第23話 代償
泣き腫らした顔で校舎を歩くのは嫌だった。
後ろからもと花が追いかけてきてくれやしないかという淡い期待は早々に捨てた。
私がもと花を困らせたんだから。当然の結果だ。
でもあの時、あんな風にしか言えない自分にも腹が立った。
とにかく揺れているこの気持ちが治まるまでは、わけもなく外を歩き回ることにしたんだ。
そのはずなのに。
「よっ。大丈夫か」
いつの間にか、汐崎晴がそこにいた。心配そうに私の顔を覗いてくる。
頭がズキズキする。
くる。
そう思った矢先、私はよろけてしまったらしい。
いつの間にか晴が私を支えていた。
「おい、大丈夫かよ!? しっかりしろよ」
「大丈夫。平気」
私は晴に抱かれながら、まじまじとこの男の顔を見つめる。
悪くない顔つきだ。金髪だけは死ぬほど似合ってないけれど。
私は彼の頬に手を伸ばした。
照れくささと不安が入り混じったような顔をして、晴が戸惑いの声を上げた。
「……ねぇ、私って必要? 必要なの?? あなたは私を必要だと言ってくれる? 私を大事だって言ってくれる?」
私は両手を広げて、抱擁を求めた。
愛のカタチ。それだけを。
「おい、織櫛、お前なに言って――」
「必要なら、ハグしてよ」
渋々ながら晴が抱擁に応じてくれる。
それが面白くない。
「ねぇ、本当に私のことが必要だって思ってくれてる? 誰よりも私が一番大事だって思ってくれてる?」
「あたりまえだろ?」
わたしは下から晴の瞳を覗き込んだ。
その目に映っているのはきっと……私じゃない。
「やっぱりあなたも、私じゃなくて英吾が好きなのね」
私は手で晴の胸を押し出した。
よろける晴に振り返ることもなく歩き出すと、後ろから声をかけられる。
「桜庭をものにしなけりゃ、もっと後悔することになるぞ!」
私の中で何かが弾けた。
「晴!」
私の声ではない叫びが上がり、晴の胸ぐらに掴みかかった。
一瞬晴はたじろぐが、負けじと私をにらみ返してきた。
「だってそうだろ! そうしないと英吾、お前は――」
掴みかかった手が緩む。
私であって私でない手が。
もう自分が誰なのかすら分からない。
それなのに誰も味方はいない。
とにかくその場から逃げたしたくて、私は走り出す。
その場に置き去りにされた晴が何事かを呟いていた。それはきっと、
「あいのなかで消えちまうかもしれないんだぞ……」
言葉は誰にも届かない。
夢遊病者の感覚とは、ひょっとして今の自分と相違ないのではないか。
歩いたのか走ったのか分からず、心臓の鼓動も、いろんな匂いの残滓すら忘れて、――気づけば、自宅の玄関に私はいた。
今が何時なのかもわからない。部屋の向こう、カーテンからわずかに見える夕焼けはほとんど黒に染まりかけているのに、たしかにそれを見ているはずなのに、次の瞬間には何を考えていたのかさえ忘れてしまって、閉口している自分がいる。
いま目の前の景色を見ている自分と、それを俯瞰的に見ている自分がダブって見える。
ここは、自分のベッドだ。
いま腰掛けている。
外には月が出ている。
…………。
不自然だと分かっているのに、それをとりとめようとすればするほど体に緊張が走って、視界が揺れる。
苦しい。
「もと花……」
助けを呼ぼうとして彷徨わせた手が、手元にあったスマホを遠くへ弾いてしまった。
……もう、味方はいなくなった。
私を受け止めてくれる人も、私を必要としてくれる人もいない。
孤独だった。
私は首に手をかけようとして、白シャツ……制服の胸元のボタンを緩めると、スタンドミラーに映ったそこに痣ができているのを見た。
錯覚ではない。
これはもうずっと前につけられて取れなくなった痣だ。
……なんでそんなことになったんだっけ。
ぽうっ、とミラーに映る私のとなりに英吾が見えた。
「私、いらないのかな。……そんなことないよ」
私自身が問うた疑問に、私自身が答えている。
奇妙な感覚だった。私の声に、他人の声音が乗っている。
隣にいたはずの英吾の姿がするっと私の中に納まった。
「あはは、なにこれ。面白い」
面白い。
なんだ。私って英吾だったんだ。
ずっと英吾は私のなかにいたのだ。
おかしいね。私、ずっとあなたを幽霊とかなんだとかって思ってたんだ。姿は見えないし、それなのに声は聞こえて来るし。誰だろう、ってずっと思ってたけど。……そういうことだったんだ。
私の中に英吾がいたんだね。
鏡に映る私は背筋を伸ばして畏まっているように見えた。
彼は「ごめん」と言った。
「何が? 英吾は何も悪いことしてないよ。今なら分かる。私たち、今一つになってるんだよね? 私が貴方で、貴方が私。貴方のおかげで、全部上手く行ったんだよ? もと花からは大切に思われているし、晴からもきっと、好意的に思われている。これって成功なんじゃない?」
英吾は首を振る。
「違う」
違う。こんなの、僕が望んでいた結末じゃない。
あれ? そうかしら。このままいけばもと花と付き合えるんだよ? 彼女を幸せにできる。
「違う」
英吾はもう一度言った。
なんで?
沈黙が流れる。
なんでって――――そこに君がいないじゃないか。
耳鳴りがして、私はえづいた。
この感覚が大嫌いだ。
ぽっかりと空いた穴に頭から突き落とされるような恐怖が全身を刺して、悪寒に頭がぐわんぐわんとして、空間ごと体がかき混ぜられるような感覚に私はのたうち回った。
苦しいッ! 痛いッ! 死にたいッ!
叫ぶことすらできない。声なき声を上げようとすれど、首が締まって息ができない。
そうしているのは自分だ、ということすら理解はしていなかった。
潰れるような感覚に落ちていくが、英吾が最後まで私を呼んでいる気がした。




