077 【臨時の教え子】
牢の中で静かに首を横に振る。
俺の親切をお節介とばかりに?
藤吉郎は、幼子にそのようなものを託せないと俺の好意を断るのだ。
「なにも伝言はないのですか?」
「気持ちはありがたいが、危ない真似はさせられない。盤次郎が牢に入れられなくて本当に良かったと思っているのだから」
藤吉郎の目が潤む。
確かにな。
七歳の子に大名の屋敷へ寄ってくれと何かを託せば、遂げようと頑張る。
投獄されて身動きの取れない優しい先生を同情の眼で見ている。
その家族への俺の気遣いは、盤次郎への気遣いでもある。
娘に近づいていく理由を持っていると俺の前途にまた寺子屋が登場する。
そこに行けばあの奥方たちも登場するし。
藤吉郎は代わりに詫びてくれたのだから、娘の所にも通わせたくないのだろう。
子供が大人の都合で酷い目に遭うのが耐えられない。
もっとも俺が大名に会えば、話がややこしくなる可能性もある。
つまり、盤次郎を大名から遠ざけたのに俺をそこへ行かせられない。
盤次郎が無事なのに、弟分を名乗った俺が無事でないことは盤次郎からの信頼を欠くことになる。
そういう考えなのだな。
俺は、牢の格子の前に佇む。
藤吉郎は正座のまま俺に向き合っている。
藤吉郎が優しく微笑みながら、素直に帰路につけという。
「それじゃ俺、バンさんの所へは行っても良いですか?」
「彼が居るのは料亭だぞ。子供の身では通してもらえないだろう」
「あ……っ!」
俺は盤次郎に会うために出かけてきたのだ。
その強い気持ちが前に出て、いつの間にか藤吉郎を頼ろうとしている。
だが藤吉郎はいう。
逢いたい気持ちは分かるが、盤次郎は遊びに行っているわけじゃないと。
どうやら俺はいまひとつ幼子の自覚と目的に対する真剣さが足りないようだ。
ちびっ子に成り切るのは難しいな。
というより、成り切れてしまうと退屈でしかない気がする。
いかん。
俺は気持ちを強く持つために顔をぶるっと振った。
「先生、相談があるんですが。聞いてもらえますか?」
「どのようなことかね?」
「俺、盤次郎の所へ訪ねていきます。子供だと門前払いだから、一日だけ先生の教え子にしてほしいのです」
盤次郎に会うために生まれてきた。
そう言っても過言ではない。
だが言えない。
その言葉だけは胸の奥で噛み殺すしかない。
俺は、彼に逢いたい理由を適当にならべていく。
「俺…、近いうちに長屋から旅立つんです。バンさんには寺子屋に行かないと会えないわけですが、そこには近づけないから。今日どうしても逢いたかったんです」
真剣に語った。
命が懸かっているからな。
そして祈るように願いをいった。
藤吉郎は何も言わず俺の眼を見た。
そしてコクリと頷いた。
「それでは寺子屋のせいで酷い目に遭わせたワビとして。一日だけの弟子を取ろう。ただし盤次郎に会えたら速やかに家に帰るんだぞ」
そう言って、懐から筆と紙を取り出し一筆したためてくれた。
先生の署名入りなら、料亭も受理してくれるだろう。
こうなりゃ奥方たちの取った酷い仕打ちが表目に出たな。
そのことがなければ、この人の教え子になっていない。
なっていなければ寺子屋以外の場所で盤次郎に出会うことは難しいことだ。
俺は盤次郎の顔を知らないからな。
藤吉郎に礼を言う。
「ありがとう、先生!」
「気をつけてな。盤次郎に会えたら、こちらのことは気にしないようにとな」
温かい眼差しがあった。
書きつけを受け取った。
小さな手の中に手紙の重みを感じ取る。
深くお辞儀をせずにいられなかった。
自分の娘より、俺と盤次郎を気に掛けてくれるのは正直嬉しい。
心が温まる思いだ。
人柄は申し分ない。
盤次郎には親代わりのこの人がいる。
なのに将来は宿屋で薪割りをしているのは何故なんだ。
ま、いまは考えるだけ無駄か。
牢に入れられても筆記用具は欠かさず所持しているなんて。
やっぱり学校の先生だな。
そして几帳面で助かったよ。
だが──。
この人たちが今後どうなろうとも深く首を突っ込むつもりはない。
ここも3日過ごせば、俺は去らなくてはならないのだから。




