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第2話 幸せになるための整理

 あの日あいと腹を割って話をしてから、少しだけ彼女の体調が落ち着いたように思う。

 僕とあいは二人で交代しながら勉強し、いよいよ4日間連続の期末考査が始まった。

 その2日目。僕はあいに言った。

「望と二人っきりで話をさせてほしい」

「恋敵に会いに行くの? ……まぁ、別にいいんじゃない」

 あいは止めるでもなく体の中で眠りについて、僕に彼と話す機会を設けてくれた。

 この日を待っていた。

 あの時僕は、あいに嘘をついた。

 だって僕は、あいに全てを託して消えるつもりだったから。

 あいと違って、僕に本当の体はない。

 かつて晴が僕に指摘したように、体が男になる、などということは決してないのだ。

 だからあいが男になるために僕は、予定通り僕の存在全てを君に託して、あいのなかで永遠の眠りにつくつもりだったのだ。


 4日間のテストといっても案外楽だ。最終日を除いて1日2科目ずつしか試験がないのだ。

 は昼には帰宅できる。帰れば翌日まで勉強し放題だった。英吾はその日の試験を終えると、灯

 下望の教室へと足を向けた。

「灯下さん呼ばれてるよ」

 ちょうど灯下さんは帰宅するために荷物をまとめていたようで、クラスメイトの声に反応し

 てこちらを振り向くと、閉じた鞄を持って近づいてきた。

「灯下さん。いまから少し、話せない?」

「いいけど…どこへ?」

 灯下望は不安げな表情を見せた。

「話しておきたいことがあるの。ついてきて」

 後ろに灯下の存在を感じながら、校舎から出て西側の隅にある観察池へと向かう。

 辿り着くと、畳4枚ほどの長さしかない小さな池が二つ、レンガに囲われている。周りは夏

 の日差しを受けて立派に育った樹木に覆われていて、ちょっとした避暑地のようになっている。当然この時期には誰も人がいない。それを確認して、僕は振り返った。

「初めまして。こうしてきみと話すのは初めてよね。私が誰だか分かる?」

「知ってるよ。一度きみの教室で話したことがあったじゃないか。織櫛あいさんだよね、もと

 花ちゃんが言ってた」

「うん、そう。でも今は違うんだ」

 声を変えた。僕は目を閉じて、”あい“の振りを止めると、灯下は目を丸くした。

「君は――」

「初めまして。僕の名前は織櫛英吾。織櫛あいではなくて、彼女のなかにいる男。それが僕なんだ。君のことは少しだけ知ってる。昔、晴と同じ病院に入院してた友達だったってこと。そしてたぶん、二人の今の関係のことも。君は今でも汐崎晴のことを大切に思っている。――そうだよね?」

「君は何を言って――知っているなら、なんのつもりで」

 望は狼狽えながら、言葉尻に隠しきれない怒気を孕ませていた。

「だから伝えておきたいんだ。……僕はもうすぐ消える。晴の前からも」

「えっ?」

 冷たい表情の灯下が呆気にとられた顔をした。

「もうすぐ、織櫛あいが桜庭もと花に告白する。僕にとっての幸せは、あいが幸せになることなんだ。だから僕は、僕自身の気持ちを君に伝えておこうと思う」

「どうして」

 望は呟いた。

「……君も汐崎晴のことが好きだから」

 その表情で、望の胸の内は自分と同じなのだということを英吾は確信した。

「僕も、晴のことが好きだ。……異性として。恋愛対象として」

 望は咄嗟には何も言えなかった。

 驚いていたからではない。気持ち悪いとかそんな否定の言葉も全く浮かんですらいなかった。

 晴を思う偽りない真摯な気持ちが、その在り様が自分にも分かったからだった。

 望は俯くと自虐的に笑った。

「そうか。でもそれなら大丈夫だよ。もう晴は僕の事なんて気にかけちゃいないから」

「それは違うよ。晴は迷ってる。……本当は君が好きなのに、正直にそうだと言えなくて」

「信じられない」

 望は言った。

「本当だよ。彼と話したから分かる。今でもあいつは、君のことを思っている」

「……それならどうして晴は、僕に本当のことを言ってくれないんだ?」

 不安を浮かべる望のその表情は、苦悩で弱ってすらいるように見えた。

「晴はずっと、自分の母親から嫌われるのを恐れていた。そして周りからゲイだと思われることも。周りの視線を気にして、本当の自分をさらけ出してしまうことを何よりも恐れている。学校で悪い噂の絶えない彼も、織櫛あい……彼女の前にいる時の彼も、本当の彼の姿じゃない」

 望は学校で見かける時の晴の姿を思い出した。

 ふと見かければ、彼は確かにガラの悪い男子生徒とよくつるんでいるような、言うなればいけ好かない人に変わってしまったように思う。それは侮蔑的に見れば、男性愛者と見えなくもないかもしれない。

 でも。

「でも晴は、男なら誰でも好きなわけじゃない」

 望は強く反論する。

「もし君が、自分で言うとおり『あい』ではなく男の『英吾』であるとして、晴はゲイだから君の隣に立つんじゃない。あいつは君が、あるいは彼女が、あるいは二人のことが好きだから、君たちの隣にいるんだ。……だから彼の隣にいるべきは、やっぱり僕じゃないんだ」

「そうかもしれない。でもその理屈なら、僕のほうこそ彼の隣に立つべきじゃない。だって僕は、この体の持ち主ではないんだから」

 僕が両手を広げて見せると、望は憐れむようにこの姿を見やった。

「僕は晴に正直になってほしい。あいつだって本当は、正直になりたいはずなんだ。誰だってみんな”ふつう”だって思われたいだけなんだ」

 望にその言葉の真意は正確には伝わっていないかもしれない。でもね。君だって“ふつう”という枷に縛られているはずなんだ。

「そうだね。自分がふつうだって言えるなら、みんな幸せさ。僕だって……」

 だから。

「僕はあいに幸せになってほしい。君にだって晴にだって、幸せになってほしい。だから君に伝えておく。テスト最終日の翌日、夏祭りの日に織櫛あいが桜庭もと花に告白する。その時僕は、あいの中で永遠の眠りに入るつもりだ。英吾と晴が会うことは、もう二度とない。だから灯下さん、君にお願いしたい。僕の代わりに、夏祭りの日に晴との幸せを本当のものにしてほしい。同じ彼を愛する者として」

「きみはそれでいいの?」

「……それでいいのさ」

 困り顔で僕は笑った。


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