清酒
第六章から零れ落ちたエピソードです。
人間の国に小麦を引き渡すという歴史的快挙ともいえる重要な決定がなされた翌日のクアムート。
王からノルディアへの小麦輸出の許可を手に入れると、その日のうち王都からクアムートへ戻ってきたグワラニーの執務室に、この日の早朝クアムートに戻ってきたバイアが姿を現わす。
もちろんこの後にこのふたりに軍官たちを加えて会議がおこなわれるのだが、その前に自らの成果をグワラニーに報告するためである。
「どうだった?」
「はい。おもしろい情報が手に入りました」
「では、早速聞かせてもらおうか。そのおもしろい情報を」
「はい」
「ですが、その前に……」
話を聞こうと身を乗り出したグワラニーを制したバイアがテーブルに置いたのは、しっかりの栓がされている土製の壺だった。
さらに同じく土器製のコップがふたつ。
「なんだ?これは」
「最近姿を現し海賊の中で大人気だという酒です。私もペルハイで飲んできましたが、非常においしかったですよ」
「……ほう」
この世界では成人にならないと飲酒できないという決まりはないのだが、一応断っておけば、この世界での成人は人間では十五歳、魔族に関しては人間換算すればほぼ同程度となる五十歳となっている。
だから、別の世界の高校生レベルにしか見えない見た目であるグワラニーもこの世界の成人年齢は十分に超えているということになる。
さらにいえば、グワラニーと名乗っているこの男は別の世界では三十歳を少しだけ欠けるだけの年齢だったので、当然酒の味は知っている。
というよりもよく嗜んでいたのであるから、当然バイアの言葉に興味を持つ。
……海賊に人気の酒?
……さて、元の世界での海賊が飲む酒といえば、ラムと決まっていたが、こちらの海賊はどのような酒が好みなのだろうな。
「……それは楽しみ。だが、奴らは酒までつくっていたというのは初耳だ」
「いいえ。これは海賊たちがつくったものではなく、ブリターニャで手に入れた酒だそうです」
「……つまり、ブリターニャ産の酒ということか?」
グワラニーはこれまで手に入れていた知識を総動員して想像を始めるが、その様子を見たバイアはニヤリと笑うと口を開く。
「ちなみに、この酒はグワラニー様も飲んだことがないものだと思われます」
「飲んだことのない酒?それはどのようなものだ?」
「なんと米とかいう穀物からつくられた酒なのです」
「……米からつくった酒……」
「……それは驚き」
言葉どおりグワラニーはたしかに驚いた。
だが、その驚きの種類はバイアが考えているものとは少々違う。
そう。
彼はそれを知っていた。
いや。
遠い昔のこととはいえ、過去に何度も嗜んだというほうが正しい。
米から作った酒。
つまり、それは日本酒。
「その酒の名はなんというのだ?」
「セイシュというものだそうです」
グワラニーは確信した。
……どこの誰がつくったのかは知らないが、その製法を伝えたのは間違いなく大海賊ワイバーンの長バレデラス・ワイバーンだ。
……いや。
……奴自身が向こうから持ち込んできたに違いない。
……そして、日本酒をこの世界に持ち込みながら、それを日本酒ではなく清酒という。
……ワイバーンは日本人でほぼ確定だな。
……偽装のつもりだったのだろうが、余計な知恵が仇になったな。
そう。
彼は知っていた。
いや。
以前から確信を持っていた。
大海賊ワイバーンの長バレデラス・ワイバーンが、この世界と別の世界を行き来している者で、紙をこの世界に持ち込んでいる本人であることを。
だから、その「セイシュ」という言葉を聞いた瞬間そう直感したのだ。
だが、今回の彼の直感。
それは半分だけが正解であった。
もちろん正解はワイバーンに関する部分である。
では、彼が間違えた部分はどこか?
それは、この世界に日本酒、正確には原料が日本産ではないので清酒なのだが、とにかくこの酒を持ち込んだのはブリターニャで盛大に商売をしているグワラニーの異世界転移仲間であるフィーネことフィーネ・デ・フィラリオだったこと。
そして、つけ加えて言っておけば、その酒は説明通り間違いなくブリターニャ産であり、偶然その酒を口にした部下からやってきた情報によってその存在を知ったワイバーンがそれを取り寄せたことが、セイシュが海賊たちに広まったきっかけである。
……またひとつ証拠を掴んだぞ。ワイバーン。
実は大きな勘違いだったのだが、そんなことはわかるはずもなく、正解したつもりのグワラニーは心の中でニヤリと笑う。
生来仕事人間、いや仕事魔族のグワラニーであり、さらにホルムとの再交渉までの時間は限られている。
すぐに打ち合わせを始めたいところなのが、やはり目の前に置かれた懐かしい名の酒の魅力に抗えない。
……本来ならば、酒など飲んで思考力を鈍らせたくはないのだが……。
……日本酒が目の前に置かれたら、さすがに……。
心の中でそう自嘲し、自らに向けて嘲笑しながら口を開く。
「せっかくだ。いただこうか」
そして、それから、別の世界の約三時間に相当する二セパ後。
……危なかった。
グワラニーは心の中で呟く。
……これが一升瓶であっても飲み切っていた。
……久しぶりに味わう日本酒。
……その懐かしさはたしかにある。
……だが、それを割り引いてもこれは間違いなく美味い。
……海賊どもが夢中になるのはわかる。そして……。
……これだけの酒が飲めるのなら、もはや出どころなどどうでもよく、ついでにこれをこの世界にもたらしたワイバーンには感謝しなければならないな。
……まあ、もうちょっと飲みたかったというのが本音なのだが、この後に大事な仕事が待っているのだから仕方がない。
……次回の楽しみということにしておこうか。
そう。
グワラニーの言葉どおり、その酒は非常に美味だったのだが、これは当然といえば当然である。
なぜなら、日本酒が好きな元日本人のフィーネがあの魔法で自らのイメージどおりのものに仕上げていたのだから。
ちなみに、彼女は正規の方法でも清酒を仕込んでおり、いずれそれもブリターニャに出回ると思われる。
あまりの美味しさに一気に飲み干していまい空になったコップを置いたグワラニーが口を開く。
「バイア。これはたしかに美味い。そして、おまえに感謝しなければならないな」
「この小瓶一本だけしか持ち帰ってこなかったことに。もし、これは大瓶だったとしても、間違いなく飲み干し今日は仕事にならなかっただろうからな」




