第2話 桜庭もと花について。
なろうにおける本文の適切な長さが分からない……なので、
原稿の区切りのよさそうなところでカットしてます。
が、こうした方がいい!というのがあれば知りたいです。
体がびくんと跳ねる。
拭おうとした私の涎がノートにぽたりと落ちた。
「うへぇ」
授業中なのに慌てて声を潜めた。わたしの動きに反応してか、教師は一瞥したが、怪訝な顔をしただけでそのまま授業を続けた。
教科書で隠したノートに書いた奇妙な動物のイラストはインクが滲み始めている。
頬杖をつくようにして右手の袖口で口元を拭いながら、左手に握ったハンカチでノートの涎を拭いた。
まったく体育の後はどんな授業が来ても最悪だ。集中しようとしても体がついてこない。
欠伸をかみ殺して教科書を置き直すと今が保健の授業だったのを思い出す。
保健って退屈だ。
バカなわたしでも試験直前の浅い勉強で割と高得点が取れてしまう、そんな科目。
聞いてたって無駄だけど、聞いている風にしてなければならない。
それが学生の本分であるからだ。
黒板にはえるじーびー……なんて読むんだろう? Tより後の意味は分からない。
それでも意識が高そうなクラスメイトたちは何をかそんな真面目に聞いているのか……いや、寝てる人もいるか。
と、彷徨わせた目とぴたりと合う視線が合った。
腰まで伸びそうな長髪に、瓜実顔のうえに乗るぷっくりとした唇。そしてくっきりと主張する二重の目。女性でありながら男性のような力強さも感じさせるすらっとしたシルエットは、優美で威圧的で、中性的な顔立ちには彼女の芯の強さがそのまままっすぐ浮き上がったかのようである。
いつからあいちゃんはわたしを見ていたのだろう。
「はっ!?」
――涎、見られたっ!?
かっと頬が熱くなる。
あいちゃんが小さく笑みを浮かべたのをわたしは見逃さなかった。
もう!
心の中で憤慨する。
こんな授業とっと終わってしまえばいい。そしたらあいちゃんに一言「見んなーっ!」って、言ってやるんだ。
「やっと終わったよ~」
3限目体育、4限目保健からのようやくの昼休み。まったくこんなカリキュラムを考える奴
はどういう根性をしているのだろう。
席に座ったまま伸びをしていると、あいちゃんがこちらの席へやって来るのが見えた。
「お昼にしましょ」
あいちゃんの右手には弁当箱の入ったパンジーみたいな黄色い花柄の巾着が握られている。
「あいちゃん、さっきの見てたでしょ?」
「ふふっ、可愛かったわよ?」
「もーっ!」
わたしは両手を伸ばして威嚇しようとして、体のしんどさのほうが勝った。首を揺らしてコリをほぐしているとそんなわたしの様子にあいちゃんは微笑みながら、隣の空いている椅子
をわざわざわたしの席の正面に持ってきた。
机を囲んでお互いに弁当を広げる。わたしはタッパーのツメを外して持ち上げると、カレーの臭いがむっと沸き立った。
「うへぇ、外れだ」
カレーが半分とブロッコリーにシーチキン、そして申し訳程度に添えられたトマト。
全て昨日の晩飯の残りである。
一方、あいちゃんの弁当はというと――――。
しそ巻チキン、れんこんの煮つけ、ちりめんの入った卵焼きなどなど……。
「美味しそう」
すっかりそれに夢中になっていたわたしは目線を上げると、あいちゃんはちょっぴり恥ずかしそうに照れ笑いしている。
いかんいかん。あいちゃんはいつも旨そうなものを作ってくる。いつももらってばかりじゃいけない。
カレーを食べながら、目がついついそちらを向いてしまう。
「食べる?」
こちらの様子を察して、あいちゃんは目玉焼きを箸でつまんだ。いっしょに揺れる肩先の長髪が妙になまめかしい。
「う、うん!」
頷いてしまうと、わたしも何かあげなきゃとカレーをスプーンですくった。
そこで気づく。これ、間接キスになるじゃん。
「なんで固まってるの?」
あいちゃんが可笑しそうに笑った。
まぁ、いいか。
気にすればするほど恥ずかしくなってしまうものだ。
あいちゃんからわたしへ、わたしからあいちゃんへ。
口に含んだ卵焼きは噛めば適度な弾力があり、それを崩せば、中から野菜の味が沁みて来る。ほうれん草だろう、卵特有の甘味に塩気がきいて、これ一つであいちゃんがどれだけ料理上
手か知れるというものだ。
うん。ママより絶対料理上手だな。
「美味しい?」
「うん、凄く美味しい。毎日うちのお母さんの代わりに作ってほしい」
「お嫁さんになったげてもいいけど?」
いやいや…とわたしは手を振った。何故だか耳が熱い。
あいちゃんのジョークは本人の顔が整っているせいか、いつも妙に真剣さが感じられてドキドキさせられてしまう。
……こんな幸せな時間を過ごせるようになったのも、あいちゃんと出会ったおかげだ。
友達と語る幸福な時間。ふつうの日常。
それを意識するとき、心の中のどこかではいつもあの、いじめられていた時間が頭を過る。
ふと心が遠くにいってしまって、わたしは嫌っているその女の子がいまも教室にいるんじゃないかと探してしまって――。
「美味しい?」
いつの間にかあいちゃんがわたしの手を握っている。
「だ、大丈夫!」
耳が熱い。わたしは咄嗟に手を振り払ってしまって、後から後悔した。
「これもあげる」
あいちゃんはそう言うと今度は箸でれんこんをつまんだ。まるで自分のためではなく、わたしのために弁当を作ってきましたと言わんばかりだ。
初めて会ったときはもっとこう、クールビューティーな印象だったのになぁ。本当のあいちゃんは結構あまえんぼうなのかもしれない。
でも友達のそんなところもわたしは好きだ。
1年生の冬。わたしは入っていたバドミントン部を辞めた。
体を動かすのが好きだったからというそれだけの理由で入ったのに、飛んだり跳ねたりが性に合っていたのだろう、わたしはメキメキと実力をつけてしまった。
それが一人の女の先輩の癇に障ってしまった。
当時は分からなかったけど、中学2年生になった今では分かる。学校という空間は一部の主要な人物がフィーチャーされる舞台だ。いじめる人、いじめられる人、そしてそれを見る観客。
わたしは、気づけばいじめられる側になっていた。希薄な観客になりたかったけどそれは自分が選ぶのではなく、周りからそう仕向けられるものであるらしい。
件の女子からいじめを受けると、それにならう人が増えた。
もう居場所はなかった。
退部届も出さないまま逃げたわたしに居場所をくれたのが、織櫛あいその人だった。
1年生の冬、図書室で知り合った彼女とわたしは同じクラスメイトだったけど、それまではほとんど話したことがなかった。わたしだけじゃない。教室の皆が彼女の美貌、近寄りがたい雰囲気、素っ気なく口数の少ない、遠慮のない言葉遣いに阻まれていた。
「私といっしょにいればいい。そうすればもう、嫌がらせを受けることもないわ」
彼女といっしょにいて、何気ない話をするうちにわたしたちはいつの間にか友達になって。
2年に進級しても同じクラスになった。
いまのわたしは、守られるように彼女の傍にいる。




