二万とのこと。兵の数だけでもすでに我々は負けています。しかも、敵にはとんでもない巨大魔法を操る魔術師がいます。それに対して我々の側の魔術師は数こそ三十人近くいるものの、連絡手段として残していた者たち。そのような敵に抗えるほどの力を持つ者はおりません」
「これだけの戦力差がある状況でどうやって戦うというのでしょうか?」
「……直接的かつわかりやすい物言いだな」
「では、逆に問う。レスパールは少年の言葉に従って敵の姿を見た瞬間この城を捨てて撤退すべきだと考えているのか?」
「率直にいえば、そのとおりです」
「ほう」
これこそリブルヌがレスパールを評価する点。
つまり、彼我の力を正しく評価し、さらにそれを口にできること。
もっとも、これは相手がリブルヌであるからであり、事実よりも威勢の良いことが優先される者が上官であれば、すぐさま怒号で飛んでくることになり、当然レスパールに対する評価も大幅に下がることは避けられないだろう。
戦わずに逃げるべき。
そう言い切ったその男であるが、レスパールの言葉には続きがあった。
「ですが、戦わずここから逃げ出したら、王都で打首確定ですから、そうはいかないでしょうね。残念ながら」
つまり、これが現実なのである。
このミュランジ城は、王都からクペル城へ向かう街道沿いにあり、当然その後方拠点であるのだが、それとともに、水路によって繋がっている大陸を南北に走るモレイアン川を利用してフランベーニュ軍主力が展開している西部方面へ人員や物資を運ぶための物流拠点でもあるのだ。
もちろん、王都から西部方面に展開する軍への補給ルートは他にもあるが、非常に遠回りになるうえ、街道が整備されていないので、大量に物資を運搬するには向いていない。
つまり、モレイアン川を利用した補給路が事実上唯一のもの。
レスパールの言葉はさらに続く。
「それに……」
「ここが抜かれたら、魔族軍は楽々と王都まで南下できてしまいます」
そう。
これが終着点。
このミュランジ城は補給拠点ではあるが、王都に住む者にとっては王都の防衛拠点であるということこそが重要なことであり、絶対に落とされてはいけない理由でもある。
そこを戦わずに放棄するなどありえないのである。
少なくても王都に住む彼らにとっては。
だが、これはなかなかの難問である。
なにしろ相手は四十万人をあっという間に消し去った者。
一万人を満たぬ相手などそれこそ道に落ちている小石程度にしか思わないだろう。
そのような者を相手に無策で一戦するというのは、愚行中の愚行。
物笑いの種にしかならない。
そのならないための策はどのようなものなのか。
レスパールはそう問うていたのだ。
だが……
そんなものがあるのなら、こっちが聞きたいものだ。
自嘲の極みと言わんばかりの言葉を飲み込んだリブルヌが口を開く。
「四十万人を消し去ることが出来る相手に正面から野戦を挑むのはさすがに無謀だろうな」
「魔族相手に勝利するには三倍の数を揃えても厳しいとされている中で、手持ちの兵が相手の半分しかないのですから、その大魔法とやら以前の問題ですね。それは」
「となると、籠城ということになるが、これも例の魔法を考えれば、なかなか厳しいそうだな」
その特大魔法一撃で城ごと籠城中の兵を消し去り、その跡地にあらたな城を建てればことは足りる。
「まあ、そういうことで、実際のところ手はないと言っていい。だが……」
「軍の頂点にいる者がそのようなことでは士気に影響するので間違っても兵の前では言えませんね」
「ああ。最後の瞬間まで自分自身も思っていないことをまくしたてて戦うしかない」
「まったくつまらない役回りだ」




