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第1話 『狭間ノ世界』へようこそ


「ここは一体、なんなんだよっ!?」


 自棄になって叫んだ言葉が、先の見えない空間に木霊する。

 周りには誰もおらず、この良く分からない場所で俺はたった一人きりだ。

 それでも不安と恐怖を搔き消したくて、俺は叫んでいた。


 気が付いた時にはもうこの場所にいた。

 分かったことはここは俺がいるべき場所ではないということ。

 そして俺の前に突然現れたあの黒い『影』のような存在から、逃げなければならないということだ。


(あれは明らかに良くないモノだ)


 細胞の全てがそれを俺に伝えていた。


 霧よりも水よりも重い黒。

 鉄や鉛よりも無機質の黒。

 黒よりも夜よりも黒い暗黒。


 初めはかろうじて存在を認識できる距離にいた『影』はもうすぐそばまで迫っていた。

 だから俺は走って。走って。走って。

 逃げていた。


 ――ビチャリ。


 当て所もない逃亡に疲れ果てたとき、泥を撒いたような不気味な音が足元で鳴った。


「――――っ!」


 その直後、何か冷たいものが俺の足を掠めた気がした。

 その感触に驚いた足がもつれ、俺は勢い良く地面に倒れ込む。

 すると先程まで走っていた床が突如消え失せ、足場を失った俺は霧の中を真っ逆さまに落ちていった。


(死ぬ――――!)


 一瞬、本気でそう思った。

 落下している時間は永遠にも一瞬にも思えた。

 落ちていく時間の終わりには、俺は痛みとともに地面に勢い良く叩きつけられた。


(――――なんなんだよっ!)


 あまりの痛みに声は出ないが、悪態だけは出てくることが不思議だった。

 俺は痛みと恐怖でいっそ怒りが湧いてくる。

 しかし、悠長に痛がっている暇も怒っている暇も与えられなかった。

 なぜなら俺を更に追い詰めるようにあの黒い『影』が俺を目掛けて落ちてきたからだ。


 ――べシャリ。


 鈍い水音のようなものが再び鳴る。

 そして。


()()()()()ウ――――!】


 口どころか顔も何もない()()は、唐突に叫び出した。


「ひッ……!」


 アレは一体どこからその不気味な声を発しているのだろうか。

 俺は地面に這いつくばりながら、完全に混乱していた。

 浅くて速い呼吸が肺を締め付けて苦しい。

 嫌悪感しか生まない冷たい汗が全身から吹き出して伝う。

 その汗のせいで、背後に迫った化け物から逃れようと地面に押し付けていた手から更に体温が逃げていくようだった。


()イタイ()イタイ()イタイ()イタイ()イタイ――――!】


 不気味な声はますます叫びを大きくする。 

 そしてついに。


 ――グシャッ。


 ソレはまるで掴むように黒い体の一部で俺の左脚を覆っていた。


「うッ……!」


 恐怖による寒気と吐き気が襲ってくる。

 氷のように冷たいのに、ドロリと重い()()は、俺の身体をまるで侵食していくようだった。


「――ッ! うわああああああー!!!」


 俺は叫びながら恐怖でぎゅっと目を閉じた。

 その時だった。


 ――――キィーン。


 音叉を鳴らしたような甲高い音が霧に覆われている世界に鋭く響いた。

 その音の僅かに遅れ、固く閉じた瞼の向こうに『光』が見えた。

 そしてそれとは対照的な黒い声が鈍く響く。


【喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰ワセロ――!】


 内臓を震わせるような不気味な声に俺は必死に両手で耳を塞ぐ。 

 次の瞬間、地面から空に向かうように一陣の風が吹いた。

 まるで穢れを祓う清涼な風のように。


「――駄目だよ。喰ったら」


 それはまるで幼子に言い聞かせるような優しい男の声だった。

 しかし、あの黒い影には言葉など通じないのだろう。

 ソレはなおも叫び声が反響するように響いていく。


【喰イタイ喰イタイ喰イタイ――! 喰ワセロ喰ワセロ喰ワセロ――――!】


 俺は嫌がる身体を騙し、僅かに瞼を開けた。

 もやがかかったような薄い視界の向こうには、白い服と黒い服の二つの人影が立っていた。

 まるで目の前の暗く恐ろしい存在から俺を庇うように。 


「――消えろ」


 先程の優しい声とは別の怜悧な男の声が言い放った。

 その声の主である黒い服を着た男が腕を高く掲げた手には、黒い棒のようなものが握られていた。


(あれは、刀か?)


 目を凝らしていると瞬きの間にそれは振り下ろされ、鋭く空を切る音がした。


 ――グシャッ。


 斬られたモノは重い泥を蹴ったような鈍い音を出す。

 そして叫んだ。


【イタイイタイイタイイタイイタイ――――!】


【イタイ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ居タイ居たい居タイイタイ――――!!】


 鼓膜を突き刺すような、悲痛とも呼べる叫び声が俺の耳を焼く。

 まるで赤ん坊が泣き叫ぶような声だった。


 その鳴き声が止んだ後、黒い『影』に無数の小さな穴が開いていった。

 いや、それは黒の中に現れた無数の小さな光だった。

 光は徐々に広がっていき、影を内側から焼き尽くすような白い光が幾筋も放たれた。

 四方八方に放たれる光線は次第に『影』全体を覆い、太陽のように眩しく大きな光となった。


(なんて音と光の量だよ!)


 俺は五感を焼き尽くすようなその音と光に、瞼を固く押し付けるように再び目を瞑った。

 恐怖に脳と肌がひりつく。 

 その感覚と感触に一瞬何かが記憶を掠めた気がした。

 しかし、強すぎる刺激が耳も目も肌も焼いて。

 それ以上深く考えることができなかった。


 必死で目を閉じ耳を覆っていると、やがて激しい叫び声もおびただしい光も波が引くように静まっていき、次第に耳鳴りと瞼を白く染められているような感覚も消えていった。


「――【浄化】完了だよ」


 その声を聞いた後、再び五感が鈍っていく感覚がした。


「あれ……、俺……?」


 俺は気が付けば意識を失っていた。





          ● ● ●





「君……ねえ、君」


 靄がかかった意識の向こうで誰かが俺に話しかけている気がした。


「そろそろ起きないと着いちゃうんだけどなー。困ったなー」


 それは本当は困っていないのに、「困った」と言っているようなトーンだった。

 俺は覚醒に向かいながら考える。


(着いちゃうって、一体どこに。あれ、これって俺に話しかけてるのか。そしてこの腹への妙な圧迫感は何なんだ)


 頭に少し血が昇っている感じもするし、手足もなんだかぶらぶら揺れている。

 感覚を取り戻していく最中も、聞こえてくる会話は進行していく。


「門の前に捨てていけば、後は連中がなんとか処理してくれるんじゃないか」


「やっくんは真面目なくせに、そういうところは雑だよねー。でもそれもそうかもー。可哀想だけど、あそこに捨てていくかなー」


「――えっ!?」


 俺は『処理』というあまり平穏とは呼べない言葉に俺は一気に覚醒し、目を開けた。


「やっと起きたか」


「え、ええっと……」


 俺はとりあえず自分の状況を確認する。

 目の前でぶら下がっている自分の腕と同じように、両足も宙に浮いた状態だった。

 視線の先には黒い服を着た男の背中があり、下を見れば土で出来た道路に影が落ちている。

 俺はどうやら担がれているらしい。


「……こ、こんちわっす」


 そして、俺はとりあえず挨拶してみることにした。


「おはよう」

「おはよー。立てる?」


 半音ずつずれながら目覚めの挨拶をする二人の男の声に、俺は戸惑いながらも引きつった笑顔で答える。

「あ、はい。大丈夫っす」


 返事をすると、俺は状況が良く分からないまま、地面に降ろされた。

 そしてやっと周囲の状況把握に意識が回った。 


(ここは一体どこなんだろう)


 周囲を見渡すと周りには山々が見えた。

 しかし、それは俺が知っている風景ではなかった。

 こんな険しい山の景色を俺は知らない。 

 こんな霧に包まれた景色を俺は知らない。

 こんなまるで秘境のような景色を俺は知らない。


 俺の目の前には気を失う前に俺の前に現れた二人組の男たちがいた。

 それぞれに白と黒の軍服のような服を着ていて、まるでオセロの表と裏のような二人組だった。


 一人は二十歳そこそこの色白で細身の優男。

 語尾が伸びた優しさと適当さを併せ持ったような声の主だ。


 もう一人はおそらく二十代後半くらいで、浅黒い肌に長身の厳格そうな男だった。

 この黒い方が俺を担いでいた人物だった。 


 俺がキョロキョロしていると黒い軍服の男が俺に尋ねてきた。


「お前、どうやって()()()()に入った」


 黒黒とした野生の動物のような瞳と目が合った。


()()()()って、なんだ)


「だめだよ、やっくん。そんな風に聞いたら彼が怖がっちゃうじゃないか」


 事実、俺はすでに怖がっていたし、混乱もしていた。

 なんで意味の分からない黒いナニカに襲われて、しかもこの時代に刀を担いで軍服コスプレしてる意味わからない人たちに話しかけられているんだろうか。


(これは夢か?)


 考えても答えが出なそうなので、一人で悩むよりもまずは聞いてみようと思った。


「ここどこっすか!? あのわけ分かんない黒いのはなんなんすか!? あの場所ってどこのことっすか!?」


「お前、もしかして……」


「な、なんすか」


 黒い服を着た男が俺に一歩近付き、顔を寄せてくる。

 まるで嘘偽りを言っていないか確かめるように。

 俺は自然と男の腰に下げられた刀を見てしまう。

 今は鞘にしまわれているものの、見たことのない本物の刀を目の前にして、俺の身体は寒さに耐えるようにぶるりと震えた。


「だからー。そんなふうに圧をかけたら怖がっちゃうでしょー。混乱してるみたいだしー。ねえ?」


 白い服の男がこちらを見てにっこりと笑う。


「あ、あの……」


「うんうん、やっくんって本当に怖いよねー。だからさ。ここは俺に任せてよー。いいよね、やっくん? ほら、僕って君の上司なわけだしー」


「……勝手にしろ」


 自分は上司だと言って胸を張る男とそんな男に淡々と吐き捨てる年上の男。

 この二人の関係性は良く分からなかった。

 白い服の男は俺の前でしゃがみ、まるで小さな子供にするように問いかけてきた。


「ねえ、さっき君は襲われていたよね。何で君はあんなところにいたの? もしかして、迷子かなあ?」


 俺は記憶を辿る。

 しかし、それはどこか不鮮明だった。

 俺はあの良く分からない存在に遭遇するまでの記憶が抜け落ちてしまっているようだった。

 何かショックでも与えられたのだろうか。


「……分からないです。気が付いた時にはもうここに居て」


 優しい声に俺は自分の記憶を振り絞りながらなんとか答える。


「君、名前はなんて言うの?」


 その簡単な問い掛けに、俺は頭が一瞬真っ白になる。


「俺……の名前……?」


 糸を手繰るように俺は思い出す。


「――俺の名前は……インガです」


 それは次第に鮮明になって。


「……黒巌くろいわインガです」


 俺が答えると、白い服の男はにこりと微笑んだ。


「答えてくれてありがと、インガ君」


 男は更に笑みを深めた。


「――それで、インガ君はどうやって『死んだ』のかな?」


 俺は、その言葉もう一度反芻した。


「――――『死んだ』?」


「そう。君はどうやって死んだの?」


 俺の頭は一瞬真っ白に染まる。

 足元はふらつくか、先程すでに衝撃的な経験をしたせいか、意識ははっきりしていた。

 目の前の男たちはインガを置いてけぼりにして、顔を見合わせていた。


「おい、三輪みつわこいつ」


「そうだね、やっくん。インガくんは【有耶無耶ウヤムヤ】だね」


 黒い服の男の問いかけに白い服の男が頷く。


「……かつての僕たちと同じだよ」


 意味ありげな視線を向けてくる二人に、状況が把握できないインガは少しイラつく。


「――なんなんすか、『うやむや』? 死んだとか言ったり、さっきから何を言って……」


「君、ここに来るのになんの説明を受けていないでしょ?」


「説明? なんすか、それ……それを説明してください」


「黒巌インガ君。君は既に死んでいるんだよ」

「黒巌インガ。お前は既に死んでいるんだ」


 そんなどこかで聞いたことがあるような台詞で、俺は『お前は死んでいる宣告』をされた。

 そして俺は閃いた。


(ははーん。これは夢だな)


「……そっかあ、夢かあ。それなら納得だ。つか俺、いつ寝たんだっけ。今日って何日だろ。ていうか俺、何してたんだっけ……?」


 夢と確信し、独り言を言う俺を目の前の男たちが可哀想なものを見る目で見てきた。


(でも大丈夫だ。なぜならこれは夢だからだ)


 男たちは相変わらず俺を憐みの視線で見つめていた。

 

「……やっぱりそうなんだね」


「そうだな。まあまず確定だな」


「まあ、とにもかくにも。君を正しい道へ案内しないとねー」


 白い服の男と黒い服の男は、それぞれ俺の肩に手を乗せた。

 左右に黒と白の軍服に挟まれた俺は、自身のジーパンにTシャツという格好がひどく心もとなく思えた。


「――黒巌インガ。これは夢じゃない。お前は本当に死んでいるんだ。お前が今いるのは死後の世界。輪廻転生で巡る六つの世界の【狭間ノ世界】だ」 


「君は確かに死んでいるんだよ」


「俺たちはお前のように死因が思い出せない魂を【有耶無耶】と呼んでいる。そして俺たちも【()有耶無耶】だ」


「【有耶無耶】な魂は輪廻転生の枠から少し外れた存在なんだ。だからこれから俺たちが君を正しい道に案内してあげるね」


「悪いようにはしない。ちゃんと責任持って送り届けてやるから、ついてこい」


 そんな一度に情報過多の宗教勧誘のような話を聞いて、俺は彼らについて行った。

 その瞬間にもう俺は、地獄に囚われていたのかもしれない。

 後になってそう思った。


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