第12話
2023/7/8~からの更新分です。
よろしくお願いします。
「これが、私……」
まだ、夢のなかにいるかのような気だるさがあった。
ふわふわと浮き上がるような感覚が残っていて、まるで自分が自分じゃないかのようだ。この体に慣れない。外に出たいという欲求が沸き上がって、突き動かされるように外へ出た。
玄関の扉を開けると廊下に外からの日差しが差し込んでくる。
薄青く照らされた外廊下を進みエレベーターを使って一階に、そして外へ。
一歩進むごとに、カメラのピントが合うように世界の輪郭がはっきりとしてくる。そしてそれは『あい』が見ていた世界とは異なって見えた。
うっすら漂う朝餉の匂いや、何度も踏み締められて砕けた道路の砂利の臭い。まだ活気のないコンビニの脇を抜けて、物寂しい住宅街を抜けて、私は近くの公園にたどり着いた。
淡黄色の砂をじゃりじゃりと踏みしめながら、奥の方の木陰へ進んだ。
深呼吸をする。
肺を満たす緑の香りが染み渡る頃には、ダブっていた私のガワが馴染んできた。
「少しは慣れたかな」
幻聴だ。でも以前よりもはっきり聞こえる。後ろから聞こえる風のような小さなものだったそれが、今では隣で聞く友達の話し声のように大きく聞こえていた。
「私は、『貴方』になったの?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える。今の君は、僕の殻を被ったような状態なんだ。『あい』としての自我を持っているし、『あい』として世界を認識している。しかし女性ではなく、体は間違いなく男性である僕のもの。……とても不安定な状態なんだ。酔ったような感覚があるだろう?」
目を動かせば体の奥の方がチリチリとしてくる。
「その通りかな。でもまだもう少しは話せそう」
「それならもう少しだけ耳を傾けてほしい。君は僕の力で男になった。とはいえ、それは一時的なモノでしかない。でも君が自分を見失わずに居続けられれば、少しずつ、より長くその姿のままで居続けることができるようになる。そしてやがて君は、本当に男になれる」
「自分を見失わずにって、どういうこと?」
私は尋ねた。
「君は『男』になりたいと願った。一つの人格に性別は一つだ。君は僕の支えによって、男になる。自分の意思でいつでも男になれる。僕のガワが君に男性的な振る舞いや仕草、言葉遣いを教えてくれるだろう。僕は君のことをよく知っている。どういう男性でありたいのかも理解しているつもりだ。君はその通りに振舞えばいい。言うなればこれは“変身”だ」
「変身」
英吾の口にした言葉を繰り返しながら、私は両手のひらを顔の前に向けた。
そうかもしれない。今の私は顔貌が変わっているのだ。この姿を誰かに見られても『あい』とは思われないだろう。私にはそう理解できた。
「初めのうちは慣れない感覚のせいで、頻繁に元の『あい』に戻ってしまうと思う。具合が悪くなってきたら、必ず人のいない場所で目を閉じて休むんだ。そうすればもとの『あい』に戻れる。慣れていけば変身時間は伸びて、やがて君は本当の“男性”になれる」
私は疑問に思った。
「“女性”の私は、体はどうなるの?」
「男性になっていけばなるほど、君は自分のなかの“女性”を認識できなくなっていく。そしてやがては完全に消失する。でも恐れることはない。もと花ちゃんとの記憶やこれまでの織櫛あいとしての自我を失うことはない。あくまで性別が変わるだけだ。君が自分を否定しなければ、何も失われることはない」
自分を否定しなければ(・・・・・・・・・・)。その言葉の真意を私は尋ねなかった。
「……もしあなたの言うことが本当なら、今の私には“男”になれるチャンスがある。そしてもと花と結ばれるためには、きっとそうするしかない。つまりあなたは、私が今までのまま“女性”であるのか、それを捨てて“男性”として生きるのかの選択肢を与えてくれたのね」
英吾は静かにうなずいた。
これはチャンスなのだ。
「これは残酷なことかもしれない。それでも僕は、この提案が君にとってメリットになると思った」
私は笑った。残酷なものか。
だって私が女性であり続ける限り、もと花と結ばれることはないのだ。あの先輩やあるいは誰かが将来もと花と結ばれることになる。
あの子と結ばれたいのならば私は織櫛あいを捨てて、新しい自分に生まれ変わるしかない。
だからこれは唯一のチャンスなのだ。
「いいえ残酷なんかじゃない。私は、これは贈り物だと思う。あなたから貰ったチャンスを私は必ず生かしてみせる」
女である私の人生は偽物だった。
みじめなものだった。
だから変えて手に入れて見せる。本当の私の幸せを。




