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第18話 もと花と英吾のデート➀

 わたし、桜庭もと花が早起きしたのは久しぶりだった。

 昔はそんなことはなかった。自然教室の日も、中学校入学式の日も、去年あった部活の大会の日も、いつもきちんと自分で起きていた。

 それが今ではだいたい父や母に起こされて起きている。自分で起きるよう努めているが、割といつも遅刻ギリギリな気がする。

 わたしは昔の自分を失ってしまった。

 そしていつの間にか、何があってもどこか冷めた目で世の中を見つめる自分がいた。

 思えばそれは、生まれつきのものであったように思う。

 友達は何が好きだとか、家族は、場はわたしに何を求めているのかだとか、そういうことを考えるようになったのはいつからだろう。

 世の中の期待を裏切ることがわたしは怖い。だからいつもわたしは、誰かにとってのわたしになろうとしている。そのつもりはなくとも、積み重ねた経験が自分に警告するのだ。

 だから、いつも朝の私はぐったりしているのだろう。

 今日が早起きしてしまったのは、ここ最近身の回りで起こる奇妙な出来事のせいだ。

 誰が好きとか嫌いとか、そんな中にわたしは放り込まれている。

 今日は図らずもデートの日になってしまった。

 わたしはどうしたらいいんだろう。

 知り合ったばかりの英吾くんと近場のショッピングモールに行くことになった。

 ケータイショップでスマホを診てもらい、ケースを買った後は建物のなかをいっしょに見るつもりだ。

 これじゃデートだ。本当なら先に山谷先輩といっしょに行くべきだったかもしれない。

 でもわたしは、これまで感じたことのないときめきを英吾くんに感じていた。

「英吾くんのこと、もっと知りたい」

 布団の上でしばらくぼーっと天井を見上げながらそんなことを考えていた。

 時間を見て起き上がり、私服に着替えると部屋を出た。

 リビングの向こうからソーセージの香ばしい匂いがやってくる。

「おはよう」と言いながら母の傍に寄った。

「朝食はもうできてる?」

「めっずらしいこともあるもんねぇ。ちょうど出来たところ」

 そう言いながらエプロン姿の母は、キッチンカウンターに並べた皿へ盛り付ける。わたしは母の指示で焼けたばかりのパンを自分の皿へ置いた。

「出かけるんでしょう? 先に食べなさい」

「ありがとうお母さん。それじゃあいただきます」

 目に飛び込んでくるおいしそうな朝食にお腹が鳴った。ソーセージにスクランブルエッグ、レタスにパン。わたしはもくもくと食べ始めた。

「おはよう」

「お父さん!」

 父は眼鏡の下の眼をこすりながらリビングにやってくる。

 気だるそうにテーブルにつくと、カップに入った冷たいコーヒーに口をつけた。

 地味な白いポロシャツを着て右腕には時計を巻いている。

「お父さんおはよう」

「この時間に目を覚ますなんて珍しいな。どこかで出かけるのか」

「うん。友達と、ね」

「男か」

 冗談めかして聞く父に、

「デートよ」

 母は答えた。

「デート!?」

 父が素っ頓狂な声を上げる。

「恋人でも作ったか! どんなだ?」

 と前のめりになっている。

「違うでしょ。この間話してた、ほら、スマホケース壊しちゃった子」

 わたしは呆れながら言う。

「あーその子かぁ。てことは、もと花はその子と商店街にでも行くのか?」

「いや、向こうの提案でこの間できたショッピングモールに行くことになった」

「わざわざ行くんだろう? やっぱりデートじゃないか」

 父はまるでペットショップで見かけるうさぎの如く目を爛々とさせている。

「違うよ! 違うと思うけどさぁ」

「分からんぞ人生はぁ。俺が母さんと出会ったときなんて……」

 この話は何度も聞かされている。うんざりするわたしを見透かして母が早々に話を切った。

「あなた今日は何時ごろ終わりそう? はやく帰る予定ならどこかいっしょに行きましょうよ」

「役場の意見交換会だからはやくは終わんないぞ」

「あなたが休みの日だと思ってたから、せめて外食くらいはしたいわ。もと花も外でたべてらっしゃい。そのほうがゆっくりできるでしょ」

 これで夜食べなさいと、母は私にお札を差し出した。

「そこまで気を遣わなくても……」

 と言うわたしに母は意味深に微笑むだけだ。

 これはアレだろう、母も表立って言いはしないが、嬉しいのだ。

 お父さんは「終わり次第連絡するさ」と言いながらテレビをつけた。

 ニュースキャスターが読み上げる声が耳に入って来る。

「――毎年四月ごろ行われるレインボープライドがきっかけとなり、今年の秋には、ここ緑陵市でもイベントが行われる模様です――」

「うへぇ仕事のニュース見ちまった」

「仕事?」

 わたしが思わず聞き返すと、

「そう、このカラフルパレットとかいうイベント運営についての意見交換会を今日やるわけ」

 お父さんは言葉を切って食事を進めながら、

「性的マイノリティの社会容認を普及するイベントなんだとさ。もっぱら同好の士を集めてお話ししたり食事をしたりするらしいが、俺には正直よく分らんね。普通が一番さ」

「普通……」

 私はその言葉を繰り返した。

「結局のところ人口が増えない事には経済は活性化しない。経済が活性化しないってことは、社会が発展しない。産めよ増やせよをうるさく言う気はないが、それでも多様性をとにかく受け入れろって言う今の流れは、いっとき人口を減らす方へ傾かせることになると俺は思う。少なくとも生物学的には異常さ。これが欧米からきた考えなのか、それとも日本人の総意なのかは分からんが、彼らが権利を主張するのなら、お父さんは今この時代の仕組みも維持されるべきだと思うけどね」

 なかなか難しいことを言う。

「市役所勤めてると、そういう話もするんだね」

 あまり興味はないが、相槌程度にわたしは言う。

「まあな。しかし、世の中の動きを知っておくのは“普通”だ。それが自分の身を守る術にもなる。もと花、今のお前の仕事は夢を見つけることと、そして勉強をすることだ。そして社会常識を身につけていくことも大切だ。恋愛も勿論。いろんな人を知ることは、もと花にとってきっとプラスになるだろうからね」

 お父さんは嬉しそうに言うが、正直このテの話はうんざりしている。

「ごちそうさま」

 わたしは手早く食事を済ませると、食器を片付けて一度部屋に戻る。

 格子状に編みの入ったピンクの手提げかばんを引き寄せると、足早に玄関口へと向かった。

「何履いていこう……これでいいや」

 わたしは白いタンポポのあしらわれた花柄のパンプスを選択する。履きやすいしお気に入りなのだ。

 座りながら足をかけ終えたところで、後ろから「もと花」と声をかけられる。

 お母さんだ。

「お父さんのことは気にしないでね。気を付けていって来いよ。楽しんできなさい」

「うん。それじゃあ行ってきます」

 わたしはそう明るく答えて、外へと飛び出した。

 門扉を抜けながら、わたしは父の言っていたことに思いを馳せた。

「“普通”、か……」

 いろんなことが頭を駆け巡るけれど、

「私は、もと花のことが好き」

 思い出されるのは、食堂で言われたあいちゃんの言葉だった。

 お父さんの言うことはもっともだ。

 全ての人が主張する権利が保障される世界は、きっと成り立たない。

 だから、これまで続いていた社会の仕組みを軸にして考えるのは当然のことだ。

 普通、普通。

 学生の本分。年齢的な役目。役割。やるべきこと。やってはいけないこと。

「普通であることって、そんなに大事なのかな」

 あの時のあいちゃんは、どんな気持ちでわたしに言ったんだろう。

 その気持ちを、わたしはまだ掴み切れていなかった。


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