第2話 『三途ノ川の向こう』へようこそ
――俺、黒巌インガは死んでいた。
衝撃の事実だ。
俺は気が付けば死んでいて、もう七日間もあの霧の道を進んで来ていたらしい。
正確に言えば彷徨っていたの間違いかもしれないが。
何でも監視カメラに映像が残っていたとのことだ。
死後の世界に監視カメラがあるのも驚きだが、あの濃い霧でしっかり映るのだから、かなり高感度に違いない。
優しい顔をした明るい茶髪を耳が隠れるくらいまで伸ばした白軍服のお兄さんと、厳めしい顔をして生真面目さを伝える黒髪短髪の黒軍服のお兄さんが俺が置かれている状況を教えてくれた。
俺はあの霧の中の世界――死んで肉体を失った魂が存在する【狭間ノ世界】で迷子になっていたらしい。
ちなみに【狭間ノ世界】は正式名称【中陰】というらしい。
そして俺は今、軍服のお兄さんたちに案内されながら『死出ノ山』を登っていた。
とはいえ俺が気絶して担がれている間にほとんど登り終わってしまったらしいが。
(俺ってつくづく迷惑な奴かもしれない……)
密かに落ち込んでいると白軍服のお兄さんが俺の顔を覗き込みながら悪戯に笑った。
「これから君には死んだ魂の行く先を決めるための裁判を受けてもらいまーす。君たち死者の裁判を担当する彼らは【十王】と言って、とっても、そう――とっても偉い人たちです」
陽気な声で説明してくれるお兄さんは、まるで小さな子供に説明するように人差し指を立てている。
人懐っこさを感じさせる垂れ目の茶眼が楽しそうに光をたたえている。
「裁判っすか……」
裁判などと言われると何だか大事な気がしてきた。
俺の腰が若干引けてしまうと、白いお兄さんが作り出した緩い空気をきつく締める冷静な声が説明に加わった。
「通常は死んだ日から判決が出るまでに四十九日かかる」
「ああっ! 四十九日ってやつっすね! 聞いたことあります!」
「そうだよー。だけどインガ君はどうかなー。もう少し早く終わるかもしれないねー」
なおもにこにこと笑みを絶やさない白いお兄さんが、意味深に告げてくる。
「え、なんでですか」
「それは始まってからのお楽しみだ」
インガが目を丸くすると、今度は黒いお兄さんがニヤリと笑った。
そのせいで、余計に身構えることになった。
「まあ、お前は既に一回目の裁判に遅刻しているから、どうなるか分からないけどな」
「え、遅刻? どういうことですか!?」
何だかすごく大事そうな裁判に俺は実は遅刻しているらしい。
「本来であれば一回目の裁判は死んだ日から七日目、死後六日で受ける。だがデータベース上、お前は今日で死後七日目だ。つまり、丸一日遅刻していることになるな」
(最近の死後の世界はデータベースとかもあるんだな)
(いやいや、そんな呑気なことを考えてる場合じゃないんじゃないか!?)
死後の裁判を受けるのであれば、本来は一日前に目的地に着いていなければならないらしい。
(完全なる遅刻じゃんか……)
俺はがっくりと肩を落とす。
「まあ迷子だったんだし誰も責めないよー。ってあれ、聞いてないかなー……」
(俺ってのんびり村の呑気野郎だったのか……)
そんなに時間にルーズな方ではなかったと思っていたが、俺は自分が死んだことにも気が付かないような愚鈍な人間だったんだ。
しかも迷子になった挙げ句に、あの【闇黒】とかいう黒い化け物に襲われて人様のお手を煩わせる迷惑野郎だったんだ。
(どうせ俺の死に様なんて、ぼーっとしててどっかから落ちたとか、それよりももっとお間抜けな死に様だったんだ。そうに違いない)
そんな俺を助けてくれた上にここまで連れて来てくれた二人には感謝しかない。
俺は自分の不甲斐なさに恥じ入る。
そして大事なことに気が付いた。
「――そういえば、まだお二人の名前を聞いてなかったっす。聞いても大丈夫っすか」
俺が聞くと白いお兄さんが目を丸くする。
しかし、すぐに満面の笑みを見せてくれた。
「もちろんだよー。俺は三輪リンネだよ」
「俺は六道ヤクシだ」
表情は怒ったような無表情から変わらないが、黒いお兄さんも名前を名乗ってくれた。
「三輪さんに、六道さんっすね」
俺は噛み締めるように二人の名前を呼び、その顔をしっかり覚えようと交互に目を合わせた。
しかし、三輪さんがふいと顔を斜め後方に逸らした。
「――折角自己紹介をし合ったところだけど、目的地に着いたみたいだよ」
俺も三輪さんが見上げた方を見上げると、そこには『死出ノ山・山頂』と彫られている巨大な石柱が地面に突き刺さっていた。
「やっと山頂っすか……ちょっとしか歩いてないはずなのに、結構疲れますね……」
「……お前は【闇黒】に少し喰われたからな」
(喰われた!? 今聞き捨てならないことを言われた気がする……!)
「えっ!? どこをっすか!?」
俺は自分の身体のあちこちに慌てて視線を配り、触れる。
どこか欠損している箇所が無いかを。
「心配するな。ただの『気』だし、目に視えるものでもないから、そのうち体力も元に戻るだろう」
「えー。なんか怖いっすね」
俺は見えないと言われているのに、まだ自分の身体のどこかが欠けていないかを触れながら確認してしまう。
「まあ何かあったら裁判官とかそこの庁舎の人とかに相談すると良いよ。彼らはちょっとだけ、厳つく見えるけど、結構気のいい奴らだからさー」
「はあ……」
(これから俺はどうやら厳つい人たちに囲まれる予定らしい)
「見ろ。ここが『秦広王』様の居られる裁判所だ」
そう言った六道さんと三輪さんが見つめる先には、瓦屋根の歴史深そうな建物が重々しく建っていた。
その大きな建物を見上げると、屋根の下に『第一裁判所 秦広王』と彫られた見た目も大きさも立派な額が掛けられている。
高く見上げている俺の背中に白と黒の声が掛けられた。
「それじゃあ、ここまで来ればもう大丈夫だね。それでは良い裁判をー」
「気を付けて行け。もう迷子になるなよ」
三輪さんは小さく手を振りながら、六道さんは半分こちらに背を向けながら別れの挨拶をしてくれる。
俺はそんな二人に感謝の気持ちが伝わるように深く深く頭を下げた。
「本当にありがとうございました!!!」
一度頭を上げたあと、俺は叫んだ。
「もう会うこともないかも知れないっすけど、命の恩人のお二人のこと、俺、絶対忘れないっす!!!」
俺はもう一度頭を大きく下げる。
(……あれ、死んでるから命の恩人っていうのも変なのか)
鼻を啜りながら頭を下げていると、僅かに聞き取れるくらいの大きさの三輪さんの優しい声が聞こえた。
「――また近いうちに会えるかもね」
「え、何すか?」
その呟きに俺は聞き返すが、三輪さんはただ笑って手を振るだけだった。
そして二人はこちらに完全に背を向けて来た道を戻って行ってしまった。
俺は『命の恩人』の二人にもう一度頭を下げて、『順路』と書かれた木札に沿って奥に進んでいった。
● ● ●
『死出ノ山』を登り切った先にある裁判所で、秦広王様というお爺さんによって行われた裁判は、遅刻で身構えていた割には特になんの滞りもなく終えた。
その後は「六文銭がねえ奴は舟に乗せられねえよ」とやたらといかつい船頭さんに言われて『三途ノ川』を泳いで渡ったり。
奪衣婆という超怖いお婆さんに「あらやだ、あんた可愛いわねえ」と頬を染められながら服を剥ぎ取られ、「助けてえー!」と泣き叫んだり。
そんな色々があったが、まあそれ以外は比較的順調な旅路だったと思う。
そして俺は七日毎に裁判を受け、先程辿り着いたのが五つ目の裁判所だ。
もうすっかり裁判に慣れつつあった俺もそうそう驚くことはあるまい。
(若者の順応力の高さを舐めないで欲しい)
そう思っていた。
その裁判所はこれまで行ったどの裁判所よりもやたらと絢爛豪華で、やたらと赤を主張していて、やたらと派手好きなお殿様でも住んでいそうな城のような建物だった。
そこの主は【十王】の五番目の王にして裁判官の『閻魔大王』。
閻魔大王様が地獄の王様だというのは知識としては知っていたが。
それがまさか実在していて、しかもこんな人だとは。
そう。俺の目の前には今、『閻魔大王様』が居る。
赤い革ジャンを羽織り、赤いレンズのサングラスをした、こんがり小麦肌で格闘家のようにやたらと筋肉ムキムキな。
閻魔大王様は、西洋の王様が座るような赤いベルベットが張られた豪華な椅子にどかりと腰掛け、こちらを可笑しそうに見下ろしていた。
閻魔大王様のことは「嘘をついたら舌を抜かれる」とかインガも小さな頃に聞かされたし、小説とか漫画とかでも良く出てくるし、流石に知っている。
そんな凄い人な筈なので、もっと伝統と格式を重んじる的な古臭い感じの人かと思いきや、まさかの『イケイケ』だ。
鍛え抜かれた身体は純粋に凄いと思うし、顔もサングラスをしていても分かるくら彫りが深そうだし、イケオジでもあると思う。
ただ、若干古い。
赤い革ジャンもそうだが、どこぞのロックンローラーか、というような赤いサングラスを選ぶそのセンスも地味に古い。
(イメージと違いすぎる。なんで平成初期のバンドマン風なんだよ!)
閻魔大王様の両脇で室内にもかかわらずサングラスをしている黒服の二人が立っていているのも気になる。
だが、その背後に控えている五人がもっと気になった。
柄シャツに半ズボンを着て金棒を担いでいるチンピラ風マッチョマン。
その柄シャツの色は赤・青・黒・緑・白――
(――ってゴレンジャーかっ!)
そんな俺の内心はさておき。
裁判は粛々と進んでいった。
閻魔大王様の側近と思われる黒服の二人が、俺がこれまで受けてきた裁判の結果を読み上げていく。
それが終わると、側近二人が閻魔様に頭を下げた。
「――黒巌インガ。これから閻魔様がお前に判決を下す」
「それでは閻魔様、宜しくお願い致します」
すると閻魔様は「うむ」という感じで頷いた。
そして大きく息を吸い――。
「――自分が死んだ記憶もないイケメンは死ね! 地獄に堕ちろ!」
閻魔大王はシャウトするように俺にそう告げた。
● ● ●
【十王】は変わった人たちが多いらしい。
この部屋にくるまでに案内してくれた獄卒さんにそう聞いた。
しかし、それにしても俺の理解はいまいち及ばなかった。
「……イケメン?」
俺は首を傾げる。
「――お前みたいなイケメンは、地獄で永遠の奉仕活動って決まってんだよ!」
俺は自分の理解が何も及んでいないことを自覚していた。
「すみません! 意味が分かりません!」
とりあえず素直に謝る。
「お前に用意された道は二つだ! 地獄の門を守る『株式会社 奈落』に就職して【門番】になるか、地獄で刑罰を受けるかのどっちかだ! 今すぐどっちか選べ!」
口調は荒いがこの閻魔大王様、結構こっちの話を聞いてくれている。
ちゃんと「分からない」と言った俺に言葉数を増やして対応してくれた。
きちんとこちらの話を聞いてくれる大人は、ちゃんとしている大人だと俺は知っている。
「すみません! やっぱり意味わかんねえです!」
なので、ちゃんとしている大人である閻魔大王様に俺は甘えてみる。
「え? まだ分かんねーか。『魂を守るために働く』か、『地獄の苦しみを永遠とも呼べる長い時間味わい続けるか』のどっちかを今選べってことだよ! この俺様直々のスカウトだ! 光栄に思え!」
(『守る』か……)
「……成る程っ! なんとなく分かったかもしれないっす!」
閻魔様は俺の言葉に喜んだ様子だ。
そうかそうかと頷いている。
そしてまるでラッパーの決めポーズのように、手を突き出してきた。
「そんじゃ坊主。『選択』、夜露死苦!」
閻魔大王様は革ジャンの背中に刺繍された『四露死苦』という文字まで見せつけてくる。
盛り上がっているところ申し訳ないが、俺はイエス・オア・ノーの答えを口にせず、疑問を口にした。
「すみません閻魔様! ちょっと質問良いっすか! 『奉仕活動』って無賃労働っすか。住宅補助は出ますか。食事の時間は与えられますか。そもそもこの世界に食べ物ってありますかっ!?」
俺はこの時点で結構元気を取り戻してきていた。
そして無礼な俺に、閻魔様は丁寧に答えてくれた。
「無賃な訳ねえよ。労働に対する報酬はきっちり支払われるさ、プライバシーに配慮した寮もある。それと二十四時間営業の社員食堂もあるし、快適湯温の源泉かけ流し『地獄の湯』も入り放題の福利厚生の充実さだっ!!!」
俺は閻魔大王様の言葉に驚愕する。
「――なんだよ! 天国じゃん! 雇ってください!」
俺の言葉に閻魔大王様は唾を飛ばす。
「地獄っつってんだろが! まあ正確には【中陰】なんだが……」
「いやいや。天国じゃないっすか! あ、あと『夜露死苦』ってもうとっくに死語っす」
「え、本気か?」
「本気っす」
俺の返答を聞いた閻魔大王様は後ろに控えているゴレンジャーを振り返る。
しかしその全員が全員、そっぽを向いた。
● ● ●
黒巌インガは疲れ切った現代人の両親を持つ、ごく普通の高校生だった。
そしてインガ自身もそれなりに疲れた現代人だったと思う。
その人生の最期が思い出せないから断言は出来ないが――
「なんだよー。死んでからの方がハッピーかもじゃん!」
その時言った言葉は、そう遠くない未来に訂正されることになることは俺はまだ知らない。
まさか死んでからの方が生命の危機に晒される日々を送るとは、この時には思いもしなかったのだ。
求人票からもう既にアウトな就職先はもちろん駄目だが、目先の求人票の条件に騙されてはならぬのだ。
福利厚生だけじゃなくて、ちゃんと業務内容や手当等の給与の詳細、就労条件、そして職場環境についてもきちんと聞いておかなくてはいけないのだ。
死んでからだって、世の中そんなに甘くないのだ。