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第9話 あいと原田

 差し込んでくる日光に目を覚まされると、私は上体を起こしてえづいた。

 久しぶりだった。あの眺めるような感覚はいつのまにか消えていた。

 左手を動かせば、自分の思い通りに体が動いてくれる。そんな当たり前の感覚に安堵する。

 まだ眠気がある。……なんて寝覚めが悪い。

 あまりに気にしすぎたのか、もと花が誰かと付き合う夢まで見てしまった気がする。

 もちろんもと花がそのつもりなら、最大限尊重はしたい。

 尊重したいけれど、でもそれは私にとって……。

 かぶりを振った。

 そんなこと考えているべきじゃない。はやく学校に行かなきゃ。

 時計を見れば、もう弁当を作っている暇はないほど時間が押してしまっていた。

 急いで身支度と朝食を済ませて、私は学校へと向かった。


 慌てて席に着いたところで、ちょうどチャイムが鳴った。

 よかった、なんとか遅刻せずに間に合った。

 カバンを脇に置いてテキストを引き出しに突っ込みながら横目でもと花の様子を窺うと、

 自席で俯いているもと花が視界に入った。

 まだ自分の中の気持ちに耳を傾けているのかもしれない。

 声をかける時間もなく、ホームルームが始まった。


 1限目が終わるともと花の席へ歩み寄った。

「もと花、大丈夫?」

 呼びかけると目の下にうっすらと隈ができていた。

「うん。大丈夫だよ。……でも、ちょっと考えをまとめたいから」

「そっか、分かった。それならそっとしておくね」

 あまり眠れなかったのだろう、私が離れるともと花はちょっとしんどそうに机に腕を伸ばしてそのまま突っ伏してしまった。

 顔を伏せていても、もと花のことだからきっとどう伝えるべきか今も考えているのだと思う。

 そんな姿を私は愛おしいと思った。

 休憩時間もあまりないし、私は席へと戻ろうとして、後ろから右手が握られた。

「大丈夫って、言って」

 もと花が顔だけを横にして私を見上げながら、こちらに右手を伸ばしている。

「ん」

 私はその場に屈むと両手でその手を包み込んだ。

「大丈夫だよ。自信を持って」

 正面からもと花に向き合って固く握り返すと、薄く彼女は微笑んだ。

 立ち上がり手を離すと、今度こそ私は自分の席に戻った。


 昼休みになって一人であてもなく校舎を歩いていると、廊下の突き当りにある非常階段のほうで原田の寂し気な後ろ姿がちらりと見えた。

 飛び降りとか、な訳ないよね。

 事件翌日の2年1組ではあの話題はタブーとされて、昨日の話は嘘のように誰もしなかった。それもそのはず武藤くんが学校に来なかったからで、さすがにあの3人もだんまりしていた。

 もっとも、汐崎晴だけは何の罪悪感も感じていなさそうに外の景色を眺めていたけれど。

 そんなことはどうでもいい。今は原田くんを追わないと。

 足早に突き当りまで進んで網ガラスの扉を押し開けた。下へと続く回り階段の手前に隠れるようにして原田はしゃがんでいた。

「あれ、織櫛さん?」

 原田は見るからに不安げな顔を浮かべている。私たちはほとんど接点がない。しかも異性だ。こちらの考えを向こうからは窺い知れない以上、警戒されるのは当然だった。

 私は他に近くに人がいないのを確認して冷静に扉を閉めると、原田に向き直った。

「ごめん。後ろ姿が見えて、なんだか嫌な予感がしたから。そこから飛んじゃダメよ」

 私は簡単に下へ飛び越えられそうな壁を指差して言った。

「飛ばないよ」

 原田は呆れ交じりに言って、か細くもう一度「……飛ばないよ」と言った。

「私も間違ってないと思うから」

「えっ?」

 原田は意外そうに伏せていた顔をこちらに向けた。

「あんたが告白したこと。別に悪いことをしたわけでもあるまいし。もう少し自信を持ちなさいよ。癪でしょ? あんな馬鹿どもに言われること」

「それは、わかっているけどさ……」

 原田は聞き取りづらいか細い声で言う。

「堂々としてなさいよ。何を言われても堂々としてさえいれば、いつかきっとうまくいくから」

「そうは言ってもさ、このまま武藤は学校に来ないかも。俺のせいで……」

 原田はまた顔を伏せる。

「……きっといつか戻って来るわよ。それに向こうはあんたを嫌ってるわけじゃないんでしょ? 多少こじれたとしても自分を貫きなさいよ、あんたも武藤も。他人の視線なんか気にする必要は全くない。自分を救えるのは結局自分だけなんだから」

 原田は聞いているのかいないのか、ぼーっと目の前の壁を見つめている。

「お互い好き合っているんでしょ? ならそれでいいじゃない。自分の気持ちに嘘をつく必要なんて全くない。少なくとも私は、あんたたちを応援してる。そういう人がクラスメイトにも一人はいるんだってことを、理解しておいて」

 そう言うと、原田は漸く警戒の色が落ちた顔でこちらに振り向いた。

 私はなんだか気恥ずかしくなって、一瞬原田から目を反らした。

 自分の柄じゃない。もう少し優しく言ってあげたかったけれど、私は男が嫌いだ。男相手だとどうにもつっけんどんな物言いになってしまう。分かっていても、どうしようもなかった。

「織櫛さんて意外と饒舌なんだね」

「何が」

 少しだけ彼の声が明るさを帯びた。

「いや、いつも近寄りがたいって言うか、堂々としてるから。美人だけど何考えてるのか分からないし、桜庭さん以外と話してるのを見たことがないし。僕ら男子にとっては孤高の人だから」

「……一人が好きなだけよ」

 今の私の顔には、照れと自嘲が浮かんでいることだろう。

 原田は目元を拭うと、少しだけ明るい顔をして立ち上がった。

「ありがとう織櫛さん。俺、武藤にまた話しかけてみるよ」

 そう言うと原田は私の前を通って、ガラス扉から再び廊下の中へ戻っていった。

 私は嘆息しながら、

「全く。私は何をやっているんだか」

 まんざらでもない。

 綺麗に整った爪を顔の前に掲げながら、私は少しだけいい気分になった。



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