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第18話 幸せな不幸

 それからも楽しい時間の連続だった。

 飼育スポットでクラゲの一生を見たり、ガシャポンコーナーで缶バッジを引いたり。3階の展望台に登ると建物の外、海沿いに灯台があるのが見えて、わたしたちはそこへも行った。

 夏のよく育った草で、足場が消えてしまいそうな螺旋の階段を登った先から見えたマガモの港と海には、どれほど心が揺さぶられただろう。

 最後に水族館の売店で物色して、わたしはあいちゃんにお土産も買った。

 そして今は帰りのバスの座席に隣り合って揺られながら、今日のことを噛みしめるように思い出していた。

 嫌だった思い出も自分なりの踏ん切りがついて、わたしたちはすっかり打ち解けた。

 そんなわたしを英吾くんがさっきからきょろきょろと見つめている。

「もと花ちゃん、いろいろお土産買ってたねぇ。よかったら上の荷台に積もうか? 膝の上に置いてると狭いでしょ」

「いいの、いいの。今日は凄く嬉しかったから。その幸せを握っていたいんだぁ」

「そっか。それならいいかな。ごめんね、水族館見る時間少なくて。時間に余裕があれば隣の海水浴場とか温泉とかいろいろ行けたんだけど、市内に日帰りで戻る時間を考えると、もう乗らないといけなくて。8時ぐらいに帰れなくなっちゃうから」

 申し訳ない、と頭を掻きながら英吾くんは謝った。

「そんなことないよ。じっくり見られて本当に良かった。交通費だってかなりかかってるのに出してもらっちゃって、むしろ申し訳ないくらいだョ……」

「そんなこと。全然気にしないで。ずっとここに来てみたいなって思ってたんだ。僕は旅行のガイド本とか風景写真とかを見るのが好きなんだけど、そういうとこって行くだけでお金がかかるから、なかなかいっしょに行こうって言ってくれる人も少なくて。今日ここに来られて本当に良かったよ。それに……もと花ちゃんの笑顔も見ることが出来たし」

 そう言ってくれると嬉しい。けれど、英吾くんのおみやげはクリアファイルとか文具とか実用的で安いものばっかり買っていた。

 本当は無理してるんじゃないか。そう思って私は、ひっそりとプレゼントを買ったのだ。

 膝に乗せていたショッピングバッグから茶色の包みを取り出すと、中から2つのネックレスを取り出した。

 先端にはそれぞれシルバーに囲われたピンクと青の平たいミズクラゲがついている。わたしはそのうちの青い方を差し出した。

「英吾くん。よかったらこれ、今日の思い出に貰ってほしいな」

「良いの?」

 英吾くんは躊躇いがちに言う。

「今日はいっぱい、いっぱいもらったから。自分を信じていいんだって、背中を押してもらえたから。だから少しだけど恩返しがしたいんだ」

「ありがとう。そういうことなら……」

 英吾くんが首に着けると、「どう?」と聞いてくる。

「うん。凄く似合ってる。わたしも着けてみようかな?」

「貸して。着けてあげる」

 英吾くんにピンクの方のネックレスを手渡すと、彼の顔がすぐそばまで来て、顔が熱くなるのが分かった。

「うん。良い感じ」

 英吾くんがそう言うと、嬉しさと気恥ずかしさをごまかすために自分の髪を撫でた。

「ありがとう。それと、良かったらこれも……」

 今度はステッカーシートを取り出した。

 アシカショーでもらったものだ。『コングラッチュレ―ションズ!』と書かれたアシカが両前脚を上に持ち上げたポーズのステッカーを自分のスマホに貼り付けた。

 そして今度はステッカーを台紙ごと英吾くんに差し出した。

「もし、嫌じゃなかったら今日の思い出に、英吾くんのスマホにもどれかつけてほしいなって」

 わたしの照れ笑いが映ったように英吾くんははにかんだ。

「いいの? それなら僕は――」

 英吾くんはエダクダクラゲのステッカーを剥がすと、スマホの裏面の隅にぺたりと貼り付けた。そのクラゲは星のように輝いた。

「ふふっ」

 わたしは嬉しくなって笑った。

 好きな人と、こういうことができるなんて。

 わたしも恥ずかしいけれど、英吾くんはもっと恥ずかしそうだ。

 よく見ると、英吾くんは少しだけ眠そうにしている。スマホをしまうと、膝に置いていた手を手すりにだらんと置いた。

「眠ってていいよ。着いたらわたしが声をかけるから。……今日はありがとね」

「こちらこそ。僕だってもと花ちゃんと遊びに来れてよかった。ショーの動画も撮っておいたから、後で必ず送るね」

 英吾くんが少しこちらを向いてそう言った。

「ありがとう……もと花」

 目を閉じて言う英吾くんの柔らかい声音が、女性のそれのように聞こえた。

 わたしは手すりに置いた彼の手に、そっと左手を絡ませようとする。

 少しだけ彼の指先がピクッとして、わたしたちはどちらからともなく指を絡ませ合いながら眠りについた。


 もと花と別れて自宅に戻った後も、右手で感じた彼女のぬくもりが消えることはなかった。

 そう言えるくらい私は高揚してベッドに入った後も、右手に左手を這わせてはあのぬくもりを再現して味わっていた。

 これこそ、私が望んでいたことなんだ。

 あいではいけない。英吾でなくては。

 その深みが濃くなって、あいに帰ることを疎ましいと思うようになった。私は隠すように束ねていた長髪を解くことや着替えることもせず、デートの格好のままでいる。

「ふふ、ふふっ」

 一人ほくそ笑む。

 これでいい、これでいいと自らに語り掛けていると、そばにあったクラゲのネックレスと、その奥にあるスマホの暗い画面に私の顔が映った。

「……」

 私はスマホを足で蹴り飛ばした。

 ベッドから勢いよくはじき出されたそれが床やテーブルに当たって、大きな音を鳴らす。そのまま壁のどこかへ消えていった。

 これは、本当に私が望んでいたことのはずなんだ。

「ふふふ、ふふふ…………」


 俺はいつも早くに家を出る。

 家にいる母さんを安心させるためだ。だけど教室に入るのはだいたいギリギリだ。

 たまには早く登校してみるけれど、俺はさっそく溜息をついた。

「お、晴。はやめに来るなんて珍しいじゃん」

「おう」

 クラスメイトの男子だ。俺といっしょの嫌われ者。正直なんで仲良くなったのか俺も分からない。

 振られる話題に適当に合わせて時間を潰していると、織櫛が教室に入って来る。それに気づいた桜庭が、彼女のそばに走っていくのが見えた。

「それでさー、晴」

「おう」

 俺は話を聞くふりをして、そちらに聞き耳を立てた。

「おはようあいちゃん!」

「おはよう、もと花ちゃん(・・・・・・)

 俺は耳を疑った。

 今、なんて??

「土曜日はどうだった?」

 織櫛は可笑しそうに笑って言うのだが、面食らったのは俺だけじゃなかった。

「なんか今の、すっごいぽかった」

「ぽかったって?」

「英吾くんみたいだった。声真似のクオリティ高すぎ」

「そう」

 織櫛は目を細めながらくすりと笑った。

 なんだか今日はいつも以上に上品で、大人びて見えるというか。

「凄く楽しかったよ。水族館に連れて行ってもらったんだ」

「そっかそっか、上手くいったんだね。良かった、先週元気がなくて私も心配だったから」

「うん。……ごめんね、心配かけちゃって。あいちゃんは土日どうしてたの?」

「本屋に行ったぐらい。夏にはどこかに行けたらなって思うけどね」

「わたしもどこかへ行きたいな」

「うん。いっしょに行こうね」

 そんな話をするのを、俺ははただ黙って見つめていた。

 あれは、“織櫛あい”じゃない。


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