~「僕は先輩」「私は後輩」~
第五回「産声」
『珈琲屋』
本当にただそれだけだった。
白地に黒いパソコンで書いたような・・・コレ看板なんだよね?
ベルはたったそれだけの看板の喫茶店、亘がアルバイトとして働いているにつれて来てもらい、見たのがその看板。
「とにかく入って。好きなの頼んでいいから。今日は僕がおごる」
「え!いいの?」
「うん。ここは楽しいお店だから」
すると、亘はそのまま店のドアを開けて店内に入っていく。
ベルはそこで慌てて、亘の肩を抑えてしまった。
「な、何、ベル?」
「いや何って、﨑野君? 『楽しい』って何が? オシャレとかだったらわかるんだけど!」
「あー・・・」
亘はそのまま数秒間止まって、
「わかるよ。絶対に」
それだけ言って、すぐに店に入ってしまった。
ベルはそれだけでは何がなんだかわからず、諦めて静かに店内に入ってみた。
「あれ?」
まず見渡すまでもないほどの空間で、楽しく話しながらコーヒーと一緒に必ず何かを食べているお客さんばかりで、確かに皆、老若男女分け隔てなく楽しそうだ。
店内の音楽はほんのりとした音楽が流れている。
ベルは一人、周りを見渡しながら、静かに端っこの席に座った。
そこに、看板の文字と同じロゴの入った亘がもうやってきて、
「いらっしゃいませ。何になさいますか?」
と慣れた口調でメニューを広げ、ベルの前に丁寧に置いた。
「・・・・・」
ベルは何も言えなかった。同い年の男子高校生でよく知っている﨑野君があまりにもそのスマートな対応が大人で、自信で溢れていて、しっかりとしていて、立派で・・・とにかく、カッコよかったからだ。
「・・じゃ、じゃあ、コレ・・・」
もうそれしか話せる言葉がなかった。
「『今日のおすすめ』ですね。かしこまりました」
そういうと、メニューを片付けスタスタと行く・・と、思ったら引き返してきた。
そして、ベルに近づき、耳打ちした。
「ベル?」
「は、はい!」
「だーいじょうぶだから。そんなに緊張しなくても。ホラ、皆ここではくつろいでるでしょ?」
普通の高校生の﨑野君の態度でそう言われ、ベルはその言葉で自分が知らない内にかなり緊張、いや、のまれていたことに気づいた。そしてそのままもう一回見渡すと、うん、確かに普通の喫茶店だ、うん、大丈夫、大丈夫だ、と思い。
「ゴメン、ありがと」
「いいよいいよ。初めての知らない店って皆そうなるし」
といって﨑野君は、ちょっといってくるね、といって、
完全にクラスメイトの口調で言われ、
「そだね」
とベルも、ここではくつろぐ・・・か。うん、そうしよ。クラスメイトがいるお店、それだけだ。
そう思って、おすすめ、が来るまで音楽でも聴こうかなあ・・・、と思い。
そうして、鞄からスマホとイヤホンを取り出した。
「(何を聴こうかなあ。 あ、これにしよ!)」
ベルは最近の人気の女子高校生の吹奏楽をテーマにした、アニメサントラを選んだ。
段々その音楽に心を任せながら、店内を見渡す。
天井は・・・コンクリート打ちっぱなしで眩しくない、暗くもない明るさの照明があるだけのシンプルで比較的都会的な雰囲気だ。壁は同じくコンクリート打ちっぱなしで所々にカラフルなペンキでコーヒーカップのイラストが描いてある。
外見は最初コンクリートの塊のようだった為、中に入れば全く構えたりさせない、いいお店だった。外の駅前の喧噪の目の前なのに、ここはその音が全く聞こえない、まさに『くつろげる』空間だった。それによくよく見ればかなりオシャレだ。テーブルも白や木目ではなく、黒一色。座席は分煙席もあるし、そういえば今音楽を聴いても、店に流れる音楽は入らない。かなり行き届いている計算づくされた空間だし、テーブルの端にはコンセントの口とUSBケーブルがさせる端子まであり、そして、飲み物をこぼした時にそれらの端子に入らないために透明なかぶせ蓋まである。そして客層は先程の印象通り、老若男女様々で笑顔だ。
「(かなりいいな。ここは)」
確かに、思い思いのお店の飲み物と食べ物で店内が適度に華やぎ、淹れたてのコーヒーの香りで満ちている。簡単に言えば『お客様の何も邪魔をしないでくつろがせる喫茶店』だろうか。
ベルはテーブルに備え付けのメニュー表を見てみることにした。
すると、かなりの数の品目で、価格は全て飲み物一律300円、食べ物350円とある。
「(本当に? スゴ過ぎ!)」
ベルは段々メニュー表に釘づげになってしまった。
他の店では分かりにくいコーヒーの豆の種類と味のイメージや、淹れ方による味の変化だけでなく、その淹れ方に使う器具の写真やそれをどう使うかまで、そしてラテアートの淹れ方やその種類も豊富で可愛かったり、ファンタジックだったりと見たことも聞いたこともない珍しいものばかり。コーヒースイーツの欄では、大人編と普通編とある。その大人編は、日本酒、ブランデー、ウイスキーやカクテルまで、全てコーヒーと合わせると香りや味が引き立つ品から、普通編では、ミルクの種類から始まり、砂糖の種類、ジャム、ゼリー、はちみつと黒蜜、チョコレートの種類、それらの組み合わせ、がある。そしてコーヒーカップリングという「このコーヒー豆にはこれらのスイーツが合います。おすすめですヨ?」とまであった。
「(コーヒーに合うスイーツのおススメ表? イイナ! 知りたい!)」
そこには、普通のトーストのトッピングから、デニッシュ、ハードな噛みごこちのパン、惣菜パンに始まり、和菓子、チーズ、ドライフルーツ、フレッシュフルーツ、シロップ等知ってるだけでもコーヒー通になれそうなものから、「こちらはコーヒーペアリングでのお食事のほんの一例です!」という欄があり、スパイスチキン(コンビニで買ってお家で試してみよう!)、ミートソーススパゲッティ(おなじみですね!でも、他の赤肉系のお食事にも!)、ざるそば(意外でしょ!でもこれもイケる!)、どらやき(どこかのロボットが嬉しがる顔が浮かぶ!)まで、それからはエスプレッソ編での楽しみ方、が始まる。
しかし、ベルにとっては知っていた気でいて、全く知らない、というより違う世界だった。
「(これは・・・)」
ベルはゆっくり丁寧にメニュー表を下すと。そこに、ニコニコ顔の﨑野君が二杯のコーヒーを持って立っていた。
「わあっ!!!」
ベルはビックリして、思わず声を上げた。
「やっぱり楽しくなっちゃうでしょ?」
と普通に言って、亘は向かいの席に座った。
「あれ? 﨑野君、仕事は?」
「マスターに言われて。お前の最初の客ならちゃんと自己紹介しろって」
「自己紹介?」
「・・・というよりさっき僕が言った『自白会』て、あったでしょ。まさに本当の「自白をして来い」ってことだよ」
「何で? ここで?」
「いやいや、初めてここに来てした事だよ」
「最初に淹れたコーヒーってこと?」
それを聞いた﨑野君は誰でもははっきりわかるくらい怯えていた。
ベルは、
「いいよ、いいよ。そんな話。よそうよ?」
「そんな話?」
「あ・・・ごめん!・・・けど﨑野君はそんなに怖がってるのに、その話をしなくちゃならないの?」
﨑野君ははっきり頷いた。本当に真剣な話らしい。なら、聞くべきだろう。
ベルはそう思った。
「僕が初めてこのお店のマスターのコーヒーを飲んだ時、凄くおいしいと言ったんだ。それからマスターに『どうやったらこんなおいしいコーヒーができるの?』って言って。小さい時だったから、そういう言葉遣いになっちゃうけど。そうしたらマスターは『知りたいのかい?』って楽しそうに僕の顔を見て、『おいで、おじちゃんが教えてあげるから』ってキッチンに入れてくれたんだ。満面の笑顔でね。それから何度もその日の内に淹れ方を優しく丁寧に教えてくれたんだけど・・・。その内段々コーヒーらしくなってはきたんだ、けどもうその頃は夕方頃になっていて、帰らなくちゃいけなかった。それを僕が言ったら、じゃあってマスターがお手本をまたもう一度淹れてくれて、それでやっぱり美味しいから、そう言ったんだ。そうしたらマスターはコーヒーを淹れる道具を一式紙袋に入れて、『これを貸してあげるから同じくらい美味しいコーヒーを淹れてみてごらん。出来たら味を見てあげるから持ってきてね?』って。僕は『絶対にマスターみたいな味を淹れて見せるんだ!』ってすっかりその気になってしまたんだ。けど、分かるじゃない?お店でお客様から一杯のコーヒーでお金を貰えるくらいなんて一日淹れても絶対にできないって。でもその宿題を僕に出した。で、コーヒーの豆も最初だから、一種類のコーヒーの豆をドーンとね。でも僕はそれが嬉しくて、約束した。その後家に帰ってその一杯みたいのすら出せなくて、こうかな、ああかな、て。でも、とうとうどんなにやってもできなくって、これは無理だって、最後の豆まで使っても無理だって、諦めたんだけどあのマスターが教えてくれていたキッチンとか思って、全然だめなのに持って行っちゃったんだ。店の前でその水筒を抱えてウロウロしながら・・・ずっと。どうしてもマスターに褒めてほしいけどこんなんじゃ絶対に無理だけど、もしかしたらと思ってとうとう店に入っちゃったんだ」
もう﨑野君はボロボロだろう。そこまでしても頑張ったけどダメで、けどマスターには会いたい一心でいる必死の﨑野君の姿が目に浮かぶ。ベルはもう聞きたくない、堪えられない、と思ったけど、まだ続くらしい。もっと聞きたくもないことが。
「そしたら、マスターがあっけらかんと、『おお、亘か!出来たのか?』っていうんだよ。あまりにもあっさりと。昨日の続きみたいに満面の笑顔で。それでとうとう僕は言ってしまったんだ『出来たよ』って」
ヤダ! 﨑野君がズタズタされるところなんて!!!
「そしたらそれを飲んだマスターがこういうんだ『おいしいじゃないか!よくやったな!才能がある。明日から来てもらおう!』って、僕は絶対に嘘だと思った。だから僕はそのまま帰ったんだ。そうして家で明日行かなくちゃいけないことでまた悩んだ、とうしよう、どうしようって。結局朝になったら泣きながら寝てしまっていたことに気づいたんだ。けど、行くしかないと思って、もう行った。そうしたら、マスターが店の前に立って待っててね。そして『おい、亘! 入れ!」って言われて、そのまま入ったよ。まだ他には誰もいなくても。そうしてマスターは静かに僕に言ったんだ近くに座れって』
そこで少し話を区切った。
「そうして最初にまずこう言ったんだ。
『豆はどのくらい試したんだ?』
『全部試しました』
『じゃあ、亘は最後でも、一番出来たと思った味でも、どう思ったんだ?』
『出来なかったんです、いくらやっても出来なかった』
『そうか』
『はい』
『なら、どうして昨日は持って来たんだ?おじさんは同じくらい出来たと思ったらって言ったんだよ?』
『わかっていて言ったんですか?』
『いいや、出来たら本当に持ってくるだろうし、出来なかったら時間はかかっても、ちゃんと「出来ませんでした」というだろうと本当に思っていた、亘なら』
『ごめんなさい』
『亘、よく聞けよ?』
マスターの目つきが僕をつかんだ。
『亘は出来なかったものを持ってきてしまったな?』
『はい』
『そして、たった今、亘はおじさんに「わかっていて言ったんですか?」とまでいってしまったな?』
『はい。本当にごめんなさい』
『うん、そうだな?昨日それはちゃんと正直に言えばよかっよな?』
『はい』
『おじさんは怒鳴りたくないけど、ちゃんと言うことは言うぞ?それでもいいか?』
『はい』
『じゃあ、ちゃんと言うぞ。亘は豆を使い切るまでがんばったな?』
『はい』
『けれど、最後はあきらめてしまった、ごまかそうとして、だましつもりはなかったけどだまして、知らぬふりをして、出し抜こうとして、ずるをして、きたないことをして、ひきょうなことをした』
『はい』
『けれど、本当はそんなことはしないはずだった』
『はい』
『一杯でもいいからつくりたかった』
『はい』
『だから全部豆を使った』
『はい』
『うん。今の返事は本音だな?』
『はい』
『よし。わかった。これまでの事はもうこれっきりだな?』
『はい』
『亘、今の事はもうおじさんも言わない。だからこれまでの事でもう絶対に謝ったり、頭を下げたりするな』
『はい』
『だから、これからどうしたらいいかを言うから、ちゃんと聞くんだぞ?』
『はい』
『他のどんな人が怒ることをして、たった一人に褒められたとき、人間はその他の人から怒られるよりも、褒められた人に、より後悔をして、反省する。それはとても痛いし、苦しいし、つらいし、悲しいし、もがくし、恥ずかしいし、情けなくなる思いが、心の全てに突き刺さる思いをあじわってしまう。このあじはどんな飲み物や、食べ物、ましてコーヒーなんかより、ずっと大切に、肝に銘じておかなければいけないあじなんだ。もし、亘がまたこのあじを食らったら、最初を思いだせ。気づけるぞ。やってみろ。今がチャンスだ。亘があの道具と豆の袋を受け取った時だ。考えるんだ。その後思った事を話してごらん? さあ』
『・・・・・!』
『言ってごらんなさい』
『今度は・・・正々堂々とやって・・・・同じ誉め言葉が・・・・・今度こそちゃんと聞きたいです』
『そうだ。どんな悪いことをした人でも、このあじを知ったら生まれ変わって、何でも本当の一人前になれるんだ』って最後にマスターが言ったんだ」
こんなにも長くじわじわと、ゆっくり、こみ上がる晴れやかさが浮かんできたのは・・・初めてだからだ。それだけこの感情がこみ上がらせる、緊張の終結。でも、心の全てに刻まれた。けど、私は聞いていただけだ。やっとの思いで息をする。
「本当に長くてゴメン。もう冷めちゃったから、もう一回淹れるよ」
「ううん、記念にいただきます。あ、﨑野君!私、マスターさんに、」
「だーいじょうぶだよ。聞こえたから。ベルの『ここで修業させてください』の第一声は」
「・・・うん。お願い」
お互い様同士だね。
私のが聞こえるなら、私にも聞こえる、
﨑野君の「一緒に生きよう」。
これからも、よろしク!
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