第17話 計略を巡らせて
俺、汐崎晴にとって学校はテーマパークでしかなかった。
毎日誰かが話題を起こす。たとえそれが小さなことであっても、誰かがスクープすればそれは大きな関心事になる。
クラスの俺がつるんでいる奴はどいつもこいつも嫌われ者だ。
暴れたりたばこやったり酒やったり、パフォーマンス的にモノを壊してみたり……まぁどれも結局、自分が気持ちよくなるために相手に嫌なことをするという点が全く一緒だ。
つまりは馬鹿野郎ってことだ。
誰かをいじって遊ぶ。そんなものに俺は興味ない。
なのにそんな輪の中に俺がいるのは、とかく誰からの干渉も受けないからだ。
腫れ物扱いされてさえいれば、俺の領域の中に誰かが入ってくることはない。
俺が求める立ち位置とはつまり、そういう立ち位置だ。
恐れられ、近づきがたく、親しくもされない存在。
どんなクズでも友達はできる。俺が必要なのはそういうクズだ。
そういうガワが、俺にはあればいい。
緑陵中学校・そして高校はいわゆる対外的には“清い学校”で、そんな俺の意向を叶えるには都合がいいところだった。
生徒の自主性を重んじるなどという不干渉と放任主義の真意を包み隠し、進学率と進学先の良さをアピールするだけのこの場所は。
なんてことはない。この学校も結局は他のところと何も変わらないのだ。
成績さえよければそれでいいという思いが透けて見えるこの学校では、それさえ良ければほとんどのことは目を瞑る。
例えばこの俺の金髪とか。
教師はそういう問題児と露骨に距離を置くか、近づいて自分に非が及ばないよう仲良く取り入ろうとするいけ好かない連中ばかりだ。
たまに妙な正義感を持った教師が義憤に駆られなければ、生徒や教師同士のいがみ合いも時間とともに立ち消えて、問題は解決されないままに埋没、そして生徒は卒業していく。
学校は真の学び舎ではない。テーマパークなのだ。
そんなテーマパークも、一年も経験すれば飽きは来る。
初めの頃は嫌われ者同士で馬鹿やったり評判の悪い上級生と交流なんかして、この立ち位置を得るための努力したけれども、結局それは付き合いのための社交辞令で。
初めから興味のないゲームをやったってワクワクするはずはなかった。
そんなときに現れたあいつに、俺は興味を持った。
織櫛あい。
女の癖に男の外見になったりして、桜庭が欲しいのかなんて俺の問いに否定すらできない。
図星で笑いそうになる。
でも性別を変えようとしてまで全てを手に入れようとするような欲深い性格は大歓迎だ。
案外、俺に似ているのかもしれない。
「おもしれえ」
だから惹かれたんだと思う。
こいつが何を見せてくれるのか。それはきっと、今まで見たことのないものだろうから。
次の日から、私と晴は隙間の時間を見つけては会うようになった。
あの後この男と強引に連絡先を交換することになってから、早速次の日に会う段取りをつけられてしまった。
私は先生に呼ばれたことにしてもと花とは帰らずに、汐崎との時間を取ることになったのだ。
下校のチャイムと同時に教室を抜けてしばらくしてまた自分の教室へ戻ってくると、そこにいた汐崎は「よっ」なんて軽く挨拶を返してきた。
「話すのにいい場所がある。ついて来いよ」
昨日とは違って何かされるかもと警戒したが、あっけらかんとした彼の態度にこっちまでペースを持っていかれそうだ。
気を引き締めてついていくと、私の前を進む晴は話し始めた。
「昨日俺たちが会ったトイレな。あそこは俺たちが息抜きするときに使ってたりするんだ。だから使わねぇ方が賢明。着替えるなら1回の保健室のあたりの方がいい。あそこは近くに普通のトイレと来客用のトイレがある。来客用には札が貼ってあるが、生徒が使っちゃいけない決まりはない。みんな入りたがらないけどな。他校の生徒って体なら、なおさら使ってもなんも言われねぇだろ」
「息抜きって何」
「たばことかゲーム。俺はヤニ嫌いだけど」
全くとんでもないことになってしまった。ただでさえもと花に攻撃してくるあの女の動きに気を配っていなければならないというのに、山谷にコイツ……。
「すまない」
頭の中で英吾が項垂れるのを感じた。
「気にしないで。しょうがないわ」
「なんか言ったか?」
階段を昇りながら晴は言った。
「なんでもない。それより、どこに向かってるの」
「屋上」
「屋上……?」
私の知る限りでは国旗掲揚の際に一部の生徒が上がるくらいだが、普段は鍵がかかっている場所だったはずだ。
「鍵持ってるの?」
「ない。でもコツがあるんだ」
階段が4階部分へ差し掛かると、陽もあたらない暗がりの中に扉が設けられている。
「こうするとな」
扉の前に立つと、晴は扉に手をかけながら片足を扉の下端へかける。
よく見ればそこは何回も同様の手口をされているのか、フレームの一部が内側へとめくれあがっている。片足を釘抜きのように差し込みながら手前にノブを引き、ノブの内側にあるつまみをゆっくりと回していき――――
ガチャン。
ロックが外れ、扉が開いた。
すっと暖かい風が抜けたかと思うと、晴は迷いなく中へと進んでいく。
ブロックタイルの床に周囲を落下防止フェンスで囲われたその空間は広々としている。
私たちのいる教室棟は東側を向いていて、眼下には山に囲まれた緑陵の街が遠く広がっている。
「屋上って繋がってるのね」
「さすがにそっちは鍵がないといけねぇけどな」
晴が指しているのは私たちの後方にある先生たちのいる棟だ。扉で仕切られていて、恐らくそこには下へ続く階段もあるのだろう。
「よっと」
汐崎は鍵のかかっている棟には目もくれずそちらに背を向けて、一帯に設けられた花壇に近づいた。
花壇の影から晴がこちらにものを渡した。パイプ椅子、それもかなり綺麗だ。
「どっから持ってきたの」
「体育館。ここの入口にあった奴と交換してな」
来賓用の背もたれに厚みのあるやつだ。
晴は腰掛けると隣に座るように促すが、私は警戒して正面に椅子を広げたまま座らなかった。
「んで、お前はこれからどうするんだ? 当面の間は」
私は答えない。代わりに、
「あなたの目的は?」
「目的? んなもんねぇよ。……何をお前が考えてるのか知らねぇけど、俺はお前に協力するって決めたんだ」
「どうして?」
「どうしてって、なんか理由がないとだめなのか?」
晴は困った顔をする。
「いきなりみんなから嫌われてるような悪人が今さら善人面して、信用できるとでも?」
私はまだしも、もと花を傷つけるような原因になる者は取り除かなくては。
「ハッキリ言うわ。私はあなたを信用してない。協力する理由を教えてちょうだい」
私の視線にたじろぐことなく、つまらなさそうに見つめていた汐崎は、
「……お前は俺を悪人だとのたまったが、俺から言わせればお前も同じだ。桜庭もと花を手にするために男のフリなんかし始めたんだろう? 悪人じゃなけりゃお前は狂人さ。なぁお前、本当に男になったのか? どうやって? そんなマジック見せられて、放っておくわけねえだろ」
突然椅子から跳ね起きたかと思うと、威圧するように顔を寄せてきた。
やっぱり。こういう手合いはそういうことをする。面白いものを見つけたら、底が割れるまで暴き立てるのだ。そうして握った秘密をいつ明るみに晒そうかとこちらの反応を伺い、最低なタイミングで晒してのけるのだ。
どうする。怒りで腸が煮えくり返りそうだが、力でどうにかなるような相手でもない。
しばしの沈黙の後、先に引いたのは汐崎だった。
「――ってのは冗談だ。俺の本音は一つ。お前と俺は似ている、だから力になりたい。それだけさ。そのためにまず聞きたいのは、お前がどうやって男になってるかってことだ」
「どういうこと?」
私には意味が分からなかった。
「言葉通りの意味さ。お前がどうやって男になるのか。それが聞きたい」
「あぁ」
私は理解した。理解したが、どうやって説明したものか、よくわからなかった。
私がそう祈れば、英吾がいつの間にか私を英吾にしているのだ。
英吾の体を借りて、私は男になっている、と言って良い。
そんな話をしたところで納得するのか。
「化粧か? ○○が必要なんだろ?」
晴が言ったことが急に聞き取りにくくなった。
「昨日お前トイレにいたもんな。○○がお前の変化のトリガーになってんだろ。随分気合が入ってたもんな。チークとかブラシだとか使ってさ……」
耳鳴りがする。耳鳴りがして一瞬何も聞こえなくなったかと思うと、
「そういうことなんだろ?」
「え、ええ」
不意に耳鳴りが止んで、今度は足がぐらぐらし始める。落ち着かない。
「おい、聞いてんのか?」
いつの間にか、汐崎が私を覗き込むように見ている。
「えぇ、大丈夫」
「あい、落ち着くんだ。日差しに当てられて眩暈がしているだけだ」
空から英吾の言葉が聞こえてくる。
「ごめんなさい、ちょっと眩暈がして……」
「椅子に座るんだ、あい」
英吾が再び語りかける。よろけるようにしてなんとか座った。
「おいおい大丈夫かよ。…………すまない。デリカシーが無さ過ぎた。お前が〇〇してまで、
あいつを手に入れたいなんて、相当の覚悟がなきゃできない事だもんな。こういう話し方はよくなかったな」
そう言って汐崎は自分の椅子の後ろに回り込むと、陰から小さなクーラーボックスを引っ張り出した。中から緑茶の入ったペットボトルを取り出すと、こちらに差し出した。
「飲めよ」
私は受け取るとキャップを開いて飲んだ。
「ここは日差し強かったり、風強かったりするからな。いちいち下に水取りにいくのもしんどいから、だいたいいつも用意してんだ。出入りするところ見られたら一番ヤバいしな」
「……ありがと」
体に活が戻ってくる。呼吸が安定してきたタイミングでそう言った。
「……まあ、なんにせよ切り替わるための場所が必要ってことだけは分かった。それで、桜庭とはもう連絡とったのか?」
「ええ。連絡は取ったわ。今週の土曜日にデートすることになってる」
「場所とかもう決まってるのか?」
「まだ、そこまでは……もと花のスマホケースを買い替える予定」
「ケース? なんかあったのか?」
「べつに」
「ふぅん? まぁ、言いたくないならいいや」
汐崎はそう言っていつの間にか持っていたペットボトルをあおった。
「でもそれだけじゃ味気ないわな。その後どっか行けたらいいよな。お前って桜庭とどっか行ったりしたことないのか?」
「……一度もないわ」
自分で言ってて悲しくなるが、それよりも汐崎の同情的な目線が刺さる。
「まぁ、みんないろいろあるからな。逆を言えばどこにでも行けるじゃねぇか。そうだ、二駅隣の駅前のショッピングモールに行ってみたらいいんじゃねぇか?」
ケータイショップは駅前だけじゃなく、ショッピングモールのなかにも入っている。そこで手続きができれば、あとはなかを歩いたりもできる。
「ショッピングモール……」
ありかもしれない。私は早々にスマホでその場所を検索し始めていた。
「化粧か? ○○が必要なんだろ?」
とかの○○は誤字ではなく演出です。化粧という言葉が聞こえなくなるという……。
分かりにくいかもしれません。ごめんなさい。




