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第12話 晴が望を忘れた日➁

 日曜日がやってきた。

「どうぞー」

「お邪魔します」

「あれ、今日は晴しかいないんだ?」

「お母さんは今日、お父さんと会う約束してるから夜まで帰ってこないよ。それより僕の部屋に行こうぜ」

 手招きする。玄関からすぐ手前の右の通路を進み、左手にあるドアノブを回した。

「へぇ~、ここが晴の部屋なんだ」

「この辺りに荷物置いてよ」

 清掃は行き届いているはずだ。

「やっぱり、お菓子もってきたよ」

 望は背負っていたリュックを下ろすと、中からスティック菓子とポテトチップスの袋を取り出した。

「そんなに気遣わなくてもいいのに。でもありがとう。そしたらいっしょに食べよう! 器取って来るね」

 部屋を出て台所の方へ行き、大皿を取ってから戻ると、望はテレビの傍にある筐体に釘付けになっている。

「これって最近出たやつ?」

 最新のゲーム機だ。成績が良かったご褒美に、わざわざ父さんが買ってくれたのだ。

「そう、お父さんにもらったんだー」

「いいなぁ、僕は他のところの古いやつで……」

「そしたらこれで遊ぶ?」

 筐体からゲームソフトを引き抜いてラベルを見せる。

 最近人気のシューティングゲームで、まだ持っている人は少ないはずだ。

「あ、それ! やる!」

 こうして望とのゲームが始まる。友達が来た時のためにと父に頼み込んで買ってもらった新品のコントローラを望に渡していっしょに遊ぶ。

 2時間ぐらい遊んでいたか、望が「ちょっと疲れた」というので、ゲームの電源を切った。

「マンガの続きを読んでもいい?」と望が言うので、

「いいよ。ここにあるはず」

 棚から続巻をがっぽり引き抜いて晴に渡した。

 二人して床のカーペットの上に寝ころんだり、ベッドを背もたれにしながらまったりとした時間が続く。またしばらくして、

「読み終わった~」

「……どうだった?」

「晴ってマンガのセンスいいよね。……恋愛要素強めだけど」

「確かにそうかも。可愛い絵柄の方が好きなんだよね」

 本棚は二重構造になっており、手前のロックを外して、奥の方に隠したマンガを望に見せる。

「ねぇ、晴は何で本にカバーしてるの? しかも表紙と内容全然違うし」

「親にバレたくないからだな」

 俺は正直に言った。

「こっちはなんか役立つマンガって言うか、固い内容の本だね?」

「そっちは親の趣味。僕の趣味はこっち」

「晴は少女マンガとかの方が好きなんだね」

 少女マンガはいろんな意味で派手な描写が多い。バトルというよりは関係性に主眼を置いた、生々しいものというか……

「あ、それはダメ!」

 望が一冊のマンガを手に取っているのを制止しようとして、床に散らばっていた本で体勢を崩した。

「おお!?」

 僕は奇声ととともに望に覆いかぶさってしまった。

「いてて……ごめん。望くん大丈夫?」

「いや全然、痛くもないし……」

 望の右手親指が、ぺージの中ほどを押さえている。

 めくられたページには男女の生々しいキスの描写が描かれていた。

――好きな人にするのは普通さ。

 そんな本が自分の棚に置かれているのが急に気恥ずかしくなって、僕は望から離れた。

「そろそろ、勉強しよっか!」

「そ、そうだね。そのために来たんだもんね」

 散らばっていた本を戻して僕は机から、望はリュックの方へ行くと、各々の教科書を持ってテーブルに広げた。

「どこから始めようか?」

 僕の提案に、

「えーと、それじゃあここから……」

 望に教えるため隣り合うように座る。

 望はけっこう真剣に勉強するためにきたのだろう。教科書には印があちこちついていて、質問が書かれた付箋が貼ってある。

 本当はずっと遊ぶつもりだった自分が恥ずかしい。

 しばらく問題を解いていると、だんだんとこれも飽きてくる。

 欠伸が出そうになって、手で隠しながらかみ殺していると望が小さく言った。

「……ねぇ、キスってどんな感じなのかな」

「えっ」

 いきなりのことにこっちのほうがドギマギしてしまう。

 その様子を見た望もとんでもない質問をしてしまったと、

「ご、ごめん。やっぱりなんでもない!」

 二人して押し黙る。

 これは多分、あのマンガのせいだろう。

……昔はよく、母さんがキスをしてくれた。

 もちろんほっぺたにだけど。慈しむように、かわいがるように何度もしてくれた。

――晴くんはもっと頑張らなきゃ。

 いつから、僕へのキスは頑張ったごほうびになってしまったんだろう。

――好きな人にするのは普通さ。

「……キス、する?」

 僕は言った。

 言ってしまった。

 心臓のバクバクがひどくなって、きっと顔が赤いのはバレバレだろう。

 それでも。 

「…………うん」

 じゅうぶんな間のあと、望はそう言った。

「……僕も知りたいから」

 傍にいた望が隣から、もっと近づいてくる。

 もう目と鼻の先だ。

 目の周りの肌の質感も、白い肌の儚い具合もすべてが透き通って美しく見える。

 望が目を閉じると、僕も気恥ずかしくなって目を閉じた。

 僕ではない望の感覚が触れる。

 好きな人。

 幸福がそこから拡がって来た。

 もう止められなかった腕を伸ばして僕は望を抱き寄せる。

 偶然だったけれどこの瞬間待ち望んでいる自分に気が付いた。

 いつから? 分からない。

 でも僕は望のなかにずっと美しさを見ていた。

 幸福。

 そのただ中にあって、僕はいつのまにか入口の扉が少し開いていたことに気付かなかった。

「なにしてるの? 晴」

 学校で知らない生徒が話しかけてきた時みたいな、他人行儀で冷たい声が僕を刺した。

「お母さん!」

「……私、勝手にあげていいって言った? 言ってないよね?」

 茫然自失から僕はすぐに跳ねるように立ち上がっていて、傍らの望を見下ろしている。彼の戸惑った目線を受けて、それから母さんを見上げた。

「帰して」

 一瞬の間の後、雷に打たれたように望は教科書も何もかもをリュックに詰めて、去り際に母に挨拶して、家を抜け出すように出ていってしまった。

 まずい。

 見られた。

 ぐるぐると回る思考の中、僕の両肩に手を置いて、母が言ったひとことは、

「晴くん、変。最近ずっと変だよ。あの子のせいなの? だったら親としてきちんとしつけてあげないといけないよね」

 変、変。

 初めて言われたことだった。

 でもそれを誰よりも敏感に感じ取っていたのは母だったのだ。


「行ってきます」

 翌日、母さんはいつもの調子に戻っていたけれど、『変』というその言葉が渦になって胸の中で荒れていた。

 怖い。僕はおかしいのだろうか。

 そのひとことを振り切ってほしくて、お昼の時間、駆け出すように望のもとへ走った。

「昨日はごめんね、無理言っちゃってたみたいで」

「僕も嘘言ってゴメン。本当はお母さんはダメって言ってて、それでも望くんに、うちに遊びに来てほしかったんだ」

「そうだったんだね。……でも僕は、嬉しかったよ?」

 望の表情をまじまじと見る。

 僕はそこで気づいた。

 ああ、僕は望のことが好きなんだ。


 すこし気持ちが回復して、下校時は朝よりもいきいきと足が進む。

 謝ろう。

 きっと母さんの誤解は解ける。

 あのキスは遊びだったんだって、脅かすためだったんだって、なんでもいい。

 とにかく理由なんかつけて、誤解を解くんだ。

 母さんは僕を信頼してくれている。きっと大丈夫。

 だから――――、

「ただいま、お母さん」

「お帰り、晴」

 リビングでゆっくりしていたようだ。ソファに凭れる母に、

「昨日のことだけど、勝手に友達を家に呼んでごめんなさい。それにあれは罰ゲームだったの! 相手の嫌がることをするっていう罰ゲームで――――」

「大丈夫。お母さん分かってるから」

 ぞっとした。

「分かってるって――――」

「晴くんはまだ若いもんね。なんにでも興味を持つのは仕方ないことだもんね。お母さんは心配してないわよ。今後はあの子をうちに呼びたいなら、お母さんに言いなさいね?」

 なんだ、分かってくれてたんじゃないか。

 ほっとして、

「分かった。心配かけてごめんなさい」

 そう謝ると、僕はランドセルを置くために自室へと向かう。

「――――なにこれ」

 何も、ない。

 お父さんがくれたゲーム機も、本棚に置いてたマンガも、お母さんがくれたぬいぐるみも全部なくなっていて、学校の教科書や母さんが置いていった堅苦しい本だけが代わりに棚に差さっている。

「お母さんに任せて」

 後ろから頭を撫でられた。

「晴くんのことよくわかったから。これ以上おかしくならないように、お母さんが導いてあげるからね?」

 そこはもう、僕の部屋ではなくなり。

 僕が僕でいられる場所はなくなり。

 僕の『修理』が始まった。


「晴くん、おはよう」

 いつものように、学校で望が話しかけてくる。

「………うん」

 話しかけないで。

「どうしたの?」

「……なんでもない」

 僕は変、変なんだ。

「あのさ、僕もお母さんにも聞いてみたんだけど、晴くんのこと話したら今度遊びにおいでって言ってくれてさ」

 やめろ。

「よかったら……僕んち来ない?」

 やめろ。

「俺は、行かない」

 ――その僕って言うのから、まず止めようか。

「俺、もう望に勉強教えられなくなる。来年中学受験するから、教えられなくなった」

 ――あの子と付き合うのはもう止めなさい。

 ――晴、お母さんのお父さんのいない間、お母さんの力になってあげるんだぞ。

「だから、ごめん」

 俺は望から逃げるようになった。


「ほら晴ちゃん。もっとこういうのを読みなさい」

「ほら晴ちゃん。もっと完璧になりなさい」

「ほら晴ちゃん。もっとお父さんみたに立派になって」

 お父さん。はやく帰ってきてよ。


 望は、わざわざ俺の教室まで来るようになった。

「晴、僕やっぱり悪いことしたよ。遊びにいってごめん」

「……お前は何もしてないだろ。俺が勝手にやったんだからさ」

「晴のお母さんは、僕のこと何か言ってた……?」

「何も言ってねぇよ」

「ならなんで最近、晴は僕に冷たくするのさ……」


 それは、僕が変だから。

 望には迷惑かけたくない。

 母さんにも父さんにも迷惑かけたくない。

 おかしいのは僕。だから――――


「お前は友達じゃないから」

 望は言葉を失った。

 それはきっと望に対して、一番最低なひとことだったと思う。

 しまった。そう思った時にはもう遅かった。

 ぐらりと望が倒れるのを、俺は支えることもできなかった。

「おい望! 起きろよ望‼」

 目線が揺れ、痙攣が始まっている。

「先生を呼んでくるから待ってろ!」

 クラスの誰かが教室から駆け出していった。

 結局先生が来るまで俺にできることは何もなくて。救急車が来て望は、その日から再び学校に来なくなってしまった。


「汐崎。何があったか知らんが、一度くらいは灯下のところに行ってやれよ」

 担任の先生は俺にそう言った。

 俺にその資格があるのか。

 俺は果たして、どうなりたかったんだろう。


「わざわざ、来てくれたんだね」

 病院での望は、初めて会った時以上に衰弱していた。

「おう。……いつ頃退院予定なの?」

「……まだ分からない」

「……そっか」

 あの日、何かが俺たちの間で分かたれてしまった。

 そうしたのは間違いなく俺で。

「具合悪くしたのは、俺のせいだよな」

「そんなことない!」

 望は強く言うと、再び咳き込みだした。

 伸ばそうとしたその手を、俺は引っ込めた。

「……俺、もうここには来ないから」

 望とはそれきり会うことはなかった。

 俺は自分が分からなくなった。

 男を好きになるのは、変なことなんだ。

 だから、俺が織櫛あいを好きになった時、俺は心底ほっとしたんだ。

 自分は正常なのだと、そう思えたから。

 織櫛あい。俺はお前を手に入れたい。

 …………本当に?


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