099 【お里の告白】
お里が不思議なことを尋ねるのだ。
味噌汁がこぼれた形跡がないと言っているのか。
そんなはずはない。
俺はまだ飲み込んでなかったし、確かにひんやりと冷たかった。
だがそう言われて自分でも確認を取って見ると。
「あれ? 全部乾いてやがる……味噌汁だぞ。ふつう乾いてもベタつくし、色もつくのに」
といっても、奉行所までは引きずられていったから衣服はドロドロだし……。
ドロドロでもない。
洗い立てみたいにきれいだな。
パリっとしていて気持ちがいいぐらいだ。
「なによ、お味噌汁をこぼしたなんてウソついて。コマちゃんっ!」
「な、何だよ。ほんとだって。さっきまで泥まみれだったし俺もいま気づいたんだ。びっくりしてんだよ!」
「ウソつきは泥棒の始まりっていうのよ。泥棒でも始めるつもり? ウソついた分は正直に謝りなさい! お母さんはコマちゃんをそんな風に育てた覚えはありませんからねっ!」
泥棒を始めようとしているのは未来のコマさんと盤次郎だ。
それは的外れではないが。
おめぇに育てらた覚えはこっちにもないぞ。
ああもう、さっきから本当のおかんのようにうるせぇな、お里は。
「まじでうるさいんですけど。母親みたいな口振りだな。だれかの母親経験してんじゃねぇか?」
「なんですって!? わたしが「おばちゃん」を経験してるですって?」
「いや聞き違いだそれ。「おばちゃん」などとは言ってないぞ!」
「おなじ意味よっ! あんたこそ今からそんな思春期の生意気な中坊みたいな口の利き方してるとロクな大人にならないわよっ!」
「なんだよ! まじで小うるせぇな。もう勘弁してくれよ! 大体、俺とお前は赤の他人だろ、なんでそこまで俺に構うんだよ! ひとの迷惑考えろよ。だからもう帰ってくれ。いい加減にしないと母親呼びつけるぞ!」
ちっ!
また瞳をうるうるさせてやがるな。
泣くつもりか。
もう、うんざりだ。
俺には時間がないんだ。
こんなところで油売ってる暇なんかないっつーの。
子供のままごとなんかに付き合ってはいられないんだよ。
「泣くなっ! これ以上ここで騒ぐんじゃない」
泣く気だろ、そうはさせるか。
俺は今にも大声で泣き出しそうなお里の口元を押さえに行った。
猿ぐつわをするつもりはない、それはあんまり可愛そうだ。
俺もさっき経験したからな。
口を手で押さえつけたい勢いでお里の方へ、ともに倒れ込んでしまった。
お里の上に乗っかって口を塞いでいる、そんな状況が生まれてしまった。
おい、これじゃまるで変態じゃねぇか。
絶対に口元から手をどければ、お里はそのように言って泣きじゃくるに違いない。
だがこのままでは窒息させてしまう。
「お里! 泣くな、絶対泣くな。俺は弱虫は嫌いだ。いいな、鳴き声をあげたら絶交だからな、約束だぞ」
こういう時は約束を取り付けるのだ。
絶交とまで言えば、大抵の子供は受け入れるものなのだ。
お里は涙を堪えて、小さくうなずいた。
手を放すぞ、と告げて。
じっと相手を見た。
お里は約束を守り泣き出さなかった。
しかし──。
「約束だから、わたし泣いてないよ。でも、これではっきりとしたわ」
「なにが、ハッキリとした?」
「あなたは、わたしとバンさんが知っている幼馴染のコマちゃんじゃない……」
なにを言い出すんだよ!
「コマちゃんは身体が弱くていつも眠ってばかり居たのに。急に、あの夜を境に……まるで別人ね!」
「な、なに!?」
いま何と……。
「あなたがお堂の前から帰って来てから、目の前であり得ないことばかりが起きている……」
「いったい? なにを言っているんだ。昨日だってふつうに話をしていたじゃないか。飯のこととか世話になっているけど俺も独りで考えたいことがあるんだよ。そっとしておいてほしいだけだよ」
「昨日姿が見えなくなるまで、あなたはこの家で寝たきりの身だった。自分の名も口にできなくてまるで操り人形のようで可哀想な子だと。わたしの家とバンさんと弥彦おじさんとで懸命に看病してたのよ……それも2年もの間……」
弥彦からはそんな話は聞いていないが。
なんでそんな大切なことをいままで伏せていたんだよ。
「あなたの病は完治したの? それが本来のコマちゃんなの?」
本来のコマちゃんと言われても困るんだが。
ここではそういう扱いになっていたのか。
「そんな馬鹿な? バンさんに会って話してきた。いつも俺を使い、情報を手に入れて……感謝していると」
しかも新たに頼まれ事もあるわけだ。
なぜ素知らぬふりで話を進められているのかその疑問が新たな恐怖だわ。
もとより盤次郎とお里のことを探りに来たのだ。
こいつらはこいつらで何かありそうだが。
話がまったく見えないぞ。
お里は急になにを言っているのだ。
それが真実なら、バンさんとお里一家は俺の話に合わせていたことになる。
俺が病人の駒次郎と知りながら。
まさか弥彦の分身とまでは知らないだろうな。
そういえば弥彦はこのコマさんを傀儡と称していたな。
弥彦、味方じゃなかったのかよ。
それとも弥彦は俺に女神の加護があるからと油断したのだろうか。




