096 【孤独のうちに】
あれだけの距離をとっても、分身が単独で甲賀の手練れと渡り合っている。
この者はいったい?
「よくわからないが、まずは礼を言う」
親子で命運が尽きたと死を覚悟したその時だった。
その横やりで隙が生じた。
おかげで窮地を脱した。
「礼には及ばなねぇ。ただの気まぐれさ!」
彼はあっさりとした口調でいった。
だが彼が忍びの者であることに変わりはない。
目的はなんだったのか。
自分たちの事情も分からずに救いの手を差し伸べたというのか。
綱賀天内は彼に問う。
抜け忍の「さだめ」は知っているのかと。
状況を見極めていたからこそ多弾の煙幕で隔たりを作ったのだろう。
よそ者であろうと恨みを買うことになるぞ。
「奴らはまだ諦めたわけではない。いつかまた追われる……おぬしも同様にな!」
「おいらは伊賀者で、サスケっていうんだ!」
「……なっ!」
「サスケ……倅と同じ名か!」
先に驚きの声を漏らしたのはサスケ(弥彦)だ。
天内は息子と名が同じということから察していう。
見た目も近い歳の頃であるし。
救いの手を差し伸べたのが大人であったなら捨て置くところだ。
何があっても己れの行動の責任は自分に跳ね返ってくるものと承知だ。
大人ならそこまで疑問視はしなかった。
ともに追われの身となる可能性は充分にある。
そのリスクを少年ゆえに軽く見ているのではないかというのだ。
伊賀のサスケはカラッと笑って言った。
「だから気まぐれだって。まぁおじさんがその子の名を呼んだとき、おいらは自分が呼ばれたと一瞬錯覚したんだけどね」
「それで様子を窺っていたのか? 抜け忍かもしれないと思わなかったのか」
「思ったけど……つい助太刀をしてしまった」
「救われておいて何だが、無謀なことをしたな。奴らを甘く見ない方がいい」
「そ、そんなこと言うなよ父ちゃん! せっかく好意で助けてくれたんだぜ」
「救われたことには感謝しているさ。だが追われるいわれなき者が追われる側に成ることがどれ程地獄であるかわしらが一番知っておるだろう」
その天内の指摘に伊賀のサスケは答えた。
「おいらも抜け忍だよ。ちょうどおじさん達みたいに。父ちゃんが囮になっておいらは生き延びた。おいらは父ちゃんの言いつけ通りに逃げた! 敵を巻いたら後から必ず追いつくからといった父ちゃんを信じて……」
そう語る伊賀のサスケの瞳に、天内は「灰色の雨」が降るのを垣間見た気がした。
死線を乗り越えて来た者は皆、過去を振り返る時そんな目を見せることがある。
大切な者を自分のせいで亡くしたと繰り返し胸に刻みつけ生きてきた者の目だ。
「親父さん、戻って来なかったのか?」
サスケ(弥彦)が何気に尋ねると、彼は、
「嗚呼これが忍びのさだめなのか」と思い知る瞬間だったと天を向き微笑した。
ふと二人に向き直り見つめた先は綱賀天内の目であった。
「まだ三年も過ぎてないけど、父ちゃんもそうするつもりだったんだ。さっきのおじさん達を見ていたらそこに重なるものが見えてしまって……」
「よくわかった。改めて礼を申す!」
天内は溜飲が下がる思いに至り、伊賀のサスケの気持ちを受けた。
「ありがとう、伊賀のサスケ!」
「おいらたちの時は天に見放されちまったからな」
伊賀のサスケは感慨深く言葉を漏らした。
この出会いから数日の間、三人は行動を共にした。
弥彦は伊賀のサスケから「分身の術」のコツを教わった。
別れの日が来るまで、猛特訓をした。
その後、彼とは出会うことは一度たりともなかった。
やがて弥彦と天内に再び試練の時が訪れた。
一年後、二年後と。
甲賀者の追っ手の数は回を追うごとに増していった。
伊賀のサスケと別れてから五年の歳月が流れていた。
天内はあの日と同様に、弥彦に逃げて生き延びよと告げた。
もはや二人の命運はそこで果てるのだ。
天内は「あの日と同じ轍を踏んでくれるな!」と。
弥彦に、伊賀のサスケは一人になっても挫けず生きたことを思い起こさせた。
「甘えは捨てよっ! サスケ、この父の教えを……最後の教えを守ってくれ」
弥彦が聞いた父親の最後の言葉となった。
泣く暇もなく己の犠牲となる父を置き去り、その場を去った。
あの日の父はもう居ない。
想い出も帰らない。
その後も弥彦は上達した分身の術を駆使して逃げ延びた。
それからも甲賀者の姿を目にする度に逃げた。
父との決別の日に自らを「弥彦」とした。
里を出て間もない頃、腹に子を抱えていた母親が先に討たれた。
腹の子が男児なら「弥彦」となることを知って居た。
両親と自分だけの唯一の繋がり。
家族となにを望んで里を抜けたのかを忘れないために。
それから二十代も後半に差し掛かった頃だ。
伊賀のサスケが見せてくれた分身は遠く離れても、意のままに操れていた。
技に磨きをかけるため、日夜特訓に励んでいた。
そしてあの日の伊賀のサスケの分身のように。
かなり遠くに離れても分身を操れるようにまでなっていた。
そのある日のことだ。
あろうことか、己が生み出した分身が消えなくなったのだ。
「術の解除ができない!?」弥彦には何が起きたのか見当もつかなかった。
それどころか、消えない分身が自分の意思とは関係なく動き回る。
「長き孤独のうちに」幻でも見るようになってしまったかと。
分身ゆえに見た目は変わらない。
その者が隠れもせず、勝手に街中を出歩いていくのだ。
これでは追っ手に居場所が知れてしまう。
だから「死」を与えてやらねばならない。
だが分身は、「反撃」をしてくる。
その強さは自分と同じ。
奴を越える強さを求めると、奴もまた同じだけ強くなった。
一度反撃をしだした分身はその後も弥彦を襲うようになってしまった。
分身が異なる人格で意思を持ってしまった。
本体を敵だと認識してしまい攻撃の対象となったのだ。
弥彦は甲賀者たちのほかに己の分身にも命を狙われて生きる暮しを余儀なくされたのだ。
弥彦にとってこの上のない恐怖の日常が始まったのだ。




