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第6話 『地獄ノ新人研修』へようこそ


「インガ君、訓練はどうですか。刀の扱いには慣れましたか」


 初日の訓練を何とか終えて、寮の風呂で汗を流してから番所に戻ってくると、レンゲちゃんが冷たい麦茶を入れてくれた。

 疲れた体に染みわたる。


「はい。少しだけっすけど。三輪さんも六道さんも、あと優曇華(うどんげ)先輩も容赦ないっすね」


「でも少し映像で見ましたけど、インガ君は運動神経が良いんですね。私は戦闘は全然ダメで」


「いやいや、だってレンゲちゃんはまだ子供じゃん。ああいうことをするには早いんじゃないの。というか大きくなっても駄目だよ!」


「……」


 レンゲちゃんは俺の発言に少しむっとしているようだった。

 何か気に障ることでも言ってしまっただろうか。

 でもこの年頃の女の子はやっぱり子供扱いされるのは嫌なのかな。

 俺は兄貴しかいなかったけど、可愛い妹ができたみたいでちょっと嬉しいな。


「インガ君はなにかスポーツでもやっていたんですか」


「実は空手を小学生のときに少しだけ。中学では陸上をやってたんだけど、高校では……痛っ」


 俺は急に襲ってきた頭の痛みに、こめかみを抑える。


「インガ君、どうされましたか」


 レンゲちゃんがお盆を胸に抱きしめながら俺の顔を心配そうに見つめている。


「いや、急に頭が痛くなって。……俺、高校に入ってから何の部活をやってたんだっけ……」


「インガ君、前にもそういうことがありませんでしたか」


 レンゲちゃんはその金色の瞳で真剣に俺の目を見つめている。


「そういえば時々頭が痛くなることが。別に頭痛持ちとかじゃないはずなのにな」


 俺はあれっと思う。

 時々何か記憶が頭をかすめた時、微かに頭が痛くなった。


(あれ……?)


「――もしかして、俺の死因と関係のあることなのかな」


「どうしてそう思うんですか」


 金色の瞳がまだこちらをじっと見つめている。

 それは華やかなのにどこか静かな色で、俺は少しだけ自分の中に冷静さを取り戻した。


「俺、自分の死因が思い出せないけど、それ以外にも何か記憶が抜け落ちている部分があるんだ。『忘れて思い出せない』っていうよりも、靄がかかってるみたいな。うまく説明できないんだけど」


 その時、ガラッと事務所の引き戸が開かれる音がした。 


「――インガ、あなた腰抜けのくせに意外と頭は回るのね」


 そこには昼間俺をボコボコにした優曇華さんが立っていた。


「サラサちゃん、おかえりなさい」


「レンゲちゃん、ただいま。ところで、インガ」


「は、はい」


 ぐるりと顔を向けられてその鋭い視線に俺はドキリとする。


「逃げんじゃないわよ」


 黒い瞳が俺を探るように見ていた。


「逃げないっすよ。借金生活は嫌っすからね」


「そうじゃないわよ。自分のことから逃げんなって言ってんのよ。自分の死因、ちゃんと考え続けなさいよ」


「……逃げないっすよ。閻魔様も『お前の人生の当事者はお前だろうが』って言ってましたし。俺もやっぱり『無知は罪』って思いますから」


 俺がそう答えると優曇華さんの瞳は少しだけその厳しさを緩めた。


「あなた、腰抜けだけど少しは見所がありそうね」


 優曇華さんはなぜか満足そうに俺を見ていた。


(この人は委員長っていうよりも、番長タイプだったみたいだな)

 

 俺は自分の中のイメージを改めた。


「優曇華さんって面白いっすね」


「その優曇華ってのやめない? 呼び慣れなくてズムズするのよね。インガは十六でしょう。私は十七で死んだから全然歳変わらないし、階級も死んだ時期もそんなに変わらないから」


「じゃあサラサさんって呼ぶっす」


「別にサラサでも良いけど。……じゃあ私は巡回に行ってくるから」


 そう言ってサラサさんは補給食が入ったバッグを持って事務所を出て行った。

 サラサさんは怖い人かと思ったけど、全然優しい人だ。

 自分にも他人にも厳しいみたいな。


「サラサさん、良い人っすね」


「はい。サラサちゃんはとっても優しいですよ。それにとっても強いですよ」


 そう答えるレンゲちゃんは自分が褒められたように嬉しそうに笑っていた。

 俺はその珊瑚色の髪を無意識の内に撫でていた。





          ● ● ●





 訓練が始まってから一週間。


「――――うぎゃー!!! 今度はなんすかアレー!!??」


 俺は情けなくも叫んでいた。


「あれが俺たちの敵だ」


「はい、本日の特別ゲストの【闇黒あんこくさん】です」


 黒い布を被った謎の生命体を三輪さんは紹介するように手で示す。

 俺はもぞもぞ動くそれをじーっと見つめる。


「……いや、それ社長っすよね。今朝そのズボンはいてましたよね。裾から見えてますよね。ふざけてるんですか」


「今日は【闇黒さん】を相手に浄化の手順と武器の使い方や身のこなしを身に付けてもらいます」


「アレ、社長っすよね」


「今日は【闇黒さん】だから、役職とかそんなもの全て忘れて手加減なしでオッケーだよー」


「え、でも斬っていいんすか」


「いいよー。うちの訓練は基本実戦形式だからね」


「いいぞ。好きなだけ『殺れ』」


 六道さんの容赦のない一言に【闇黒さん】の黒布がもぞもぞと動いた。


「え、やめて。痛いよ? ていうか六道君、今『殺れ』って言わなかった!? 僕、何か嫌われることしたっ!?」


 もちろん聴こえてきたのは聞きなれた声だ。


「やっぱ社長じゃないっすか!」


「お願い、せめて刀は鞘にしまったままにして! 生身の刀なんて峰打ちでも痛いに決まってるでしょっ!?」


(というより峰打ちとか難しいことを出来る自信がないです、社長)


 慌てる社長――もとい【闇黒さん】の前に、袴の裾を直しながら近寄ってくるサラサさんが立つ。


「社長相手なら殺りやすいでしょう。インガの技量で殺れるかは分かりませんけど」


「サラサちゃんも! 僕何か嫌われることしたっ!? というか社長じゃないからね!」


「まあこんな感じで社長は弱腰なこと言ってますが、あれでも一級門番だから、たぶん攻撃当てられないと思うよー?」


「待ってよ! インガ君って結構すばしっこいし、僕こんな格好で全然前見えてないし! 結構この布重くて足ももつれて動けないから一歩間違えたら当たっちゃうよ!? 死んじゃうよ!?」


「大丈夫です。私達、死んでも生き返りますから」


 サラサさんは冷静な顔で相変わらず怖いことを言っている。


「……ていうか【闇黒さん】設定はもういいんすか」


 俺は阿鼻叫喚状態の社長の方を指さしながら、隣に立つ三輪さんを見上げた。


「ま、いいんだよ。ただの茶番だから。まずは浄化の手順を説明するよ――」





          ● ● ● 





「はい! 以上で一週間の基礎訓練終了です! インガ君、本当にお疲れ様でした!」


 三輪さんは両手をパンと合わせて、俺の方を見た。


「ありがとうございました!」


「そして、明日からはなんと! 現場研修です!」


 笑顔で怖いことを言われた気がした。


「え」


「明日は地獄の第一層『等活地獄』で地獄ノ新人研修だ」


 六道さんに更に追い打ちをかけられた気がした。


「え……地獄――!?」


 そして俺は初めて地獄に足を踏み入れることになる。

 そして、俺は本物の【地獄】というものを知ることになるのだった。





          ● ● ●





「はじめまして。私はこの門の先にある地獄の第一層『等活地獄』で地獄ノ門番の皆さんの案内人をしている獄卒の『左門(さもん)』と申します。普段は皆さんに好きに動いていただくことが多いですが、本日は新人の黒巌さんの初めての地獄入りということで講師を務めさせていただきます」


「よろしくお願いします!」


 左門さんは黒髪で七三分けの真面目そうな岡っ引き風衣装の中年の男性だった。

 獄卒というから、もっと般若のような人が出てくると思っていたので少し意外だ。


「そんじゃ、左門さんよろしくお願いねー」


 三輪さんは左門さんに親し気に挨拶し、六道さんもその後ろでぺこりと頭を下げている。

 門番と獄卒の関係は良好みたいだ。

 俺は左門さんに一歩近付き、深く頭を下げた。


「左門さん、今日は俺のためにお手数おかけしまっす!」


「いえいえ大丈夫ですよ。今日は皆さん以外にも別の門の方も例の定期清掃に来ていただいていますから、そのついでのようなものです」


「俺たちも今日はその定期清掃をしていきまーす」


「定期清掃っすか」


「ああ。門番にとって大事な仕事だ」


(なんか俺の知ってる『清掃』とは意味が違う気がする)


 インガは段々と此の世の勝手が解ってきていた。





          ● ● ●





 俺たちは古く大きな木造の門のすぐ目の前まで来ていた。


 その門には『地獄ノ入口』と書いてある。

 この向こうはもう【地獄】だ。


「この地獄は魂の最も多い世界です。六つの世界――天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の中でも地獄はとても厳しく辛い世界です。門番の皆さんが浄化してくださっている【闇黒】は、『穢れ』や『不浄』に吸い寄せられやすいと言われています」


「穢れや不浄っすか」


「ええ、人界もその傾向がありますが、地獄は六つの世界の中でも群を抜いて負の感情が溜まりやすく、【闇黒】の出現数が多いです。そして、【闇黒】は魂と穢れや不浄を喰らうと凶暴強靭凶悪化する傾向があります」


 淡々と語る左門さんの話に俺はごくりと唾を呑む。


「魂だけじゃなくて、『穢れ』とか悪いものを食べるとめちゃめちゃ強くなるっていうことっすね……怖……」


「ええ。ですのでこれから皆さんにしていただく定期清掃が必要になります。吹き溜まりとも言うべき穢れが溜まる場所に【闇黒】が吸い寄せられる前に、芽を摘んでいただくのです」


(やっぱり普通の清掃とは違った……)


 左門さんが門に手をかけると、三輪さんはくるりと俺の方を振り向く。


「これから始まる新人研修は一見簡単だけど、とっても大事なお仕事です。浄化の手順は【闇黒】を浄化するときと同じです。この間教えたとおり、基本に忠実にやっていきましょう」


「はいっ!」


「良い返事だ」


「ヘルプが必要なときはベルトについている通称『お助け鈴』を引っ張ってねー」


「気を引き締めて行けよ。お前が思っているよりもたぶんずっとこの門の向こうは【地獄】だ」


 三輪さんと六道さんの言葉に、俺は腰から下がっている鈴と刀を見て、気を引き締める。

 顔を上げると、ところどころ焼け焦げた門が重厚な音を立てて、少しずつ開いていった。


「それじゃあ本日もご安全にー」


 三輪さんの間延びした掛け声を合図に、門を押し開けていた左門さんがこちらを振り返って笑った。


「黒巌インガさん、ようこそ【地獄】へ」





          ● ● ●





 そこは確かに地獄だった。


 モニター越しでは分からなかった腐敗臭や何かが焼ける強烈な匂い。

 鉄臭い匂い。

 これは、血の匂いだ。

 俺はこみ上げる吐き気と涙を必死で堪えた。

 頭も針で刺されたように痛んでいた。


「インガ君、無理しないでね」


「……大丈夫っす。でも十分だけ休憩させてもらえると嬉しいっす」


 俺は大丈夫と言いながら、眩暈でふらつき、膝をついてしまった。

 膝をついた先、何かが割れるような音がしたと思うと、そこには白骨が落ちていた。


「うっ……」


 俺は思わず呻き声を上げてしまった。


「サラサを呼ぶか」

「そうだね」


 頭上で聴こえる三輪さんと六道さんの声もどこか遠きに聴こえていた。


 ――ビシャッ。


 ゆらゆらと揺れてふらつく身体を抱え込むようにしゃがんでいると、ペットボトル一本分位の水が頭上から降ってきた。


「インガ、気持ち悪い?」


 顔を上げると、束ねられた黒く真っ直ぐな髪がインガの顔の近くに垂れていた。


「サラサさん……」


 髪の毛はびしょびしょだが、頭はすっきりしていた。


「これ、お清めの水だからちょっとはすっきりするでしょ」


「はい、ありがとうございます。でも、なんで頭からぶっかけたんすか」


「なんかしたくなったから?」


「とんだサディストっすね」


「五月蠅いわよ。ま、元気になったみたいで良かったわね」


 俺は頭を振りながら立ち上がると、三輪さんと六道さんがどこかから戻ってきたようだった。


「お、元気になったみたいだね。サラサちゃん、結局呼びつけてごめんねー」


「だから俺は最初から清めの水は持っていくと言ったんだ」


「最初から甘やかしたら良くないかなーって。それにサラサちゃんに清めの水準備して待機してもらってたしー」


「そうですよ。甘やかすのは良くないですよ。私だって慣れるまでは大変でしたけど、私たちはここで仕事しなきゃいけないんですから」


「……はい。俺も覚悟してたつもりだったんすけど、甘かったっすね」


 俺はちょっと情けなくて、苦笑いをしながら頭を掻いた。


「黒巌さんももう大丈夫そうですね。それでは先に進みましょうか」


 少し離れたところに立っていた左門さんが、インガたちに声を掛け、再び道を進み始めた。


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