第6話 告白
北門の外堀を左に回り込むと、小さな古めかしい飲食店が立ち並ぶ通りに入る。
建物の外観がそう思わせるのか、東大手門側の通りとは対照的にいくぶん質素で年季の入ったお店ばかりだ。いつもは閑散としているのに、今日はずいぶんと人が多い。
まだ公園へ向かっている人もいるのだろう、人波を逆行していくと店は次第に減っていき、今度は住宅街が見えて来る。
建て替わってずいぶん年季の経っていそうな背の低いアパートやマンションを過ぎれば、更に古い一軒家たちが顔を出す。ブロック塀に囲われた庭はその隙間から植物の葉がはみ出して、畑のある家はそこを丁寧にビニールで囲っているところも、すっかり茶褐色をしたむき出しの根に覆われてしまった家もある。
スマホのGPSを頼りにそれらの道を通り抜けながら、大通りが現れる。英吾たちの前を左から右へ進むその先にはインターチェンジでもあるのだろう。信号を渡ったところで急激に緑が深くなっていく。進んだところの先で、小さな鳥居と木の看板が見えた。
『豊神山 新道口』
掠れのないはっきりした白文字でそう書かれている。
「ここみたいだね」
英吾は呟いた。
「なんだか山の中にいるみたい」
もと花と同じ感想だった。山道を包むように杉木立が先へ先へと伸びており、舗装された地面は歩きやすそうではあるが、侵しがたい雰囲気を醸している。
木々の隙間から覗く空は濃げ茶から黒へ移ろうとしており、それが道を重たく照らしているが、よく見れば上へ進む人は皆無ではない。
英吾たちと同じようにスマホを片手に歩く人もいれば、悠々と先を進む人もいる。
この先に何があるのか、それはやはり行ってみなければわからない。
「なんだか怖い気もするけど、ここまで来たんだし行ってみようか」
「うん」
もと花の手を強く握りしめて坂道を登り始める。
「足は大丈夫?」
英吾はもと花の様子を眺めた。
「全然大丈夫だよ、思ったよりきつくないね。傾斜も緩やかだし、ゆっくりなら全然歩けるよ。
山の香りがするね」
深く呼吸する度にカラッとした木々の香りで肺が満たされていく。
一歩、また一歩と踏み出すと、等間隔に配された夜間照明に続々と灯りが点き始めて、うっとりした気分になってくる。
暗い時間に来たために、果たして登ってよいところなのかと不安を感じたが、明るい時ならこんな不安は全く抱かなかっただろう。
傾斜が終わると、急に視界が開けた。
灯篭と中空の紐に括りつけられた提灯がずらっと現れて、二人は感嘆の声を上げた。
上からはなにやら賑やかな声が聞こえてくる。期待で胸が膨らみ、山肌に沿って曲がり道を行くと、屋台と奥の神社の境内が現れた。
英吾は鳥居の扁額を見て気づいた。
「護國神社だったのか」
左手には石の階段が下へと続いている。途中で道が曲がっているため先は見えないがおそらくずっと続いているのだろう。杉木立の向こうには遠く、さっきまで自分たちが歩いていた公園があった。
正規の通り道はおそらくこちらなのだろうが、不揃いな石の段が続いているのを見てなるほどこれは登るのに苦労させられそうだ。それを見越して、晴は新道口を勧めてくれたのだろう。
二人は右手側の残りの石段を登りきり、茅の輪がかけられた表門を抜けた。
正面に大きな拝殿が現れた。
「山の中にあるとこなんて初めて来たよ」
「うん。僕も」
もと花の呟きに英吾は同意した。
ちょうどここが山頂になっているのだろう。右側には社務所兼授与所と、奥には願い牛や境内社が見える。広さはそれなりにあって、出店も並び境内は活気に溢れている。
「拝んでから回ってみようか」
「うん。こっちに手水舎があるよ」
左のほうにあったそこで手と口を洗い、拝殿へ進んで手を合わせた。
「ぐるっと回ってみよ」と言うもと花に引かれて、そこから右回りに歩き始める。
拝殿の後ろ側へ来ると人が少し減って、眼下には河川敷とその奥にある隣り町が見えた。
今年はこちら側から花火が打ち上がることはない。
打ちあがるとすれば手水舎の左側、丸くせり出して屋台が並んでいるその後ろの方だ。そこだけ人が急激に多くなっている。誰かの「始まるぞ」という声に二人は足を止めた。
ヒュ~ッという音の後、夜空にピンクの花が咲いた。
「わぁ」
四方に開いた花弁が残光を垂れて消えると、続けざまに花火が上がった。
「なんとか間に合ったね」
「うん」
英吾の言葉にもと花は頷いた。
辺りにどよめきが起こって感動するのもつかの間、境内に散らばっていた人たちがぞくぞくとこちらへやってきて、人の隙間に見えていた下の光景も見えなくなってくる。
「身動きがとれなくなっちゃったね」
もと花が呟く。
「こっちへ行こう」
英吾は彼女の手を握って人波から抜け出した。
境内の表門を少し下って右側に回り込む。そこにも小さな展望台があった。
「さっき入口のパネルに書いてあるのを見たんだ。ここならゆっくり見られるでしょ?」
「うん! ここ凄く良いよ!」
頭上からは賑やかな声が降ってきて、それが心地よい空気となってくれている。
すぐそばには背の低い木製の柵の前にベンチが置いてあって、前方の視界は杉が刈られて充分視界に収めることができる。まさに特等席と言って良かった。
二人が移動している間も花火は上がり続ける。今度は瞳の虹彩さながら、虹に輝く複雑な色味の花火が上がった。
「僕、今みたいな花火好きだ」
「たしか“菊”って言うんだっけ。綺麗だよね。私は松の木みたいなやつが好きだなあ」
「松の木?」
英吾が疑問符を浮かべていると、それまでの派手な花火が止んで、今度は小ぶりなものが中空で咲く。くっきりしたやや太い白い光の筋が波状形に広がると、それに沿うように赤や藍を帯びた小さな光が四方に散る。まるで綿毛のようだ。
「これ! 松の木みたいなやつ!」
もと花の声に応えるように同じ花火が何発か上がって、また異なる形の花火が空で瞬いた。
すっかり夢中になってしまって、椅子に座ることも忘れて、ただ柵の手前で夏の風物詩を堪
能する。
そんな幸せな時間だった。
世界が二人だけのものになって、足先から伝わる確かな地面と、片手から伝わる相手の鼓動だけがくっきりして、意識すればするほど胸の高鳴りが強くなっていく。
もと花は今しかないと思った。
ぎゅっと英吾の手を握ると、花火に向けられていた目がもと花へと注がれる。
「英吾くん、わたし――」
あなたのことが好き。好きなの。……わたしと付き合ってください。
そう伝えようとして。
「初めて会ったとき、それが恋だと分からなかった。生まれてからずっと孤独に生きてきて、どうしたら生きていけるかばかり考えて、先を見てばかりいたから。今起きている日常の出来事なんて、考えたことすらことなかった。そんなどうでもいいと思っていた日常の素晴らしさを、僕は貴方から教わった。何かを見たり、何かを食べたり、何かについて考えてみたり……目に見えて大きな変化ではない、触れることもできない……けれど確かにそこに存在するもと花の“言葉”に、僕は救われたんだ。貴方がいたから私は笑顔になれた。貴方がいたから僕は幸せになれた。僕はもと花に幸せになってほしい。いつまでもずっと笑っていてほしい。でも私はどうしたら幸せにしてあげられるか分からない。でも許されるなら、いつまでももと花の隣にいたい。いつまでもいつまでもいっしょにいて、笑顔で冗談とか言い合いながら、そういう時をいっしょに過ごしたい。もと花の隣の居場所に、これからもずっといっしょにいてもいいですか?」
それは英吾からの告白だった。頬を赤らめて、どこか不安げな様子でもと花の言葉を待った。
「ずるいなあ。もう。……それ、わたしが言うはずだったのに」
「ずるいって……?」
聞き返してくる英吾の顔にもと花の顔が重なった。
互いの首筋にいた青とピンクのクラゲが揺れて、触れ合った。
「そういうとこ、だぞ」
冗談めかして言うと、もと花はもう一度キスをした。
どちらからともなく回した手がお互いを抱きしめ合う。長いキスはお互いの輪郭を溶かし、蕩けてしまうほどに甘美なもので……二人の時間を花火が彩り続けた。
「――良かった」
不意に“英吾”は違和感を覚えた。
唇が離れると、もと花が可笑しそうに笑った。
「英吾くん、涙が出てるよ」
「えっ」
目元を拭うと、堰を切ったように流れ始めた。
止まらない。
「どうしたの?」
「……嬉し涙だよ」
少しだけ不安そうなもと花を安心させるために僕は、袖嘘をついた。
「花火、最後までいっしょに見よっか」
「うん」
嬉しそうに腕にくっついてくれるもと花に、英吾はこれ以上涙を悟られまいと花火を見上げ続けた。




