第20話 英吾と晴の日常
6月ももう半ばだ。
7月の真ん中には期末テストが控えていて、テストが終わればまもなく夏休みに入る。
あいと英吾の出て来る日が、いよいよ半々ぐらいになってしまった。
織櫛は心の中で戦っている。彼女が出ている時に俺ができることはわずかで、前向きにだとか、もっと自信持てよだとか、とにかく言葉をかけることしかできなかった。
桜庭からの言葉があればどれほど劇的に良くなるのだろう。……だけど、望むべくもない。
最近は出て来る時間の増えた英吾があいの日常をうまく回している。
その事実を知っているのは俺だけだ。
織櫛にとって桜庭は一番の友達だ。だから二人のいる時間は長く、俺には英吾の苦労が見て取れるようだった。
だから俺は聞いてみた。
「お前たちって、意識を共有してたりするのか? こっちが経験したことを向こうは覚えてたりするのか?」
「あいが出ている時は、僕は内側からよく覗いていたけれど、僕が出ているときにあいが同じことをやるのは難しいみたいだ。だから、もと花ちゃんと話したことを共有するようにしているよ」
英吾は今まであいを通じて外の世界を見てきた。
だから、ルーチン的な通り一遍のことはそつなくこなせるけれど、自分だけの時間になるとどうしていいか分からず、教室の隅でぼんやりとしている英吾を俺は度々見かけた。
「おい、晴。外に遊び行こうぜ。サッカー日和だぞ今日は」
「わりぃ、今日は遠慮するわ。昼休みに遊ぶと後がしんどいし」
桜庭がいっしょにいない時、俺はクラスメイトの誘いも断って英吾に話しかけるようになった。
「ありがとう。息抜きになるよ」
屋上で伸びをしながら英吾は言う。そんなあいつに俺は、
「お前って家では何してんだ?」
「特には何も……?」
「趣味とかないのか?」
「一応テレビくらいは見るけれど。ドラマとか。……でも断片的にしか見られないからね」
「そっか」
英吾とまともに話せる時間は少ない。
ごくごく限られた時間だ。
ある時、体育の授業が学校の都合でクラス対抗の試合になった。
「キックベースなんて初めてだよ」
俺と同じチームになった英吾は、あいの口調を切って小声でぽそりと言った。
「こんなのは勢いつけて蹴ればいいのさ。それがダメならボールの勢いを殺すように蹴って、ホームベースに取りにこさせるようすりゃあいい。それだけでチームに貢献できる」
「それなら僕は勢いよく蹴ってみたいな」
そう言ってバッターボックスに立った英吾は、勢い良く蹴り上げた。つまさきよりも外側に当たったゴム製の柔らかいボールが浮き上がり、わずかに曲線を描いて飛んでいく。
「やば」
英吾は気づいた。ボールは2塁ベース手前に陣取っていた相手チームの一人の両手へと吸い込まれるように落ちていく。
「これは取れるわ。ラッキー」
そう言って油断した相手の胸元でボールが跳ねて、地面に落ちる。
英吾の一つ前に出塁して、2塁ベースを踏んでいた俺はにやりとした。
英吾の蹴りに合わせて走り出し、既にホームベースの傍まで戻ってきていたからだ。
観客のクラスメイトが湧き上がる。
俺は得点を決めると、1塁ベースをなんとか踏んだ英吾のもとへ近づいた。
声を掛けようとして、そこには既に観客の桜庭が近寄って嬉しそうに話しかけている。
「織櫛、やるじゃん」
「……どうも」
そっけない言動のわりに、口元はにやついている。
俺はそんな、ありふれた日常に楽しさを感じ始めていた。
……けれど、そういうクラスでいっしょに何かをするような時間がなければ、教室での俺と英吾は、親しい間柄にはなれなくて。
クラスの嫌われ者の俺が、そうそう織櫛と桜庭のそばに近寄るわけにはいかなかった。
だけど俺はもっと英吾と話したかった。
限られた学校の時間だけで満足なんてできるはずがなかった。
お前だって織櫛の目覚めを待つ間、何もないなんて退屈だろ?
だから俺は放課後、ついに英吾を誘った。
「うちに来いよ。俺ん家なら、男のお前が退屈しないものもきっとあると思うぜ」
「嬉しいよ。でも、あいが何て言うか……」
「目覚めたら俺がうまく説明する。お前も織櫛のふりはをずっとやるのはしんどいだろ?」
「それは、まぁ……」
「なら決まりだな」
俺はついに、英吾を自宅に誘うのに成功した。




