~「僕のでよければ」「私のでよければ」~
第四話「胸の中」
「これは私の・・・『自白』というべきことなんだけど・・・」
ベルは自分の過去からの枷を一つ一つ外すかのように、話し始めた。
「音楽祭っていうのが中学の時にあって、その時に大失敗をしてしまったの」
「うん」
亘は素直に頷いた。
「その時ね、私はトランペットを担当したの。同じ様に、ある程度吹ける人と組んでね。
でも、吹奏楽部とか私はほとんど経験がなかった。けど、家ではずっと吹いていたの。だから、やれるって過信しちゃったのね。けど、余りにも学校で、しかも、授業中に演奏するっていうのは、レベルが高かったの。なんでだと思う?」
「・・・楽器の事はよくわからないけど、その授業中に演奏するのができない、っていうのが、この話の中で大切なような気がする」
「うん、そう。まさにね。普通、管楽器って、特にトランペットって、演奏前に大体『音だし』とかどのくらいかかると思う?」
「・・うーん。わからない」
「部屋の温度とかにもよるけれど、大体初心者で三十分位なのね。ということは?」
「授業中でまともに演奏できる時間は十分から十五分だね」
「そう。でも早めには『音だし』ってできないじゃない? 防音設備のある音楽室以外では他の授業中に聞こえちゃって。でも、そういうのって、担当じゃないと、ほとんどわからない。だから、元々自己流である程度吹いていた私には、時間的に難題だったの。本当にどうしようか、って思った。十分な『音だし』をあまりさせてもらえなかったわけだからね。けれど、私にはクラスの期待もあったように見えてしまったの。それに、一度やるって言って、やっぱり辞めます、とは絶対言えない。自分でやるって言ったんだからね。だから、自分なりに頑張ったんだ・・・。だけど、だけどね・・・」
私は昔の西洋の囚人につけられる焼き付いた焼印のような記憶を思い出していた。
ダメだ、涙がどう頑張っても出てしまう・・・。でも、﨑野君はその頑張りを抱きしめるように私の片手をギュッと握りながら背中を撫でてくれた。やっぱり﨑野君は温かい。まるで違う。同い年なのに。心が﨑野君に包まれている。
「結局・・・、無理をしてしまって、音楽祭前日に体調を崩して倒れてしまったの。でも、幾ら体調を崩した、と言っても、・・・・誰からも『一人逃げた』とばかりしか言われなかったの。しかも、その時中二で、卒業まで言われ続けてしまって・・・。そこで、もう家でしか吹けなくなってしまって・・・。ううん、家でもなかなか吹けなかった・・・」
一旦私はそこで区切った。
﨑野君がティッシュ箱を差し出してくれた。
「やめる?」
「ううん、話を聞いて欲しい。今なら﨑野君がいるから」
「そっか」
「うん」
「・・・中三になった時の音楽祭で、今度はキーボードに挙手したの。そしたらクラスの、一部だけど、ブーイングが起きたの。その時思った。黒板に他の楽器パート以外に『トランペット』と書かれていた時点でも、そう思ってはいたんだけど、『去年を思い出せ。ハッキリと白状しろ、ずっと白い目で一年間見てきたのはわかるだろ?』って私には言われた感じだった」
「挙手は自己判断じゃないの?」
「勿論そうよ。でもブーイングの時と、キーボード担当になった時に渡された楽譜を見て確信したの。キーボードって当たり前だけど、鍵盤楽器でしょ? けれど楽譜には演奏部分は全ての小節が、一音でしか書かれていなかったの。つまり、指一本しか演奏するな、っていうことね」
「あからさまに、勝手な『わきまえろ』っていうやつだね」
私は頷いた。
「だから、本番でその音を基準に全部和音で弾いたわ。両手でね。和音のコードネームは全て中一の時、独学でやっていたから。でもそれを不満だと言っている人達が、まだいたけどね。こちらにしてみれば『要求以上の事はやったぞ』だった」
「ベルは音楽の勉強はいつ頃から?」
「・・・三歳から。でも中学に入ったらトランペットをやろう、って思ったのは九歳なの」
「九歳か・・・」﨑野君は、何かを確かめる様に何か考えているようだった。
「(?)・・・九歳の時にミュージカルを初めて観た時に、曲の演奏を生演奏でやってたのを聴いたの! もうウキウキしちゃって! 休憩時間になったその時にね、演奏者さん達のところに行って、あ、ほら、よくステージ前の屋根のない地下みたいな所、あるでしょ? あそこを見に行ったの」
「あー、うん、あるある!」
「そこで、吸い込まれそうに見たのが他の楽器よりも小さい、うーん、小柄に見えたっていうかな、それが音楽の教科書の写真でしか見たことのないトランペットだったの! で、しかも、今だからわかるんだけど、唇の整理運動で音階を吹いていたの。ずーっとね」
「ずーっと?」
「うん。あ、主に金管楽器で高音を担当するトランペットていうのは、主に吹く息の、速さ、太さ、あとは、ほんのちょっとした唇の形の違いだけで全てを表現するのね。だから常に『慣らし』が必要なの」
「たったそれだけ?! 何か指を動かしてなかった?」
「それはピストン管とか、バルブ管と呼ばれる物で、音の高さを確実に吹くために物で、表現は原則全て息と唇のその変化だけよ。現に同じピストン、バルブの指使いで幾つもの高さの音が出るし、その高低をコントロールするのも全部、息と唇よ」
「じゃあ他の管楽器も?」
「あー、フルートとかも『マウスピース』ともいうけど昔造られていた原型が木製でね、オーボエとか、クラリネットとか、サックスとかね。あ、一応今でもサックスは木管の分類にされるという記述が詳しい楽器の分類学の書籍にはあるわ。それは、木管楽器には『リード』ていう『息で震わす発音装置』みたいなものがあるんだけど、金管楽器は演奏者自身の『唇の振動音を受け止める』ための『マウスピース』に唇をそっと当てるだけなの。だから、その『マウスピース』自体はあくまで『楽器に唇の振動を伝えるだけ』で発音は一切しないわ。現に今でもクラシックの『アイーダ』って曲あるでしょ? あれは『アイーダトランペット』、ていうトランペットを使用することが決まりなのね。それは、ピストンもバルブもない『マウスピース』と『管』だけの長いトランペットなの。でも、元々はトランペットって今でも『ラッパ』とか呼ぶ人いるでしょ? それは紀元前何千年前位かもわかっていない、大昔からの戦争で味方に大きな音で出して合図を送る為のいわゆる『ラッパ』が起源だからなの。それには勿論ピストンも、バルブもついているものは全くなかったの」
「でも遠くからでも合図はするんだよね? 聞き間違えたりはしないの?」
「うん、勿論、一音じゃなくて、吹く人は息と唇だけで正確な合図を何通りも吹いていたの。それを伝統として継承したのが『アイーダトランペット』という訳」
「そうなのか、凄いね。続くって」
「どの楽器も、他の世界中、宇宙中の全ての一部で、歴史がある、という事だけよ? ただの経験と知識だけよ?」
「違うよ。ベル自身だよ」
「私?」
「うん。だって、『音楽を聴いて、音楽を好きになって、音楽を志して、音楽を学んで、音楽を苦労しながらやって来た』んだから。きっと、ベルの事を『音楽が守ってくれる』よ。どんな形であっても。何か僕はベルの将来が楽しみだよ!」
﨑野君のその言葉を聞いた時、また一つの氷が溶けていくような気がした。
確かにそう思ってもいいのかも知れない、と。守ってくれるかどうかは別として、やってきたことが初めて認められた、形になって来たのが見えた気がしてきた。
そう思うと、とても勇気が湧いてくる。枯れた川に水が流れていく様な、潤いまで感じるような気がしてくる。
そこで私は喉の渇きがしているのに気付いた。話がいつの間にか楽器の話になって逸れて、夢中になっていたからだ。
「ご、ごめん! ちょっと飲み物買ってくる(あとトイレかな?)! 﨑野君は何にする?」
「え、いいの? いいよ。一緒に行こうか?」
「え!? う、ううん! 私が買ってくるから! ちょっと待っててね! 早く決めて!(トイレがあるからとは、とても言えない!)」
「ポカリ? アクエリ? う~ん・・・」
「あ、あの!(同じ様なスポーツドリンク! あ、さっき汗かいたからか!)早く!」
「あ~、じゃあ一緒に行くよ」
「え!?(さ、誘っちゃった!? あ~ヤバイ!)あ、いいよ、いいよ、私買うから(トイレ入るとこ、見られるのは何か、ちょっと!)」
「ついでにトイレに行きたいし、さ、早く済まそう」
「え!? あ、あ、そう?(それならそうと!!! 﨑野君!!!)」
「うん、ちょっと急ごっか」
「あ、うん。私も・・・(言うな、私! 他の階があるでしょ!)」
「ああ、ベルも。さ、行こっか」
「うん。私は自販機だけね!!!」
「? わかってるよ?」
「(あ、話がこじれた! どうしよ! トイレはすぐ上か下の階でいいじゃない!!!)」
「とにかくさ、行こ?」
「うん(もう何も言わないで、下の階の使お・・・)」
亘とベルは、トイレのある昇降階段を小走りに向かった。自販機と水飲み場は都咲高校にはトイレの先の階段近くに各階に、設置してある。
亘の後ろ姿を追いかけながら、ベルはふと思った。
「(各階のトイレの出入り口から、自販機見えないかな? さすがに各階にある自販機をすり抜けて下りて行ったら、さすがにわかっちゃうよね?)」
昇降階段は丁度、螺旋階段になっている。そして、手すりはパイプだ。下りればすぐにわかってしまう。つまり、亘にバレずに上か下の階のトイレに行くとしたら、亘がトイレの中に入って、亘の視界の外になってから昇るか降りなくてはならない。と、そこで、
「あのさ、ベル?」
「え、何?」
「いや、ここ、男子トイレの中だって気づいてる?」
「へ!?」
「女子トイレはすぐ隣だよ?」
「あ、はい・・・(結局、私は何してんのよ、もう!!!)」
その後、二人は自販機も一緒になったのでそれぞれ飲みたい物を買うことにした。
「ベル、お先にどうぞ。僕はまだ迷ってるから」
「はい(効率主義者の﨑野君が迷うのか・・・。よし、どっちか賭けてみよ!)」
「う~~ん」
自販機は二台ある。これは面白いな、とベルは思った。ベルは女子の間で流行のバニラミントのジュースにした。
「(﨑野君は、何を基準に選ぶんだろう? 栄養かな? でも両方ともスポーツドリンクだよね?)」
「う~ん」
亘の首が左右に揺れる。
「(よし、右に賭けよう!)」
そう思った時、亘の首が右を向いて、止まった。
「(よし! 右だ! やった!)」
そう、確かに右に決めたのだが、ピッ、と押したのは、ミネラルウォーターだった。
ベルは右の・・・さらに、右を見た。水飲み場だ。
都咲高校の水飲み場は色々な場合、それこそ生徒や教職員の万が一の何か傷や靴ヅレなど時用に消毒も兼ねて、少し低めの蛇口もあって、ほんの少しカルキが多めに設定されたものを使用基準にしている。普通の飲料用としても勿論、十分大丈夫だ。なぜなら部活が少々厳しい為、休むほどではない生徒の為にも、風邪薬や胃薬等も服用が可能なようになっているからでもある。あまり、カルキが強すぎると薬にも体にもよくない。だから、汁気の多い弁当箱を食後洗う生徒もしばしばいる。それに学校は基本、災害時避難所にもなる、とすればもう用途は数え切れない。だから、校庭も無駄に広いわけではない。
「(味か・・・)」
そういえば、﨑野君は喫茶店でアルバイトしているらしい、という話も聞いたことがあるし、それを考慮すれば大本の飲料水にこだわるのも頷ける。
けれど、さっきの自販機の迷い方は実に幼い子供の用で可愛らしかった。
ベルは、なんとなく憧れの﨑野君のそんな姿をもう一度見てみたくなって、ちょっと催促するように、
「ねえ、﨑野君。塩分補給は大丈夫? さっき大汗掻いてたじゃない?」
すると亘は、
「それもそうだねえ・・・」
ともう一度自販機を見た。
ベルは今度はただ期待だけをした。・・・けれど今度もあっさりと期待は破られた。
即決で、野菜ジュースを選んだからだ。
「(ダメだ! 完全に﨑野君は効率主義者の道をまっしぐらだ!)」
鼻歌交じりに野菜ジュースを自販機から取り出す、亘は、ひらめいたようにこう言った。
「ねえ、ベル? 僕たちの話し合いの時間の名前なんだけど、『自白会』とかにしない?」
「『自白会』!?」
ベルはもっと、それこそ「魅力的」な名前はないものか、と思った。けれど、亘は続けて、
「ベルが『自白』というべき、て言ってたからね。何かあの言葉『告白』より凄い言葉だな、て思って」
「こ、『告白』より凄い・・・」
ベルは両手を思わず口元に当てて、赤面してしまった。同時に心臓がトクン、トクン、と速くなっていくのがわかった。
「はい、いいです・・・」
声がちょっと、震えた。
「なら、決まり! あれ、ベルは喉乾いてるんじゃなかったの?」
急に﨑野君が振り向いた。昨日と同じような笑顔がデジャヴのように重なった。
「えと・・、えっと・・・」
ダメだよ! 私、今顔真っ赤なのに! と、とりあえず、このジュースを!
カシュ! 、と何か変な音が出た。そして一口バニラミント味が口に広がる。
「(甘くて、ほろ苦くて、少し辛い・・・)」
そして、ある時の女子の間での噂話を思い出してしまった。
『初恋、って甘酸っぱい、て言うけど。甘くて、ほろ苦い感じの方ががするよねー』
「だよ、ね・・」
「ん?」
また、重なった。まるで巻き戻してるみたいに。
「﨑野君のバイト先って、行ってみてもいい?」
「どしたの? 急に」
「なんとなく」
「駅前の階段の向かって西側にあるよ。定休日の木曜日。つまり昨日ね。それ以外、毎日だよ。マスターが、淹れるのを慣れろ、て」
「お店の名前は?」
「ただの『珈琲屋』って漢字で書いてあるだけだよ。小さな喫茶店でね。よければ僕が淹れようか? 最近マスターに淹れて出してもいい、って言われたんだ。」
「よろしくお願いします」
あれ、私も重なった?
「承りました」
やっぱり重なってる。まるで世界を切り取った感じがする。
そして、昨日のあの場面に張り付ける様に。
ただ、心の中は違う風景だった。
生きる階段を上る途中で、その横にある、夕焼けの﨑野君の一杯を飲みたい。
『甘くて、ほろ苦いのですか?』
そう尋ねたくて、心が照りつけられていた。
これを、秘めておくことは私の隠し味なのだろう。
だから、その問いかけはしない。﨑野君と私が、重ならなくなるから・・・。
―――――――――――――――――――第四話「胸の中」