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第16話 アシカとアザラシが教えてくれたこと

「そろそろ時間だね」

 幸せすぎてあの後、同じ場所でイチゴとバニラのソフトクリームまで食べてしまった。なんとそれもクラゲ入りだった。

 お手洗いを済ませて入口に戻り、エレベーターで地下へ。扉を抜けると左右に道が分かれていて、左の細い道を抜けると階段状のベンチと水槽が現れた。

 既に席はぎっちりだ。わたしたちは中段より少し後ろの方の席に座った。前方の大きなプールにはアザラシがウォーミングアップでもするかのように自在に泳いでいる。

 ほどなくしてショーが始まった。

「本日はマガモ水族館にお越しくださいましてありがとうございます!」

 MCの女性の明朗な声が響き渡る。

 簡単な諸注意の後、キャストさんの紹介が始まった。

「アシカが登場する前に、皆さん気になっていることでしょう。今プールを泳いでいるのはゴマフアザラシのももちゃんです。ショーにももちろん登場しますので、楽しみにしていてください。それでは、トップバッターを努めるアシカさんに登場していただきましょう、カリフォルニアアシカのちょこちゃんです!」

 紹介とともに左側の扉が開けられると、名の通りチョコレートのような色をしたアシカが現れる。プールの白い床を前足でわっさわっさと滑りながら移動し、そのままスタッフの先導に付き添うようにして、中央のボックスステージに乗り立った。

 そちらに合流するべく今度はプールからアザラシのももちゃんが出てくると、スタッフが手を振るのを真似して2匹は観客席に向かって片方の前脚を愛くるしく左右に振った。

 歓声がが湧き立ち、拍手が鳴り響く。

「それではまずアシカとアザラシの違いを見ていきましょう。どちらも水の中を速く泳ぐのに適した体とヒレのような脚をもつことから”鰭脚類(ききゃくるい)”または”ひれ脚類”と呼ばれています。アシカとアザラシ、似通った見た目をしていることから良く間違われることも多いのですが、実際は全然違うんです。ではどこが違うのか。一つ目は歩き方の違いです。まずはアシカのちょこちゃんに歩いていただきましょう!」

 ちょこちゃんは前脚で床を滑らせながらするすると歩き始める。四つん這いの姿勢で、前脚で押し出した地面を後脚のヒレで後方に滑らせながらするすると歩いていく。

 その姿を見てアシカの後ろに回り込んだアザラシのももちゃんは、腹ばいになって移動する。まるで人間でいうところのバタフライをするかのような動きで、こちらは後脚を使っていない。

「今度は2つ目の違いを見ていきましょう! 2つ目の違いは泳ぎ方です」

 スタッフが水面に4つの輪を投げる。

 合図の後アシカが水に飛び込むと、発達した前脚で水を搔くように進んでいく。4つの輪っか全てを首にかけるとプールから出てきた。

 今度はアザラシの番だ。モモちゃんの泳ぎ方は後脚のヒレで推力を得ているようで、よく見ると脚が2つあり、腰から後ろを左右に揺らして泳いでいるのが分かった。

「アザラシって後ろ脚ふたつあったんだね……かわいい~」

「僕もひとつだと思ってたよ」

 アシカは違いを分かりやすく示すように地面に着けていた後ろ脚を高々と上へ掲げる。その様はまるでしゃちほこだ。

「3つ目の違いは耳です! みんなによく見えるように近づいてみましょう! ちょこちゃ~ん!」

 呼びかけに応じるようにプールを利用して客席と目と鼻の先にある柵まで移動すると、水槽の柵に手をかけながら横移動しつつ、顔の側面を突き出してみせた。

 目の後ろに眉のようなでっぱりとその下に小さな穴が見えた。

 耳介……耳たぶだ。

 続いて同じような姿勢をアザラシのももちゃんは見せてくれるが、彼女にはそれがない。

「3つめの違いは、耳介があるかどうかでした~。それでは最後の4つ目の違い、それは換毛期の違いです。ももちゃんたちアザラシは春先に、ちょこちゃんたちアシカは夏から秋にかけて生え変わるんです。とても短い毛なので、一見何も生えていないようにも見えるんですが、逆立ててみるとこの通り」

 光に当たってビロードのような光沢が見て取れる。触り心地も良さそうだ。

「それでは最後にちょこちゃんの得意技を披露しましょう」

 ちょこちゃんはプールの左側へと移動する。

「その得意技とは――――フリスビーです!」

 キャストが後ろの方から赤いフリスビーを投げつけると、ちょこちゃんは口で難なく掴んだだけでなく、今度はそれを首のスナップで相手の女性へと投げ返してみせた。

「すごーい!!」

 わたしは感激して拍手した。

「それでは、今度はお客様にぜひキャッチボールに挑戦していただきたいと思います! 挑戦してみたい方は手を挙げてください!」

 アナウンスで一斉に会場が湧き立った。

 我先に手を挙げる気配がするなか、英吾くんがわたしの腕を軽く揺すった。

「せっかくだし、挑戦してみたら?」

「えっ?」

 英吾くんはまるでわたしの胸の高鳴りを見透かしたかのようにそう呟いた。

 やってみたい。――そう思ったのもつかの間、わたしは少し躊躇してしまった。目立つのはもう嫌だ――周りの様子を見てから決めたい。そんな迷いが、挙手のタイミングを鈍らせた。

「それでは勢いよく手を挙げてくれたそちらのお嬢さん!」

 MCの方が勢いよく指差した。わたしがそろそろと手を挙げるよりもはやく、迷いなくまっすぐに手を挙げた小学校低学年くらいの女の子が選ばれてしまう。

 彼女はスタッフに呼ばれてひるみながらも前へ進んでいく。ついには柵の前、みんなの前に立った。

「それじゃ一度、実演してみせますね」

 スタッフがフリスビーを投げると、ちょこちゃんは難なく掴んで見せる。拍手が起きると、全員の期待した視線がその少女へと注がれる。

 彼女は勢いよくフリスビーを投げた。

 普段あまりそんな遊びをしないのだろう。傍から見ても少し震えているように見えた彼女の投擲はあらぬ方向へ逸れていき、アシカは掴むことができなかった。

「残念! でももう一回!」

 ちょこちゃんが体を揺らしながら少女の2投目を期待して待っている。

 一瞬項垂れたその少女は、アシカのちょこちゃんのエールを受けて伏せていた顔を上げた。スタッフのアドバイスを受けて投げた渾身の2投目は、今度こそ綺麗にまっすぐ飛んでいき、アシカが見事掴んでみせると会場が大きく湧いた。

「お見事です! ちょこちゃんと遊んでくれた彼女にぜひ拍手を! そして! ちょこちゃんから遊んでくれたお礼として、なんとチューがあるそうです! ぜひ近寄っていただいて、どちらの頬でも構いませんので寄せてあげてください!」

 その言葉を受けて恐る恐る彼女が近づけた右の頬に、アシカがチューをすると再び拍手が沸き起こった。

 わたしはその様子を半ば放心した様子で眺めていた。

 ――いいな。

 ただただそう思った。悔しいと思った。

 彼女が持っているまっすぐさ、憧れ……自分の願いに正直になる強さを、わたしは持ち合わせていない。

 もしわたしがそれを持ち合わせていたのなら、これまでのことももっと変わっていたのかも。

 そう思えば、わたしはなに一つ成長していないのだと惨めな気持ちがもたげてきて。

 鼻の奥がツンとなった。

「勇気だね」

 英吾くんがぽつりと言った。

「えっ?」

「勇気だよ勇気。きっと緊張してたんだと思うよ、あの子。選ばれてすぐは震えてお母さんの袖を引いて付き添ってもらおうともしてた。でも彼女は結局自分一人であの場所へ降りて、最後まで自分の力で投げた。凄い勇気だと思う」

 そこまで見ていなかった。頭が真っ白になっていたから。

「……わたしには真似できないなあ」

 ごまかし気味に悔しさを吐露する。

「そうでもないんじゃない?」

 英吾くんの呟きに、わたしは彼の方を振り向いた。

「多分、やりたい気持ちのほうが大きかったんだと思うよ。あれぐらいの子供の時って、挙手して選ばれた後のことなんてそうそう考えてないんじゃないかな。ただやりたいって気持ちでいっぱいで、選ばれて初めて緊張を味わった。そして前に出た時にはもう、投げる覚悟を決めた。何が言いたいかっていうと、きっと後の事なんか考えてなかったんだよ。そういうのってこどものほうが上手なんだ。僕もおそらく君も、大人になるにつれてやりたいことに正直じゃなくなっていく。ごまかしが上手くなる。そのうちに自分がやらなくてもいいかなとさえ思えるようになってくる。でも、それじゃもったいない。自分の本当の気持ちに嘘なんかついちゃいけない。後先のことなんか考えない、ただ『やってみたい」っていう勇気。それだけあれば、あとはきっと、どうにかなるんだよ』

 わたしはショーの事なんか忘れて、ただ聞き入っていた。

 言葉以上のことを伝えようとしてくれている。そんな風に感じたからだ。

 彼のそんな優しさが、静かに胸に響いた。

「僕も緊張しいだから分かるけど、後の事とかなんだとかって、きっと最後にはアドリブでうまくいくさ。だからきっと――――何事も経験だよ?」

 わたしは――わたしは変わりたいんだ。

 部活に入る前のただただ純粋で、もっと生き生きとしていた頃の自分。

 わたしはあの頃の自分に戻ってみたいと思っていた。

 でもそれって本当にあの頃のままの自分に戻りたかったのか。

 今のわたしでも、あの頃のわたしでもきっと違う。

 両方を経験した上にある自分。そこに、本当に素直になった自分があるんじゃないのか。

 分からない。でも私は――変わりたいんだ。

 いつの間にか目の前で披露をしていたアシカが退場し、また別のアシカが登場して会場を賑わわせている。

 そのアシカは左端のほうでラグビーボールを鼻の上に乗せると、プールを泳ぎ出すと落とすことなく反対側の方まで器用に渡りきった。

 わたしたちはあんな風に上手く運ぶことはできない。

 いや、きっとアシカたちだって上手くはできない。

 誰だって初めから上手くできたはずはないのだ。

 何度だって挑戦して、やっとできるようになったのだ。

 アシカは新しいことに挑戦した。輪投げだ。スタッフがプールサイドから水面に向かって投げた5つの輪を、アシカは左から右へと泳ぎながら次々と首にかけていく。

 その様は淀みなく可憐ですらある。

 わたしも挑戦したい。あのフリスビーを投げた少女のように。

 その機会は、やってきた。

「それでは今度は、アシカのジュンくんに輪投げに挑戦していただきたいと思います!」

 ジュンくんはプールサイドの端へ移動すると、ちょうど水槽の手前の方からキャッチボールができるくらいの距離で停止する。

「お客様にもぜひ挑戦してもらいたいと思います! 我こそはと思うお客様は、手を挙げてください!」

「もと花ちゃん?」

 今度は迷わなかった。

 誰よりもはやく、正直にすっと伸ばした右手。スタッフさんの目と私の目が合った。

「それではそちらの5段目に座っていらっしゃる白のブラウスのお客様、前にどうぞ!」

 注目されている。

 顔が熱くなるのを感じる。

 心臓がバクバク言っている。

 けれど堂々と歩き出せばそんなことは忘れていて。

 いつの間にプールサイドに立っていて。

「それではジュンくんとお客様に頑張っていただきましょう! お客様のタイミングでどうぞ」

 あれ、わたしってもともと(・・・・)緊張する子じゃなかったかも。

 冷静に狙いをつけて投げた2つの輪にジュンくんは難なく首を通してみせた。

 拍手が沸いて、

「お見事! おめでとうございまあす! ジュンくんもお客様にお礼をしたいそうです! それではお客様、どうぞ頬を近づけてみてください!」

 わたしは何も考えられなかった。恐る恐る近づけた頬に、ちょっとだけ冷たくてぷにゅっとしたご褒美が頬に触れる。

「挑戦していただいた記念にどうぞこちらをお受け取りください!」

 スタッフからもらったのは、たくさんのアシカのイラストが描かれたステッカーだ。

 わたしはようやく我に返って、英吾くんの方を向いた。

 わたしの不器用な笑顔に対して大きな笑顔と拍手をくれる彼に、

「ありがとう」

 そうわたしは呟いた。


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