082
いま襖越しに盤次郎が俺を呼んでいる。
十六歳の駒次郎と会ったときは二十歳ぐらいだったから。
盤次郎は小夜子とおなじで十二歳だな。
誰にも聴きとられないように口元でひそひそ話をするように。
そのように語りかけるのは、忍びの聴力の存在を周知しているからだ。
駒次郎がすでにその領域に達する忍びだとするなら、生まれついての忍者のさだめに生きて居るということになる。
そう仮定するなら駒次郎忍法は、もはや独学では成立しない。
だって十六になったあいつは驚異的だった。
人を手に掛けることにためらいが無く、追い付かれてから死に至るまでが息もつかせぬ早業であった。
いくつも死線を乗り越えて来た証明だと確信している。
そうなると駒次郎にはどこかに忍術の手本となる師匠がいるはずだ。
仮定の話だが、また面倒くさいことになりそうだ。
だが忍術の師匠なら殺されなくて済むから、まだましな方か。
ところで、盤次郎がそれを知っているのは幼馴染だからなのか。
まさか盤次郎も忍びだなんてことはないだろうな。
「いや……まさかな」
流石にそれはないよな。
あるなら大名行列の折りに子供を無理なく救い出し、事なきを得ただろう。
このまま盤次郎に張り付いていけば誰が駒次郎の師匠か判明するかも。
あははは。
なぜこうも毎回、チェンジ以前の本人の情報がないお陰で俺が冷汗を流しつつ、怖い思いをしなければならんのか。
「駒次郎…静かに入って来い」
「え……バンさん」
入室を許可されたのか。
手ぬぐいのほっかむりはすでに外していた。
どういう顔をして出て行けばいいのだ?
しかし、あんまり待たせるのも悪い。
そっと襖を少しだけ開けた。
その隙間から中を覗き視ると、右手にすぐの所に盤次郎が屈んでいた。
まさしく襖越しだった。
盤次郎の言葉通りに襖を開けて入ると、隅っこに引っ張られてしまった。
部屋の隅で盤次郎に肩を抱かれた。
すかさず耳打ちをしてきた。
「なにか急な知らせでも届いたのか?」
その言葉の意味がよくわからなかった。
俺は、俺の意思でここに来たんだ。
いや、でも会う約束でもしていたのか。
お里が迎えに来た夜、「ここのところ、ずっと」夕飯時に居なくなる。
らしいのだ、俺は。
最近も頻繁に会い、二人で何かことを進めているのかもしれない。
だが知らせと言われても。
大名の一件で藤吉郎が投獄されたことぐらいしか、俺は情報を持っていない。
「それが……藤吉郎先生がね奉行所の牢に入れられててね…」
藤吉郎が案ずる必要がないことを伝言して来たこと。
ありのままに伝えた。
そして息を飲みながら盤次郎の返事を待った。
盤次郎は落ち着いた様子で「うん」と頷いてから、
「大名たちの一件だな。そろそろお前が動いて状況を知らせてくれる頃と思っていた所だ」
そういう状況に察しをつけていた様に言い放った。
それにしても、すこし落ち着きすぎやしないか。
いま、大名たちって言ったか。
──なるほど。
藤吉郎が言ったとおりだな。
俺も今、不思議な感覚に見舞われたよ。
たかだか十二歳の寺子屋通いの子供が、やけに落ち着き払っている。
そのうえ、「大名たち」などと恐れ知らずもいい所だろ。
それに話の流れがそこにあるのなら、俺も聞いておこう。
周囲の人たちは膳を囲み、会食を楽しんでいるようだ。
俺のことは咎められる様子はないようだ。
「その件で、奉行が大名のところへ掛け合いに行ったそうだよ」
同じ部屋の上座に居るのは誰なのだ、と問いたいところだが。
いまは堪えておこう。
俺が知らせに来るのがわかっていたのなら、俺にも説明がなされるだろう。
この報告の反応でも大体わかる。
「そうか。奉行が大名のところへ出向いたか」
「は?」
出向いたか、とはどういうことだよ?
「おい駒次郎。自分で伝えておいて何を驚いているのだ?」
「だって、そこのお方はお奉行様ではないの…か?」
ひそひそ話を部屋の隅で交わす。




