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第15話 あいを追いかけて➀

「望くん! おはよう」

 駅の改札口に着くと、先に待っていた望くんに気づいてわたしは声をかける。向こうがこち

 らを振り向くと、右頬に貼られた湿布にわたしはギョッとなった。

「どうしたの⁉ それ」

「あぁ〜、これね。階段踏み外しちゃって。やっぱスマホいじりながら歩いちゃダメだね」

 望くんは恥ずかしそうに頭を掻きながら苦笑いをした。

「大丈夫なの?」

「大丈夫大丈夫。見た目ほどはひどくないよ。ホラ」

 湿布を少し剥がすと、そこだけちょっと紫色になっている。

 よく見れば顔のあちこちに擦ったように小さい赤い痣があった。

「それよりさ、行こ行こ。電車来るよ」

 先に改札の中へ入る望くんについていくと、タイミング良くホームに電車が入ってくる。

 車内に乗り込むと、運良く空いていた座席の左端にわたしが、その隣に望くんが座った。

 ほどなくして扉が閉まり、緩やかに電車は動き出す。

「片道2時間くらいなんだっけ」

 望くんは背負っていたリュックを膝の前に置くと、腕時計を見ながら尋ねた。

「そう。今が8時30分くらいで、向こうにつく頃には11時くらい。帰りのバスは16時には出ちゃうから、むこうには少しの時間しかいられない」

 わたしも膝にリュックを置いてポケットから財布を取り出すと、持っていたお金を数えた。

 なけなしの小遣いは約2万。正月に親戚からもらった小遣いも全部足しての金額だ。

 これから向かう場所にあの二人がいるとは限らない。

 それでも行かなければ……今日会えなかったらきっともう、元の関係には戻れなくなる。そんな予感があった。

「お金数えてるの?」

「うん、どこまでできるか分からないから。望くんも、いきなりわたしに声をかけられてびっくりしたよね。もし向こうに二人がいなかったら……その時はごめん」

「そんなこと考えてないよ。いなかったらいなかったで僕ら二人で楽しめばいいさ。なんならその時は安いホテルでも探して、パーッと泊まったりしてさ」

 望くんはわたしを気遣ってか明るく振舞ってくれる。

「そうだね。……外が雨なのが残念だけど」

 正面の窓を見れば、ついていた玉粒のような無数の水滴が、繋がって蛇のように横へ流れて消えていく。

「明日は晴れらしいし向こうは山だから、案外天気もすぐ変わって良くなるかもよ」

「そうだといいな」

 わたしは財布をしまうと、今度はリュックから一枚のパンフレットを取り出した。

『東北温泉街』と書かれた薄い冊子を開くと、その中にある『しろかね温泉』というページを眺めた。これから向かう先のことを少しでも知っておきたい。

 しろがね温泉は15、6世紀にかけて開かれた銀鉱山で、銀の採掘地としてはかつて三大銀山の一つと称されることもあったが、近隣が山に囲まれているため搬出は大変だったそうで、坑道に水が増えて産出量が減ったところに、地震がトドメとなって閉山された。

 採掘中に温泉が湧いていることが判明し、今では専ら温泉街と坑道跡が中心の観光地となっている、そんな場所だった。

 わたしたちは住んでいた街を電車で北に行って、途中でバスに乗り換えてから東のそこへと向かう、そういう予定だ。

 事前にどんな場所か調べてはいたけれど、細かいところまで調べきれているわけではない。

 移動時間の間に、二人がいる可能性のある場所に目星をつけられたらそれでいい。

 わたしは冊子を眺めながら、あいちゃんとの会話を思い出す。

 あの時、なんでここに行きたいって行ってたんだっけ。

 しろがね温泉で有名な場所はたくさんある。

 例えば温泉街。大正ロマンの街並みは雑誌にも特集されて、ドラマのロケ地にもなった。そして銀山。雪が降り積もる関係で入ることができなかった坑道が、夏には入ることができる。

 でも大切なのは、あいちゃんがなぜここに行きたいと言っていたかだった。

「そういえばもと花ちゃんはどうして、織櫛さんがそこにいるって思ったの?」

「2年生になってすぐぐらいかな。あいちゃんがわたしに旅行のパンフレットを見せてくれたことがあって。その場所がたしかこのしろがね温泉だったと思うんだ」

――この場所にくれば、貴方も生まれ変わりができるかも、だって。夏休みにでもいっしょに行けたらいいね。

 あいちゃんはそんなことを言っていた。

 あの時はただ、スピリチュアルな場所になんとなく惹かれるっていう乙女心だとしか思っていなかった。

 でもあいちゃんはその頃から、それよりもずっと前から生まれ変わりたかったんだ。

「生まれ変われる場所があるってあいちゃんは言ってたんだけど……」

 どのページをめくっても、生まれ変われる場所なんていう記述はどこにもない。

 わたしはため息をついて冊子を閉じた。

「それに載ってないだけだよ。向こうに行けばきっと誰か知ってるさ。駅にも観光案内所にだってパンフレットはあるわけだし」

 そう話しながら、望くんはスマホで調べてくれているようだった。

「それよりも、向こうに着いたらたぶんずっと動き回ることになる。だから今は休み休み行こう。もと花ちゃん目が真っ赤だよ」

「……そうだね」

 全然眠っていないのはバレバレだった。

 わたしはリュックを開けて目薬を出した。瞳の上に点すと、鈍い感覚が少しだけスッキリしてくる。

「駅についたら起こすよ」

「ごめん、ちょっと眠るね」

 途中駅まで40分くらいはあるのを確認して、わたしは目を閉じる。急速に意識が遠のいていった。

「……良かった。昔のイケイケドンドンなもと花ちゃんに戻ったみたいで。それが本当の君なんだと僕も思うよ」

 望くんが何か言っていたのを、わたしは聞き取れなかった。


「もと花ちゃん着いたよ」

 体を揺すられて、目を開く。ちょうど電車が止まった。

「行こう」

「うん」

 リュックを背負い直すとまもなく扉が開いた。電車を降りて改札を出ると、こじんまりとした休憩スペースに横長の売店が現れる。

 その売店の入口には、多分これから行く先にも置いてあるだろう温泉まんじゅうの箱が売られているのがちらりと見えた。

 わたしたちは素通りして駅を出た。水たまりができている。

 外はまだ雨が降っていて、辺りにmi。

 出口を左に折れて直進するとバス停が見える。時刻表を確認すると、出発まで30分くらいは時間があった。

「さっきの売店でも覗いてこうよ」

「そうだね」

 望くんの提案に乗って、売店を見たり手前の休憩所でくつろいだりする。外の階段を使えば駅の屋上から周辺の景色が見られることを知って、そこで時間を潰していると、やがて遠くからバスがこちらにやって来るのが見えた。搭乗の時間が来るのはあっという間に感じられた。

 再びバス停に戻ると、その手前には同じように温泉街へ向かうのだろう他の乗客がもう並んでいる。日本語だけでなく英吾も飛び交っている空間にわたしたちは顔を見合わせた。

 搭乗が始まって、わたしたちは右側後方の席に隣り合って座った。

 扉が閉まると発車して、再び景色が流れていく。

 バスは県道を使ってまだ多少賑わいのある市内や市役所を抜けてから、徐々に小さな工場や広い畑の目立つ、緑豊かな田舎道を進んでいく。

 それから随分経って、川の上を橋で通過した辺りから今度は間延びしていた道幅が少しずつ狭くなっていく。

 左右を緑に囲まれていた片道一車線の道にぽつぽつと民家や工場が現れ始め、うねる道の先、落雪対策に設けられたブロック塀の左側に小さな駐車場が現れた。

「しろかね温泉、間もなく到着です」

 アナウンスを皮切りに車内が騒がしくなってきて、バスがようやく停車すると、わたしたちは降りた。

 外は霧雨になっていて、それまでエアコンの効いていた車内よりも雨の方がいくぶん生気が感じられて、心地が良い。

「ちょっぴり暑いね」

「うん。でも風が吹くと気持ちいいよ」

 折り畳み傘を広げて、下り坂を降りていくと橋が見える。その向こう、中央の川を隔てて左右に広がる温泉街の光景は、雨天の中であってもわたしの心を掴んだ。

 まるで森の中に突然現れたかのようだった。年季の入った木造の建物の周りには古めかしい衣装に身を包んだ人々が番傘を差して歩き、川は少し勢いがあるが、辺りの熱気を押し流して心地いい水の流れる音が耳朶を打つ。その周りには足湯があって、晴れていればより一層この場所には活気があるに違いなく、わたしはその光景を空想せずにはいられなかった。

「ここがあいちゃんが行きたがっていたところなんだね」

 浸るように辺りを眺め終えると、望くんとともに橋を左に渡っていく。ちょうど突き当りに

 観光案内所の看板が見えた。

「ひとまずあそこに行ってパンフレットをもらおうよ。地図とか見れば、"生まれ変われる場所"のことも、何か書いてあるかもしれないし」

「うん」

 望くんの提案に乗っかって建物の自動ドアをくぐると、中には周辺の旅館の関係者と思しき人が観光客だろう外国人と会話をしていた。ここは待ち合わせの場所としても良く利用されるのだろう。小さな看板を持った人がぽつぽつといる。わたしたちは辺りを見回して、ラックに設けてあるチラシを一通り抜き取った。

 空いている場所で二人してそれらをパラパラとめくるが、生まれ変われる場所についての記述は全くない。

「嘘でしょ」

 わたしはそう言いながらもう一度パンフレットをめくった。

 でもやっぱり、そのことについては一切何も書かれてはいない。

 この場所じゃなかったのかもしれない――。これは自分の早とちりで、そもそも二人はここに来てすらいないのではないかという悪い予感が浮かんでくる。

「あの」

 わたしは近くに立っている案内所の女性スタッフに声をかけた。

「この辺りに、"生まれ変われる場所"っていうところありませんか? ひょっとしたら呼び方は違うけど、新しく始まる場所だとか、新しい観光場所だとか、何かこう心機一転するような場所って聞いたことありませんか?」

 年配のそのスタッフは額に浮かんでいるシワを更にぎゅっと寄せて、

「んーごめんなさい、聞いたことがないわ。生まれ変わるかはわからないけど、左右の旅館の真ん中にある橋から撮る写真は、絶景で見たことのない光景とは言われることもあるけれど……あとは鍾乳洞…とか?」

「分かりました、ありがとうございます。ちょっと行ってみます。望くん、行こっ」

「ちょっと待って」

 少しでも望みがあるなら行くしかない。体に喝が入って、案内所を出てどんどん先を急ぎたくなる。

 そういえば二人はどこへ泊まってるんだろう。二人共中学生だし、旅館に泊まっていたりするんじゃないだろうか。それなら一つ一つそっちを聞いて回ってみるのも……。

「もと花ちゃん待って」

 望くんがわたしの手を掴んだ。

「どうしたの?」

 望くんは少し息を荒らげている。

「……そんなに急いでたら、僕らのほうがはぐれちゃうよ。それに、お腹空いてない?」

「え?」

 それに呼応するように、わたしのお腹が鳴った。

「一度、動き回る前にお昼を食べようよ。どう行くかのルートだってちゃんと立てたほうがいい。闇雲に探しても、これだけ人がいたら見つからないよ」

 望くんの視線を辿って、わたしは周囲を見渡した。

 たくさんの人が各々写真を撮ったり、何かを求めて楽しそうに話しながら歩いている。雨が降っていても、それはそれで構わないと言わんばかりだ。

 望くんの言うとおりだった。

 お昼をとる間にすれ違うかもしれないと思っていたけれど、焦って探したって仕方ないのだ。  

 わたしは逸る気持ちをぐっとこらえて、

「……分かった」

 とだけ返事した。


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