第10話 先輩からの告白。
ホームルームが終わり、放課後がやって来る。我先にとみんなが教室から離れていく中で、もと花が滑るように廊下へ出ていったのが見えた。
やっぱり、気になる。
私も遅れて教室から出ると、尾けるようにして約束の場所へと向かう。
校舎の下駄箱で靴を履き替えて左に回るとプールや体育館が見えてくる。それを迂回して、まばらに植えられたナナカマドの木々を抜けた先に工作室が見えた。
この周辺は校舎側とも距離があり、授業の際はコンクリートの渡り廊下を伝って行くことになる。課外で使用されることは滅多になく、人通りが少ないから音が漏れる心配もない都合のいい場所だ。
まるで誰もいないかのようだ――そう思ったところで、角を曲がった先から二人の男女の声が聞こえてくる。
もと花だ。
私はちょうど死角になっている手前の渡り廊下へ移動して静かに耳を傾けた。
わたしは怖かった。
山谷先輩から件のメッセージが来て、なんて答えようか、なんて言うべきなのか、そのことばかりをずっと考えていた。
人間的には先輩のことは好いている。
良い人だ。部活では本当に親身に教えてくれたし、私も感謝している。
わたしが本当に心配しているのは先輩のことじゃない。
先輩の周りの人たちの反応だった。
あいちゃんには告白だ、なんて浮かれているように聞こえたかもしれないけれど、私の心の関心事はまたバドミントン部のみんなから苛められるかもしれないという事だった。
山谷先輩を好いている、牧本先輩たちからのイジメ。
それが原因でわたしは部活を辞めることになった。もうあそこには近づきたくない。関わりたくない。いつしか対人恐怖症にまでなってしまっていたわたしは、あいちゃん以外の人と話すことが極端に苦手になっていた。
「桜庭」
工作室の外庭の一角に隠れるようにして先輩は立っていた。視界は前後に開けているけれど周りに人がいる気配はない。話すにはちょうど良さそうな場所だった。
久しぶりに会った先輩の姿は去年と変わらない。わたしより背が高くて、頭部のパーマがかかったような天然のくせっ毛を極力目立たせないよう短くカットしたあの髪型。最上級生らしいさっぱりとした顔立ちと、柔和なのにがっしりとした力強さも感じられる余裕のある雰囲気。
なんだか懐かしい。昔に戻ったみたいだ。
「久しぶり。いきなり呼び出して悪かったな」
先輩は申し訳なさそうに手刀を作った。緊張しているのかぎこちない笑顔を作った。
「いえいえ、わたしは全然大丈夫です。山谷先輩の方こそ元気してました?」
私もそれに引っ張られそうになる。
当然だった。メッセージを時々することはあっても、面と向かってあったのは半年近く前になるのだ。前回何を話したのかも正直覚えていない。
「ぼちぼちな。相手次第だけど、今年は夏の大会も県まで進めるかもしれん」
「どの段階で強豪と当たるかですもんね。元気にしてるなら良かったです。今年で最後ですもんね、わたしも陰ながら応援しています」
「おっ、ありがとな。でも今日は部活の話をしにきた訳じゃないんだ。桜庭がバドを辞めたことは理解しているつもりだし、部活に戻ってきてほしいとかそういう話をしにきたんじゃない。今日桜庭を呼んだのは、あくまで俺の個人的な理由なんだ」
わたしは固唾を呑んだ。
「率直に言う。桜庭……俺と付き合ってほしい。部のムードメーカーだったお前の、明るくて生き生きした感情をみせてくれるところがすごい好きだった。今でも俺はお前のことが忘れられない。忘れたくない。だから――俺といっしょにいてくれないか」
……やっぱり。
「……多分、そう言われるんじゃないかって思ってました。だから今日なんて答えようかなって、ここ最近ずっと考えていたんです」
嬉しい。けれど声が震えそうになる。
怖い。自分がこれから答えることが、先輩を傷つけるんじゃないかって。
そしてそれが先輩と部活とのわずかな繋がりを、まためちゃくちゃにしてしまうんじゃないかって。
「……先輩は優しいですよね。去年、わたしが1年の終わりに部活に顔を出さなくなってから、何度もメールくれて……。わたしもね、結構楽しかったんですよ、部活。短い期間になっちゃいましたけど。実はまだ退部届も出してないんですよ。あんなに熱心に打ち込んだことって今までなかったし……先輩はわたしがなんで部活に来なくなったか知ってますか?」
「他の部員と何かあったことは知ってる。でも正確に誰とまでは……」
先輩はわたしから目線を逸らした。
犯人に心当たりがあるのかないのか、先輩はどう思っているのか。
聞いてみたい。もし知らないのであれば知ってほしい。理解してほしい。わたしの味方になってほしい。
でもそんなことを話してしまったら、先輩と部員たちにできた繋がりに穴を開けてしまう、そんな気がして。
「まだみんな仲が良いんですね」
お茶を濁してしまう。
「すごくな。でもお前が辞めて俺は……」
「――それなら良かったです。それでいいと思います。わたしも楽しかったから、もうこれ以上わたしのことで引っ掻き回したくないんです」
そう。引っ掻き回したくない。
「部活は抜けちゃったけど、今はその話ができるくらいには立ち直ってます。それは先輩のおかげもあります。だからすごく感謝もしてるんです。だから……」
だから、お受けします。
そう勢いで、流れで答えてしまいそうになる。
でも本心はそうじゃない。
怖い。
もう先輩が好きだったわたしはいないんだよ。わたしは臆病になったんだよ。
部活でいじめられて、人との繋がりに自信が持てなくなって。
これはそう、トラウマだ。
他人と同質なものになりたい。
みんなの輪の中にいる人になりたい。まともな人になりたい。
しまい込んでいた思いが溢れて涙が出てきた。
楽になってしまえばいい。先輩からの誘いを受けてしまえばいい。誰かの思いに逆らうことなく、抵抗することなく、ただ流れに身を任せて受け入れてしまえばいい。
――分からない、でもいいんじゃない。
言葉が鐘のように頭のなかで響いた。
イェスかノーかではない、分からないという選択肢。
それでもいいよって、あいちゃんはわたしに……甘える隙を与えてくれたんだ。
「……でもごめんなさい。私は先輩が好きなのかどうか、分かんないんです」
言えた。
「そっか……」
「だから……友達から始めませんか。いっしょにごはん行ったり、遊んだり……私は普段の先輩のことまだ何にも知らないです。だから……」
言えた。
「そうか……そうだよな、うん。俺、今すごく嬉しいよ。桜庭が部活を辞めて全然連絡が取れなくなってすごい悲しかったんだ。桜庭のこと好きだったから、ずっと告白したいって思ってた。でも、俺も普段の桜庭のことは何も知らなくて……傷つけちゃったらどうしようだとか、卒業したらこの繋がりもそのまま消えちゃうんじゃないかって焦っちゃって、恥ずかしいよな。だから友達になれるなら、俺はすっごく嬉しい!」
先輩は明るく笑ってくれた。
そうだったんだ。先輩も繋がりがなくなるのが怖かったんだ。
わたしと同じだったんだ。
すっと胸が軽くなる。
「よかった……」
涙が堰を切ったように溢れてくる。
「わたし怖かった。みんなから嫌われた風に思って」
いよいよ止まらなくなったわたしの涙を見て、先輩は慌てた。
そう。わたしは怖いんだ。人が。
「……もう大丈夫です」
ようやく落ち着くといつの間にか抱きしめられていて、目が合うと先輩は離れてくれた。
先輩の顔、紅いな。わたしの涙に濡れた赤いとは違って、恥ずかしいことをしたっていう感じの紅いだ。
優しい。こういうところがにくいなぁ。
「こんな場所で良かったな」
「そうですね、へへ」
自分のポケットからハンカチを取り出すと、ひっそりと鼻汁を拭った。
べとべとだ、恥ずかしい。
わたしが身だしなみを整えると、先輩は言った。
「落ち着いたみたいだし俺は今から帰るけど、良かったらいっしょにどうかな」
「はい! 帰り道違うので、途中までになっちゃいますケド。それでもよければ」
「うっし、それじゃ行こうか!」
陽気そうな先輩の後をついていく。工作室をぐるりと回って、来た道を戻る前に一度だけ振り返った。
廊下からひっそりと覗きこむ親友の視線にわたしは笑顔を作った。
ありがとう。
声には出さないけれど、この気持ちが伝わってほしい。
 




