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第9話 終業式

 小さく開けていた窓からすきま風が入って、セミの声が聞こえて来る。

 ベッドに横になっていたわたしは、その声に促されるように目を覚ますと、起き上がってそちらの方へ歩み寄った。

 カンカン照りの朝日に嫌でも寝不足の目が冴えて来る。

「あいちゃんがつけてたあのペンダント……」

 昨日は動転して、全然寝付けなかった。

「学校行かないと」

 いそいそともと花は制服に着替え始めると、卓上カレンダーの日付に目がいった。

「そっか。今日は終業式だ」


 学校に登校すると、しばらくしてあいちゃんが教室に入ってきた。

 視線がすれ違う。けれどお互いに話しかけることはなくて。

 教室で先生の声に耳を傾けたり。

「羽目を外しすぎないよう……」

 同じような話を今度は体育館で校長から聞かされたり。

「元気に有意義な夏休みを~……」

 そうしてまた教室に戻ると、帰りの挨拶をして。

「過ごすんだぞ」

 学校が終わると、みんな一斉に席を立ち始めた。

 我先に帰ろうとする人波に紛れて、わたしも外へ向かおうとする。

「もと花、いっしょに帰ろ」

 後ろから声をかけてきたのはやっぱりあいちゃんだった。

 でもわたしはなんとなく気付き始めていて。

 けれども向き合う勇気もなくて。

「……ごめん」

 わたしはそう言って彼女を振り払うと、逃げるように廊下へ出た。

 歩き始める。そのまま家に帰ればいいと思った。

 けれどそれすらも躊躇った。

 自分でも何がしたいのか分からない。

 それはきっとこれからのことが何も決まっていないからで。

 自分の周りで知らず知らずのうちに進んでいた出来事に当惑してしまって、どうしていいのか分からなかった。

 もちろん頭では分かっている。

 英吾くんとデートでもして楽しく過ごせばいい。まだ決まっていない夏の予定を、これから埋めていけばいいのだ。今日からでも全然遅くない。

 あいちゃんのことは、そうだ。たまたまアクセサリーをつけていた、そういうことにしてしまえばいい。きっとそうだ。

 だけど――胸に燻るこの感情を受け止めきれなくて、わたしは校舎をさまよい始めた。


 あてもなく歩いたわたしが足を止めたのは、校舎の中でも一際古い場所だった。

『図書室』と書かれた札を見ていると、なんだか懐かしさがこみあげて来る。

 わたしとあいちゃんはこの場所で出会ったんだ。

 誘われるように、わたしは出入口の扉を開いた。

 放課後のそれも夏休みに入ったここは、いつも以上にシンとして誰もいないようだった。

 図書室の中を見て回る。

 でも何かを見つけることもなく、棚の本を手に取ることもなく――自分でも何がしたいんだと思った。

 それはやっぱり、あいちゃんの名残りを探しにきたからで。しかしもう、この場所に来ても何も得るモノはなかった。

「帰ろう」

 出入り口に向かおうとして、受付の方で誰かが揺れ動いた。

「灯下くん?」

「……もと花ちゃん?」

 望くんがリクライニングをきかせた合皮っぽい椅子から跳ね起きた。

「ごめん。入ってきたのに全然気が付かなかったよ。えっと借りる本があれば僕に声かけてね」

「図書委員だったの?」

「代理でね。もともと委員だった人が部活でケガしちゃって、僕はその代わり。本読むの好きだし、何かクラスに貢献できることないかなぁって探してたら、先生に頼まれたのがこの仕事

 だったってわけ。……にしても珍しいね、こんなところに来るなんて」

「別に用があったってわけじゃないんだけど。ちょっとね」

「そっか」

 わたしが上手く伝えられずにいると、望くんはそれ以上詮索せず椅子に座り直した。

「どうかしたの?」

 わたしが微動だにせず黙っているのを見て望くんは声をかけてくれた。

「えっと……」

 何て言おうか考えているうちに、率直な言葉が漏れた。

「あいちゃんが……最近、友達の様子がおかしくて」

「あいちゃん? この間いっしょに話していた人?」

 わたしは頷いた。

「聞かせてくれる?」

 わたしはここ最近のあいちゃんの様子を話して聞かせた。

「急にほかのクラスメイトとの付き合いが良くなったり、飲めなかったはずの飲み物を飲むようになったり、わたしの話を遮ってまで、わたしが付き合ってる人とのデートの話をしようとしたり、とにかく変なんだ」

 そして脳裏に焼き付いているのは、あの胸のペンダントとあいちゃんの言葉で。

――ごめん、もと花ちゃん。

「あいちゃんらしくないというか、まるで誰かが演じているみたいな気がして」

 わたしが全てを話し終えると、望くんは宙を仰いだ。

「やっぱり、織櫛さんじゃなかったんだ」

 わたしは驚いた。

「どういうこと? 望くんは何か知ってるの? 知ってるならお願い、教えて!」

「……もと花ちゃんには話しておいた方がいいのかなって思ってた。だから、僕が知ってることを全部話すよ」

 望くんはその時のことを思い出しているようだった。

「つい最近不思議なことがあったんだ。期末テストの2日目、織櫛さんが…その時彼女は自分を“英吾”だと名乗っていた。彼が僕の前に現れて……もうすぐ、織櫛あいが桜庭もと花に告白する。あいには幸せになってほしい。だから僕は消える、そう言っていたんだ」

 わたしは目を見開いた。

「英吾くんが!? どういうこと?」

「分からない。あの時は冗談だと思ってた。けれど君の教室で一度、3人で話したことがあったよね。あの時の織櫛さんとは明らかに雰囲気が違っていた。そして一昨日の夏祭りの日。僕は、晴といっしょに豊神山っていう山の上から花火を見ていたんだ。けれど晴が展望台から誰かを見つけたみたいで、いきなり追いかけていったんだ。それが誰なのか、僕には分からなかったけど……もと花ちゃんには心当たりがあるんじゃないかな?」

「――わたしと英吾くんだ。そういえば英吾くんがお手洗いに行くって、一瞬離れたんだ」

 望くんは目を落とした。

「……やっぱり晴は、英吾と会ったんだね。これは推測だけど、多分何かが起こって英吾ではなく、消えたのはあいさんの方だったんじゃないかな」

 わたしは必死に記憶を思い出す。

 デートの最中、わたしはずっと英吾くんといっしょにいたはずで。

 もしそれが英吾くんではなく、あいちゃんだったとしたら。

――嬉し涙だよ。

 わたしはハッとなった。

 もし英吾くんが誰かのために消えようとしたのなら、それはきっと、あいちゃんのためなんじゃないか。それならあいちゃんは、誰のために消えた――?

 それはきっと、

「わたしのせいだ」

 涙が零れ落ちた。

「わたしが英吾くんに告白するって言ったから。わたしがあいちゃんの告白を嫌がったから」

 その場に崩れ落ちると、望くんがわたしの背に手を当ててくれた。

「落ち着いて。まだそうと決まったわけじゃない。ただの気のせいかもしれない。もと花ちゃんから見て、織櫛さんに何か不思議なことはなかった?」

 いつから? そういえば、

「あいちゃん、5月頃から勉強がとか読書がとか言って、昼休みとか放課後とか、いっしょに帰れないことが多くなったんだ。最近は急に倒れることもあるぐらいずっと体調が悪くて、休みがちだった。そんな状態なのにわたしは、あいちゃんに自分の事ばかり相談してもらってたんだ……」

 望くんはわたしの話を聞いて、傍にあった鞄から一冊の本を取り出した。

 わたしは表紙に書かれた文字に目が釘付けになった。

『“解離性障害”とは』。

「僕も織櫛さんのことが気になってたんだ。だからここに調べに来てた。もと花ちゃんの友達は……多分これなのかもしれない」

 わたしは触れてはいけないものに触ってしまったような気がした。

 震える手でページをめくると、まえがきを読んだ。


――解離性障害。

 意識や記憶、同一性、知覚など、通常統合されている機能の破綻と定義され、代表的な知覚症状と、特定不能の解離性障害に分類されている。

 症状の程度は健常人から病気の水準まで幅広いものであり、その症状の顕われ方や原因は人によって異なるため、統合失調症などの精神疾患と区別することが難しいとされる。――


 読み進めれば進めるほどにまるであいちゃんを病人扱いしている気分になってくる。

「ごめん、もう見たくない」

 わたしは本を閉じた。

「望くんの考えすぎだよ」

「そうだよね。ごめん」

 わたしから本を受け取ると、望くんは鞄にしまった。

 予感はずっとあった。

 それまでずっとあいちゃんといっしょにいた時間が減って、体調が悪くなればなるほど、わたしと英吾くんの関係はトントン拍子に上手くいって。

 違う人だと思っていた――けれど、英吾くんとあいちゃんの雰囲気は、やっぱりどこか似ていて。

 なのにわたしはずっと、それらの小さな異変を見ないようにしていたのだ。

 認めたくなかったことが線を結びはじめて、胸が痛み出す。

 でもこの苦しみを感じているのはきっと、わたしだけではないのだ。

「望くんはどうして、英吾くんと話していたの?」

 尋ねると不安そうな顔を浮かべた。

「話してもいいけど……お願いがある。もと花ちゃんにはただ淡々と聞いてほしい。笑わずに、軽蔑もせずに……否定も肯定もしなくていいんだ。ただ受け止めてくれるだけでいい。それでもいいなら……僕は話すよ」

「軽蔑なんてしないよ。だってわたしたちずっと友達じゃない」

「そうだね」

 望くんは頬を掻くと、また真剣な顔に戻った。

「もと花ちゃんは……小学6年生の時に僕が入院してたのは覚えてるかな。あの時入院していた病院で僕は汐崎晴、きみのクラスメイトと知り合ったんだ。最初は友達だったけど僕は、彼のことが好きになった。友達としてじゃない。恋愛としての、異性としての好きだった。……ここでは嫌われ者らしいけど、あの頃のあいつは違ったんだよ。そんな晴と学校で再会した時、あいつは織櫛さんといっしょにいたんだ。そして、あとでこうも言われたよ。お前とは何でもないって。だから僕はてっきり、晴はずっと織櫛さんと付き合っているものだとそう思ってた。

 でもそれは違った。晴が好きなのは英吾で、僕はそれをずっと認めたくなくて、ここにいたんだ」

「……望くんはこれからどうするの?」

「正直分からない。僕は晴から嫌われているからね」

「望くんはそれでいいの……?」

 尋ねても黙っている。

「望くんも伝えたい思いがあるんじゃないの? わたしは、あいちゃんともう一度話したい。だから望くんももう一度、汐崎くんと話してみない?」

「……晴からはもう、僕は友達じゃないって言われたよ」

「そんなの関係ない! 好きなら好きって、自分から伝えなきゃ!」

 そう言ってわたしは、言葉を失った。

 わたしは英吾くんに、一度だって自分から好きって言えただろうか?

 唇を引き結ぶと、わたしは望くんの手を掴んだ。

「二人を探しに行こう?」

 居ても立ってもいられなかった。

 涙をためて言うわたしの顔を見て、望くんは小さく頷き返してくれた。

 たとえ可能性は低くても、まだ校舎のどこかに二人はいるかもしれない。

 わたしたちは図書室を出て探し回った。

 でも終業式から時間はもうだいぶ経っていて、やっぱりどこにもいなくて。

 焦るわたしの気持ちをあざ笑うかのように。

 長い長い夏休みが、始まったのだ。


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