第20話 悲劇の始まり
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
1巻の最終話になります。
食事も買い物も終わって、最後にもと花の提案で2階部分のチェーン店のイタリアンファミレスに来た。
「風が気持ちいいね」
建物外側に大きくとられた回廊部分のスペース。そこに置かれたウッドチェアに凭れかかりながら、時折吹き抜ける風が心地よい。
外はもうすっかり暗くなっている。
時折テーブルの上のジュースを飲んでは、すっかり食べ終わったハンバーグのソースがまだ少し皿についているのを見て、不意に寂しさがこみあげてきた。
「今日はありがとう。僕の我儘に付き合ってくれて」
「ううん、すごく楽しかったです。……わたしこんな風に男の人と遊んだことってなくて」
そう言ってもと花は自分を落ち着けるように一口ジュースを飲むと、
「誰かと遊ぶなんて随分久しぶりでした。正直、今日ここに来るのが少し怖かったんです。……わたしは知らないうちに敵を作ってしまうような人だから……」
「気にしすぎだよ」
私は笑ってもと花を安堵させようとする一方で、もと花の中に踏み込んでいいのか迷った。
英吾というまだ会って日の浅い男がそこに踏み込むのは良くない気がしたからだ。
もと花は変わりたいと言っていた。
わざわざそう話すからには、むしろ聞いた方がいいのではないか――――私の決心は決まった。
「……僕が見たあの子と、関係がある?」
もと花は控えめながらしっかりと頷いた。
「わたしは部活の先輩から嫌われているんです。嫌がらせを受けてから部活を辞めて、それからすっかり人との付き合い方が分からなくなってしまったんです。人との距離の取り方、話し方……いつも自信がない。相手が何を考えているのか分からないのがたまらなく怖い、嫌われることがいつも怖いんです」
いつか同じようなことを聞いた。それはきっと、去年の図書室でのことだ。
「――それは普通だよ」
私の言葉は、私自身の思いは決まっている。
「僕だって同じさ。こんな風にしてても、いつも誰かに素を見せることを怖がっている。臆病な僕は、昔からしっかりしているところを見せなきゃだとか、嫌われたくないだとかそんなことばっかり考えて、誰からも好かれようとする方法をいつも選んでしまうように成長してしまった。そんな時に入った生徒会が、それは間違いだと教えてくれたんだ。そこで僕が感じたのは、勇気を持つことだと思った」
「勇気……?」
勇気。それは実際には教わった物じゃない。
私が生きるための術だった。
「生徒会は運営する側。だからなんでもはいと答えればいい場所じゃない。相手の話を聞いてその通り実現すべきことなのか、それとも妥協すべきことなのかを見極めながら自分から解決策を探して行動していかなければいけない。その過程では当然嫌われるし、常に評価がつきまとう。そんな中で自分を保ち続けるために必要なものが、勇気だった。……嫌われる勇気というのかな。自分がどうしたって変わらない、変えられないことっていうのは絶対にある。それを受け入れた上で、立ち向かう……それが大切だと僕は思う」
私の思いを聞いたもと花は、ゆっくりと噛みしめるように呟いた。
「……そんな風に考えているなんて、英吾さんは凄いです」
「凄くなんかない。……時々自分が怖くなるんだ。自分が間違っていないと、誰かに支えてほしくなる、そんな時がある。僕は君と何も違わないよ。ただ少し、強がっているだけ」
自虐的に言う。
そう、強がるしかない。
誰も手を差し伸べてくれない環境の中で生きるためには、そうしなければ生きられなかったのだ。
少し、重い雰囲気になってしまったかもしれない。
話す内容としては失敗したかも……。
「あ、あの!」
俯く私に、もと花が声をかける。
「また……今日みたいにいっしょに遊びませんか⁉ わたしにできることは全然ないですけど……もし浅野さんが嫌じゃなかったら、わたしはもっとお話ししたいです!」
ピシッ。
私の中で何かが砕け始める。
「わたしが一番辛かった時、話を聞いてくれる人がいたんです。彼女は否定も肯定するでもなくただ話を聞いてくれて……誰かに話して理解してもらうことって、とても大切だと思うんです。だからわたしも、英吾さんにとってのそういう人になれたらいいなって……」
もと花の顔がボッと燃えるように紅くなった。
嬉しい言葉のはずなのに。
ビシッ。
その言葉を、“欲しかった”救いの言葉を、私がもと花の口から言わせたことに気付いた時。
バキッ。
「え? え⁉ あ、わたし変なこと言っちゃっっっ」
心が軋みだす。
もと花の目からは、きっと笑っている私が映っているはずだ。
「……嬉しいよ」
でもそれは違う。私は自分を笑ったのだ。
私は、最低だ。
もと花は英吾のために、もと花にとってのあい(私)みたいな存在になろうとしてくれているのに。
それなのに私は……もと花を自分の意のままに利用しようとしている。
自分に亀裂が入っていく。
痛みで涙が流れる。
今になって気づいた。
私が男になろうとすることはつまり、
「いや、凄く嬉しいよ。そんな風に言ってくれた人は初めてで……」
つまり、『織櫛あいを壊す』ことなのだと、今更になって気づいた。
もう退くことはできない。
織櫛あいが理解されることはない。
理解されてはいけない。
背徳と罪悪感の果て、私は自分を捨てて、“浅野英吾”になるしかないのだ。
英吾ともと花は、出会ってしまった。
狼狽するもと花が私の涙を見て、椅子から立ち上がって近づいてくる。
目の前にいる彼女は、両手で私を抱きしめてくれた。
「大丈夫だよ。間違ってなんかないよ」
その優しさが愛おしい。その優しさが苦しい。
それを享受したかったのは私だったはずなのに。
「僕はっ……」
視界の向こう。もと花の背中越しにテラスの対岸のほうから向けられる視線がある。
汐崎晴。あいつが私を見ている。
私を非難する、断罪者の視線が。
でもそんなことはどうでもいい。
罪人の私がどう思われようが気にはしない。今はこの、私だけに向けられたもと花の優しさに浸りたかったから。
たとえ偽りの優しさになるとしても。これは私に向けられた、確かな愛なのだから。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
もと花と結ばれるために、嘘を貫くことを決めたあい。
次章に移り、その行方を追っていただけると幸いです。
次章は2023.7.9を予定しております。(2023.7.8.22:00現在)




