最後の厄災
いわゆる「フランベーニュの三大厄災」と呼ばれるものは、「大海賊の宴」によってフランベーニュ海軍が崩壊した「第二次タルノス海戦」と、陸軍だけなくフランベーニュ王国の英雄で宝でもあったアポロン・ボナールと彼が率いる四十万の将兵が失われ、対魔族戦の分岐点となった「クペル平原会戦」、そして、これから始まるフランベーニュという国の崩壊劇の舞台となった王都アヴィニアの惨事となる。
ただし、三つ目については異議を申し立てる専門家も多い。
彼らが主張する代わりの厄災は大きく分けてふたつ。
そのひとつは魔族軍の小麦畑の焼き打ち。
実際これ以降フランベーニュは常に食料事情が逼迫し、その後に起こるすべてのことに影響を与えていたのは事実であるので簡単に否定はできない。
もうひとつはブリターニャによるフランベーニュ侵攻。
もちろん、この戦いではフランベーニュ軍はブリターニャ軍を撃退し、侵攻してきたブリターニャ軍は百万以上の将兵を失っているのに対し、フランベーニュ軍の損害はその十分の一ほどなのだから、勝利と誇れることはあっても厄災と主張するのは無理がありそうに思える。
しかし、それは両軍の損害だけを見たものであり、フランベーニュ軍は賠償金こそ受け取ったものの領地の獲得はなく、さらにブリターニャ軍の食料略奪時に起こった虐殺行為により多くの非戦闘員の犠牲者を出している。
こちらもその根拠は十分といえるだろう。
だが、結局、「アヴィニアの災難」が三番目の厄災とされた。
フランベーニュの大歴史家ショボニー・プラティエの言葉。
「彼らの主張も理解できる。だが、フランベーニュの歴史という点を考えたとき、『アヴィニアの災難』以上に厄災と呼ぶにふさわしいものはないのだ。フランベーニュ人としては悲しむべきことではあるのだが」




