~「僕は待つ」「私は行く」~
第二話 「必ず行くから」
ベルは帰宅後、二階の自分の部屋に入ろうとした時に思った事があった。両親はいつもの夜勤。というか、夜勤以外ないのだが。
まあ、それはいい。毎日の事だ。今私が困っている原因は、このドアだ。
今朝、自分の部屋のドアを閉めて、今まで自分の時間を過ごした部屋に、
「さよなら」
と別れの言葉を口にしていた事を思い出していたからだ。
そして、今こうして自分の部屋に入れないでいる自分がいる。
今朝あの瞬間からこのドアの向こうは「主人」を失った空間になったのだ。
「(私はあんな事を口にして、学校であんな事して、﨑野君に力づくで助けてもらって、のうのうとこの扉を開けて、何事もなかったかのようにこの部屋のものを好きなように使うーーーーーー。あまりにも、自分の部屋に対して酷くないか? でも、しかし・・・。
何しろ、自分の意志で買ったものばかりなのだ。そして、自分の意思で手放した、いや、手放そうとしたものだ。ならば、自分の意思で取り返さなくては)」
そこまでやっと考えられて、ドアノブを握り、回す。
「(よし! 入ろう!)」
ベルはギュッ、っと目をつむり、ドアを開ける。キィー、という小さな音が鳴る。
「(よ、よし! 入れる!)」
そして、安心して部屋に進み、目を開けて、
「ふぅ、やっと入れ、えっ!?」
いつも入ると安堵するはずの部屋が、真っ暗闇の空間だったのだ。
「(あ・・、あ、ああつ!)」
ベルは恐ろしくて、ペタンと、腰を抜かしてしまった。わ、私はここに入ろうとして・・・いたの・・? あ!そ、そうだ!
ベルはすがるように部屋の明かりつけた!
パッ、と明るい「私の部屋」がそこにあった。
「あ。あった、あった! 私の部屋!」
ベルは思わずそう言った。そして、やっと実感出来た。
「(帰ってきたんだ・・・『私の部屋』に)」
ゆっくりと、腰を抜かしたまま四つん這いでベッドに向かい、途中で鞄を置こうとして、ハッ、と「あのノート」だけを取り出して、静かに布団の中に入った。暗いのはもう怖いから、布団から頭だけ出して、部屋を見渡した。目覚まし時計を手繰り寄せる。
時刻はPM11:42。そりゃ、暗いわけだよ。
「ごめんね。『私の部屋』・・」
体がだるい。けれど、眠れそうにない。
それでも、何とか帰れた。こうして、自分だけのベッドに入れた。
何という事をしてしまったんだろう・・・。
今日の出来事がまるで死ぬ直前にみるという、走馬灯のように巡って・・・、止まった。
﨑野君とRINE交換したんだっけ!
ガバッ! と布団から飛び起きて、鞄のサイドポケットを開け、スマホを取り出した。
RINEアプリを立ち上げて、連絡先一覧を見る。
「あ、確かにある」
さ行の一覧の中に『﨑野』とだけ書かれたところを見つけた。
「よかった、夢とかじゃなかった」
とベルはつぶやいた。
そう。つぶやいた。確かに自分はつぶやいた。
『夢』、と。
ベルは一人でその場で赤面した。そしてある事を次に思い、RINEの連絡先一覧を再度見る。
今度は一覧全件だ。
「(まさか、まさか!)」
全件見終わって、なんだかゆで卵になったかのように体中が熱くなって、湯気が出そうだった。
「やっぱり、男のRINEはお父さん以外、﨑野君だけだ・・・」
スマホを持ち始めたのは中一で、それでも自分は持ち始めるのが遅いと思っていた。
呆然と、もう一度自分のスマホを見る。
時刻はPM11:58
「そうじゃない! 何してんの私! 命の恩人にお礼のRINE忘れてるじゃん!」
そう、時刻はPM11:58、今日があとたった二分で終わる!
「(え~っ、え~!? 何打ったらいいのかわかんない!)」
時刻が、PM11:59、となった。
「あ~! もうっ!」
とりあえず、
『ありがとう』
と打って、送信!
「あ・・・送信。しちゃったんだよね。たったの五文字だけの、お礼・・だなんて。私、ホントにバカ!」
スマホを部屋の何処かに投げようとした、その時、♪~、とスマホが鳴った。まるで、投げるの止めるかのように。
「え!」
ベルはまさか、と思わずすぐに画面を見る。
『RINEメッセージ未読1件:﨑野 PM11:59』
「ウソ・・」
その瞬間タップする。開くとそこには、
『待ってたよ。大丈夫? 今日一日お疲れ様。ゆっくり休んでね。それとも何かあった? y/n』
早っ! 本当に今打ったメッセージなのかな? いや、私のメッセージはちゃんと既読になってるし・・・。と、とにかく信じよう! でも、『Yes or No』って、今時書くものなのかな、この『y/n』ていう書き方、今でもするのかな? 私達の親の時代だよね? ああ、そうか、急ぎだからか。
「えっと、ちゃんとお礼が言いたいから、『Y』い、いや『Yes』? それともそのまま『y』? ああもう、なんて書けばいいんだろ! 今度は別の意味でわからない!」
ベルはとりあえず、一旦深呼吸した。
そもそも初の同い年の男子RINE、じゃなくて初の家族以外の男の人の個人の連絡先。そして、この事は﨑野君と私だけしか知らない。﨑野君自身はどうかわからないけど、私にとっては初めての相手が﨑野君。あ、連絡先一覧では『﨑野』だっけか。な、ならほんのちょっとだけ訂正してもいいよね・・・。
『﨑野亘君』
訂正終わり。
そうそう返事だ。二人だけしか知らないことの、二人だけの初めての『y/n』。なら二人だけの送返信の『証』として、
『y』
そして、送信、とタップしようとして、また私は考えてしまった。
「ずっと、待たしてたんだよね。私、﨑野君を」
そうだ。下校時刻を少し過ぎた後くらいに「あの事」があって、それから、一言、二言くらい話して、通学路の公園を少し過ぎた辺りで、別・・・じゃない、「じゃあまた明日」って言って、危ない危ない『別れ』だなんて全く不吉な!
そこまで考えて、『ずっと待たした﨑野君』に、やっぱり『y』しかないな、と思った。
「もう遅すぎるけど」
送信。
時刻はAM0:41
「勝手だな。私」
♪~、とスマホが鳴る。
「(こういうのが、『誠実』っていうんだろうなぁ。『律儀』じゃなくて。こんなに待たせたのに、疲れた顔しながら、どっかニヤけてんだろうなぁ、私。ホント、最低だよね)」
そんなことを思いながら、『未読』をタップ。
『本当に大丈夫? 疲れてない? 無理ならまた明日でもいいよ?』
『私に気を使いすぎだよ? 﨑野君にRINEでもお礼を言いたかっただけだから、安心して。それにその「明日」はたぶんもう「今日」の事だよ?』
『本当だ』
『でしょ? ごめんね。私、待たせちゃって。あと、本当にありがとうございました。死のうとした私を止めてくれて』
『いいのいいの。』
『だめだよ。こういうことは何回言っても言い足りないことなんだから! それと、それとね。﨑野君に私の方から聞きたいことが一つだけあるんだけど、いいかな?』
『何?』
『死のうとした「訳」を一度も聞かなかったのは何故?』
『話せる時が来たら、きっと話してくれるってわかったから』
ベルはそこで手が止まった。凄い、と思ったのだ。てっきり、それもそうだね、じゃあ聞いていい、というような答えが返ってくると。そして、気づいてなかったでしょ、という展開ばかり、想像していたからだ。でも、そうじゃない、﨑野君は見落としても、見下してもない。今までの自分の人生で、「何でもいいから言って」という人は、大概何処か、その人の言葉の中でいわゆる「上から目線」の言葉が混じっていたもので、それに気づいてもいない人だったからだ。
ベルはまた打ち始めた
『あの状況下で、私の事信じて、任せてくれたってこと?』
『うん。「これからお願いします」ってちゃんとベルは言ったからね。だから、「ベルって凄いな」って思った。話そうとするのをきちんと前もって伝えちゃうんだから。正直言って驚いたんだ』
あ。自分で言ってたことすっかり忘れていた。大事な、大事なこと。自分がホントに恥ずかしくなる。そりゃ確かに帰ってから色々あった。けれどそれでも忘れてはいけないことだ。
・・・言った方がいいだろうか? 「忘れてました」って。無理! 﨑野君は、ずっと待ち続けてくれてた。日付変更寸前まで。私の言葉をずっと信じて、私からの連絡を待っていてくれた。そう、ずうっと待たせていた。自分の命の恩人を・・・。
♪~。
『やっぱり忘れてたかな? 大丈夫大丈夫、僕なら平気だから』
「えっ!? なんでわかったの?」
思わず大きな声を出してしまった。
『なんでわかったの?』
『あのね、ベル?』
『はい』
『よく順を追って考えてごらん? あんなことはまず滅多にしないでしょ?』
『はい』
『ということは、気象庁がテレビとかではよくいわれる、「観測史上例をみない何とかです」みたいなものだよね?』
ベルは急な例えに、うーん、と考えて、よくわからないので、そんなニュース自体をそのまま思いだしてみた。
『災害?』
『うん。うん。大体そんな感じだよね。じゃあその後大抵なんていう?』
『なんてって言われても』
『正確には、大抵何て呼びかけられるかな?』
ベルはここでようやくこの例えの意味が分かった。
『「皆さん、慌てず焦らず落ち着いて行動、もしくは避難してください」』
『うん。みんな慌てたり、焦ったりする。つまり、普通の、普段の行動ができなくなる。だからベルもきっと、いやほとんど家に帰っても、普段の事に対応できなくなってしまうはずだな、て思ってた。だから落ち着いて連絡が来るまで待っていた方がいいな、って思ったんだ』
ハァ――、ぜーんぶお見通しだったんだ。﨑野君には。待つことも。こちらがあれやこれやテンパってるのも。そして、それをちゃんと経験しなくちゃいけない事だということも。
こういうことをきちんと時間をくれて教えてくれてたんだ。そう、全部私の為に・・・。
私がもうしない為に・・・。
『﨑野君』
『ん? どした?』
それを見て、思わず吹き出してしまった。
やっぱりそうきた!
『それ。ぜんっぜん僕は空気読めてません、て、宣言しちゃってるんだよ? うちのクラスの女子、﨑野君のその切り返しでみーんな「鈍感!」って引いちゃってるんだから』
『そうだったんだ』
『ハイハイ。そういうのはもう、私には通じないから』
『それもそうだね』
『そうだよ。私は﨑野君の判断力とか、対応力とか、忍耐力とか、思考力とか、賢さとか、あと、本当は凄く優しいところとか、凄く温かいところとか、そういうの全部、なんて言うか、ズキズキするほど﨑野君から浴びつくしたい!』
『あの、ベル?』
『﨑野君、顔赤くない?』
『はい。やられた』
『でも私の本心ですので』
『あのさあ、ベル?』
『うん。聞く聞く。だから来てよ? 私の部屋に!』
『だめ! もう降参するからいったん止まって!』
『わかった。もうやめるね。ごめんね? ただなーんか﨑野君の弱点わかっちゃって』
『なんでわかったの?』
『ストレートな言葉って、いろいろ例えを考えたり、人知れず頑張る人にこそ響くものでしょ?』
『なるほどね』
『だからさ、﨑野君。﨑野君の事も教えてもらっちゃダメかな? 私は例えとか逆に下手な方だから、どうしてもそのまんまハッキリ言っちゃうと思う。それで今まで失敗したことだらけ。﨑野君は両方出来るじゃない? それも的確に使い分けちゃうくらいに考えられるでしょ? それ多分、大人でもできる人少ないと思う。だから、そういう冷静で的確で、しかも相手の為になる、自分の行動への考えが出来たら、私はもうあんな事しないようになれると思うの。だから、今度こそよろしくお願いいたします』
『わかりました。じゃあ、僕にもベルのいい所だな、って所を教えてください』
『うん。頑張ろうね。お互いに』
『はい。頑張りましょう』
『じゃあ、早速なんだけど』
『ちょっとまって、時計見て』
『時計?』
時刻はAM6:50
「ウソッ!ヤバッ!」
また、大きな声を出してしまった。
『ゴメン! 学校だった!』
『危なかったよ。じゃあ、放課後に』
『放課後? なんで?』
『いきなり関係近くなったら、それこそ「昨日の事」バレちゃうよ?』
うっ・・。それだけは大騒ぎになってしまうのは嫌だ。大変なことになる。
『わかった。じゃあね』
『うん。先に行ってるね。話さない方がいいけど、それでも待ってるよ』
『うん。待ってて』
そうだ、もう思い直したのに、心底反省したのに、蒸し返されるのは苦しむだけだ。
せっかく﨑野君がここまでリードしてくれたのに、全て水の泡だ。
本当はこういうのは専門家とか、親とか、先生とかに言うのが一般的だけど、結局申し訳ないけど同じ目の高さで見る人はその中には皆無だった。全員だめだったのだ。勿論もう他に味方がいないと思ってしまった、自分の弱さだ。「あんな事」をしたのも全部自分のせい。
だけど、思ってしまった。私やきっと﨑野君も、「そうしてしまう」程多くて、深い所にきっかけがある。だって、本人から「同じ事をした」と教えられたのだから。
今の望みを託せるのはたった一人。
﨑野君だけだ。
同じ経験をしたからこその、言動ができるのは、彼一人なのだ。
何でも話せる頼れる人がたった一人いただけでも、人生が全然違うものに見えた。
生きていいんだ、と自分で思える。
そう思った。そう思わせてくれた人に出会ったんだ。ここで大切にしなかったら、どうなるか分かったものではない。
ベルは支度を全て済まして、放課後を楽しみに、ちゃんと勉強しようと思った。
親以外で、「生かされた」、と思える人に出会えるのは初めてだ。
だから、会いに行こう。
私が来るのをずっと待ってるくらい、気長な理解者さんに。
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